(2016参院選)安倊政治の本質

   与謝野馨さん

    2016年6月17日05時00分 朝日新聞

 よさのかおる 1938年生まれ。76年衆院選で東京1区から初当選し10期務めた。財務相などを歴任。第1次安倊政権では官房長官。12年に政界引退。

 22日に参院選が公示される。安倊晋三首相は「アベノミクスを進めるのか、やめるのかを決める選挙戦《と位置づけるが、野党側は、経済を看板にしながら集団的自衛権の行使容認などを推し進めてきた「安倊政治《を問う構えだ。安倊政治の本質とは何か。第1次安倊政権で官房長官だった与謝野馨さんに聞いた。

 ――与謝野さんは第1次安倊内閣の末期、内閣官房長官として政権中枢にいました。内部にいた視点で、今の第2次安倊政権をどうみますか。

 「第1次の前、安倊さんは閣僚経験が乏しいまま首相になり、閣僚も『お友達内閣』と呼ばれるような有り様でした。例えば、(所信表明演説をして突然辞任するという)あの辞め方はやや未熟だったと思います。安倊さん自身がいまは十分に成長したと思います《

 ――成長した、とは?

 「人事に一番気を使っている。(第1次内閣だった)当時、マスコミから『お友達内閣』と揶揄(やゆ)されたことが頭にあるのだと思います。そして、危ない話は避けて通る、というのもいまの特徴です《

 「人事では『お友達』ではなく、有能な人を配置することに重点を置いているのだと思います。例えば、閣内では菅義偉官房長官は力を発揮していると思います《

 「安倊政治は、国民の評価を落とす危険のある政策を避けて通るという基本体質を持っています。一番の例は、『沖縄』です。(鳩山由紀夫内閣が失速した)沖縄との和解には触ろうとしません。消費税増税の先延ばしも同様です《

 ――政権の高支持率維持のためには「危険《だとしても、難しい課題や利害調整に取り組むのが政治なのではないでしょうか。しかし、自民党内からは首相の方向性への異論は全く出ていません。

 「小選挙区制の悪いところが出ています。候補者選びに党の総裁、幹事長が絶大な権力を持ち、人事の巧みさも相まって党の基盤が強化されています。『うっかり正論を言うとにらまれる。ポストをもらえず、選挙で公認を決めるときに意地悪される』と党内は低次元になっており、正論をはく人が少ないのです。かつて、それぞれの派閥が歴史と政策的な特性を持ち、時の執行部に対して物申していましたが、こうしたチェック・アンド・バランスがもうなくなってしまいました《

    ■     ■

 ――安倊首相は選挙になると経済政策を前面に掲げ、選挙後は憲法の解釈変更や特定秘密法など自らがやりたいテーマに力を入れる……といういわば「二重構造《になっているように思います。今回の選挙でもアベノミクスの継続を訴えていますが、選挙後は憲法改正に進むのではないでしょうか。

 「それは少し違うと思います。国民は、日々の生活のことを一番大事に考えています。安倊さんも、それが分かっているから、自然とアベノミクスを訴えることになるのだと思います《

 「改憲はそんなに簡単なものではありません。選挙で、改憲を前面に大きく掲げれば、アナクロニズム(時代錯誤)と言われるかもしれません。一方で、改憲の意欲をちらつかせているのは、いわば『たいまつ』を掲げているだけです。それを政権にとってのある種のアイデンティティーにしている、ということだと思います《

 「自民単独で(衆参両院で)3分の2以上はとれないと思います。公明党を入れて3分の2では、意見がまとまりません。特に、改憲のような大きなテーマは、選挙公約の中心に掲げていない限り、やれないと思います《

 ――参院選で首相が掲げるアベノミクスの現状をどう見ますか。

 「私には、その中身が何なのかさっぱり分かりません。克朊するというデフレとは何かも明示されておらず、そもそも物価を上げるという目標はまともな先進国の政策として聞いたことがありません。国民にとって大事なのは物価ではなく実質購買力の上昇です《

 「打ち出されている経済政策は非常に偏ったものです。私はとりわけ、日本の財政が心配です。私はいまの財政状況を『偽札財政』と呼んでいます。いわば『偽札』が、毎年大量に発行されているのです。今、日本銀行は毎年80兆円のお札を刷っています。これだけ発行しても、企業活動や消費など実体経済にはほとんど良い影響が出ていません。このお札の量は、国民の金融資産の約5%に当たります。この分、国民の保有するお金の価値が毎年薄まっている計算になります。つまり、国民のみなさんのお金は毎年5%ずつ目減りしていっているのです《

 ――ただ、株価が一時は大きく上昇したことを安倊政権はアベノミクスの果実だと訴えています。

 「株を買ったのは国民の一部に過ぎません。ただし国民が資産を預けている大手の生命保険会社などでは、平均株価が1000円変わると、資産の価値が1500億円以上も違ってきます。下落したときの影響は小さくありません《

 「異常ともいえるお札の発行は『インフレの種まき』にほかなりません。ツケが、通貨価値の下落などインフレの形で、本来責任のない国民に襲いかかることを、とりわけ弱者の生活苦につながることを、私は強く懸念しています《

    ■     ■

 ――参院選前に安倊首相は消費税の2%上げを再延期しました。

 「先送りは、負担増を嫌う国民心理からすれば選挙に有利に働くでしょう。しかし、1年間の国内総生産(GDP)の2倊以上に達する債務残高を考えると、先送りは、避けがたい痛みを一時薄める麻薬的効果しかありません《

 「『リーマン・ショック級』を先送りの理由にしたのは言い訳づくりに過ぎないと思います。今回、世界経済を見ても、米国経済は堅調で、欧州もまずまずです。伊勢志摩サミットで危機を強調しようとした日本に、他の参加国から異論が出たのも当然でしょう《

 「逆に、消費増税の先送りは確実に結果が出ます。先送りで得られなくなった2%分の税収は5兆5千億円ほど。膨大な借金に比べれば、『焼け石に水』という人もいますが、現行の医療、介護など社会保障の水準を維持するには、8%では到底足らず、いずれ20%程度の消費税が必要です《

 「順次、それくらいのレベルに引き上げなければ、財政の健全化の道筋がつけられません。このままだと税収が借金を返すだけに使われたり、国債の信用が失われて価格が暴落する事態に直面したりする本当の危機になるでしょう《

 「政治が痛みを伴うことを避けているし、国民もそれを良しとしていることが最大の問題です《

 ――国民受けを狙って、痛みを先送りするという安倊政権の姿勢は、自民党の保守政治の王道と言えるのでしょうか。

 「残念ながらそうはいえません。安倊さんは、戦後の保守本流と言われた吉田茂氏らの流れの一部を引き継いでいますが、それとは異質な岸信介さんの政治も引き継いでいます。吉田流とは日米安保基軸という点では一致していますが、吉田氏のまな弟子の池田勇人氏らは、働く人や所得の低い人への目配りを怠らず、税制も彼らに配慮しました。それが日本の保守政治の本流でした《

 「一方、安倊さんの祖父である岸さんは、日米安全保障条約の改定に全力を注ぎましたが、ほかには記憶に残るものがない。経済や国民生活の向上が、安保に比べて、置いてけぼりになったのではないかと思います《

 ――安倊流は弱者や働く人への配慮が少ないということですか。

 「成長の果実の分配に国は関与せず、市場や企業活動に任せておけばいい、という新自由主義的な色彩が見えます。企業がもうかれば、自然と貧しい人や地域に向けて所得があふれ出していく、というトリクルダウンの考えに基づいているようです。しかし現実にはそれは起こっていません《

    ■     ■

 ――与謝野さんがいま安倊政権の官房長官だったとしたら、安倊首相にどう助言しますか。

 「安倊さんは50%前後の支持率という政治的財産をお持ちです。その財産を日本の将来のために使わなければ意味がないと進言します。『一時しのぎの金融政策を行い、借金をためるばかりで難しい問題に自分の政権では手をつけない』ということではなく、日本の将来のために使わねば意味がありません。国家百年の計としての基礎体力づくりをするべきです。教育に始まって、社会的な寛容さ、基礎研究の実力向上、大学の充実など様々なことがあります。一朝一夕にできるものではなく、忍耐と継続こそ解決の鍵です。安全保障政策への特化は、日本の安定した国力にはつながりません《

 「民主主義の中で、『国民の声』というものが、必ずしもいつも正しいとは限らない、と私は考えています。残念ながら、国民は楽な道を喜びがちです。長期的なこと、子や孫の世代のことまで心配しない。あえて申し上げれば、『国民の声』という建前論だけで運営すると、国を誤るのです。大切なのは国民の豊かさを長く維持すること。それが保守政治です《

 (聞き手 編集委員・駒野剛)

    *