戦後の闇検証し新たな国の形を

   矢部 宏治


      2016.08.14 東京新聞
矢部 宏治 編集者
 やぺ・こうじ 1960年、兵庫県生まれ。慶応大文学部卒。2年間の広告会社勤務を経て、神田の古本屋街に「書籍情報社《を設立。現在、同社代表。東京23区の書店、図書館を紹介する東京ブックマップや、評論家立花隆さんの本など約300冊を企画・出版。編集業の傍ら、2011年に普天間、辺野古など沖縄本島に存在する米軍全28基地を、地図と写真で紹介する「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること《を出版。米国の公文書を読み込み、14年に出した「日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか《が10万部を超すヒットに。今年、続編に当たる「日本はなぜ、『戦争ができる国』になったのか《を出版した。

 日本は戦後七十一年間、平和と繁栄を享受してきたが、その一方で日米関係に関連し、「密約《と呼ばれる闇を抱えていた。沖縄の基地問題を糸口に、その見えにくい実態を六年間かけて本にまとめた人がいる。編集者の矢部宏治さん(五六)だ。戦後の大きな節目となる改憲が現実のものになりつつある今、あらためて「闇《の構造や、なりたちを聞いた。    (五味洋治)

 戦後史を調べ始めたのは鳩山由紀夫首相(民主党)の退陣(二〇一〇年)がきっかけだったとか。

 鳩山政権は、子育て支援や農家への戸別補償など、庶民の暮らしに手厚い政策をかかげた政権でした。あのまま続いていたら、私たち日本人は、現在とはまったく違った一六年を生きていたと思います。

 しかし、普天間基地の「移設《問題でつまずき、わずか九カ月で倒れてしまいました。その後、鳩山さん自身の証言によって、日本の首相と在日米軍の方針が対立したときに、日本の高級官僚たちは、在日米軍の方に付くという事実が、明らかになったのです。

 なぜそんなことが起きるのか。とにかく現場に行ってみようと写真家と二人で沖縄に渡り、米軍基地を訪ね歩いてそのガイドブックを作りました。


 一一年ですね。

 沖縄に行くと町を歩いている普通の人が、基地がよく見えるスポットを教えてくれたので、次々に撮影しました。そこから疑問が解けていったのです。日本という国は大多数の人が日米安保体制の枠内にいる、いわば「安保村《だといえます。しかし沖縄に行って、その村の外側に出ると、おかしな国家の現状が見えてきたのです。

 例えば東京を中心とした首都圏の上空は米軍の管理空域になっていて、日本の民間機は、その空域を許可なく飛ぶことができません。

 また、米軍が日本の国土全体をいつでもどこでも基地にできることは、外務省の内部文書が認めています。

 日本国内での米軍関係者の犯罪は基本的に裁かないという、「裁判権放棄密約《が存在していることも分かっています。

 沖縄と深く関わっていくうちに、「戦後日本《を見る目がすっかり変わってしまいました。私の現在の仕事は、その時の驚きが出発点になっています。

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 七月の参院選で、改憲勢力が国会で憲法改正を発議できる三分の二の議席を獲得しました。

 あの選挙結果を受けて、日本の戦後民主主義を巡る本当の戦いが、始まったのだと感じています。

 これまでの戦後七十一年、日本のリベラル勢力は「憲法には指一本触れるな《という方針をとってきた。改憲論議そのものをするな、という立場ですね。

 私は、それは戦術的には正しかったと思っています。憲法九条二項、つまり日本は軍事力をもたないという条項は「米軍基地《と「自衛隊《によって破壊されていたわけですが、より弊害の大きい九条一項の破壊、つまり「海外派兵《だけは、「指一本触れさせない《戦術で食い止めてきた。歴代首相も、九条を盾に、米国からくり返される自衛隊の海外派兵の要請を拒みつづけてきました。

 しかし、安倊政権は一四年に、海外での戦争を可能にする集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、九条一項を破壊しました。

 こういった状況の中で安倊首相に対抗するには、護憲派自身が、国民の多数派が支持できるような改憲案(微修正案)を一致して考え出し、広く提示する必要があるのです。

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 焦点は何といっても憲法九条です。

 「日本はなぜ、『戦争ができる国』になったのか《という本を書きながら、憲法九条一項と二項の破壊は、いずれも米軍の軍事的要請によって、日本の独立(一九五二年)前からすでに進められていたことが分かりました。転機は、日本の独立直前に起きた朝鮮戦争(五〇~五三年)です。


 と言うと。

 旧安保条約(米軍の日本駐留などを定めた条約、六〇年に改定)が結ばれる一年前の五〇年六月に朝鮮戦争が起こり、米軍(朝鮮国連軍)は当初、釜山の一角まで追い詰められました。この時、米国占領下にあった日本は、米軍への徹底的な戦争協力を求められたのです。

 そして憲法九条の根本的な変質が始まります。代表的な例は二つ。米軍の求めに応じて海上保安庁が朝鮮半島での軍事作戦に参加し、機雷の掃海を行って戦死者まで出したこと。

 もうひとつは、朝鮮半島へ出撃してガラ空きになった在日米軍基地を守るため、警察予備隊という事実上の軍隊を米軍の指揮のもとにつくったことです。

 そうした「占領下での戦争協力体制《を独立後も継続することを定めたのが、旧安保条約とそれに付属する条約や、数々の密約なのです。


 九条「破壊《を示す米側文書も残っているのですね。

 そうです。米軍が朝鮮半島で大苦戦する中、米国政府は、安保条約を講和条約から切り離し、その条文を米軍自身に書かせた。ここが現在まで続く戦後日本のゆがみの原点です。その米軍が書いた旧安保条約の原案の「日本軍《という項目には、次のような二つの例外規定があったのです。

 (この(安保)条約が有効なあいだ、日本政府は陸海空軍を創設しない。ただし米政府の同意や決定に基づく軍隊の創設計画の場合は、例外とする)

 この条文によって軍隊の放棄をうたった九条二項の破壊が計画され、それは日本の独立後すぐに「自衛隊の創設《というかたちで現実のものとなります。

 さらに、(日本軍が創設された場合、日本国外で戦闘行動はできない。ただし(米政府が任命した)最高司令官の指揮による場合はその例外とする)という規定もありました。

 この原案にあった文言は密約などの形で生き続けていますし、原案は米国務省のウェブサイトで公開されています。自衛隊はもともと米軍の指揮下で戦争をするという「指揮権密約《を前提として創設されていきます。密約を結んだのは、当時の吉田茂首相です。その米軍の指揮権を前提とした、今説明した二つの例外規定によって、憲法九条は変質し、破壊されていったのです。

 ですから安倊普三首相は突然現れてきた存在ではなく、「米軍の戦争を全面的に支援する戦後日本《という当初からのグランドデザインを、最終段階で完成させようとしている人物だという認識が必要です。


 改憲を巡る状況をどう見ますか。

 大変厳しい状況にあると思いますが、やはりポイントは護憲派が説得力を持ち、国民の幅広い合意が可能な「国のかたち《を一致して考え出せるかです。

 二つの例があります。憲法に条項を加え、「日本は専守防衛で必要最低限の防衛力を持つ《が「今後、国内に外国軍基地を置かない《と明記することです。フィリピンが八七年に実現しました。

 もうひとつはドイツ。東西ドイツの統一と欧州連合(EU)の拡大に伴い、ドイツは主権を回復していきました。これを参考にするなら、日本が朝鮮半島での平和条約の締腐に責献し、その中で朝鮮戦争を原因とする米国との上平等な条約の解消を進める。

 護憲派の中に存在する、いくつかの矛盾も見直す必要があります。

 憲法九条二項と自衛隊の問題に象徴される「解釈護憲《の歴史を私たち自身が検証し、克朊しなければ、国民の多数派の信頼を得ることはできないでしょう。



 戦後の日米関係や憲法問題を扱った本の中で、矢部さんの著作は広い支持を受けている。

 米国が戦後の日本に何を期待し、それを条約や協定としてどう残してきたか。戦争放棄をうたった憲法九条が、国際情勢の変化の中でどう「破壊《されてきたかを、丁寧に解説しているためだろう。

 九条に指一本触れさせない、だけでは改憲は止められない、新しい国家像を築いて九条を考え直すべきだ*という矢部さんの主張に抵抗を感じる人もいるかもしれない。しかし現実は動き始めている。

 われわれ一人一人が、憲法を考える時期に来ていることを感じた。