戦いからの共生
   病原微生物と<共に生きる>という発想の転換 

    山本太郎(国際保健)


     2015.12.15 みすず パブリッシャー・レビュー



----------  山本先生には、最近四半世紀に医学のパラダイムが大きく転換しはじめたという、スケールの大きなテーマを語っていただきました。紙幅に限りがあるので、ここではご講演後半のお話を抜粋でご紹介します。

 《一九八〇年、人類は初めて、ある一つの病原体を地球上から滅ぼすことに成功しました。天然痘の撲滅です。それはレーウエンフック、パスツール、コツホ、北里、フレミングといった人々による、細菌や抗生物質の発見の延長上にあった大成果だったわけです。アメリカの公衆衛生局長官が、下院の公聴会で「もはや感染症の教科書を閉じるときがきた《と言って高らかに感染症に対する勝利を謳った時代でした。
 ところが私たちが医学の成果に酔っている間に、じつはいろいろな感染症が世界的に流行しはじめた。エイズ、SARS、MARS、西ナイル熱が出現し、あるいは結核、マラリアといった制圧が可能だと思われた病気が再流行してくる。夢の特効薬だと思った抗生物質に耐性をもった病原体が次々に現れるといった事態に見舞われて、初めて、私たちはこのままでいいのかと考えざるをえない状況におかれた。科学や技術をもった人間が、ある種の生態系に介入した結果かもしれないし、エイズの場合で言えば、椊民地主義と、熱帯病を治そうという熱い努力や強い意志といったものが逆にエイズの流行を広めたのかもしれない。そういうことを私たちは考える時期にきているのです。》

----------  そうした新しい局面で注目されている常在細菌叢について。

 《今は肥満、糖尿病、自閉症、アレルギー、クローン病などの炎症性腸疾患がすごく増えている。こうした病気は私たちの身体に常在している細菌叢(マイクロバイオーム)の撹乱によってもたらされるのかもしれないと言われはじめています。》

 ----------  講演では、無菌のマウスに人の糞便を移椊して、常在細菌叢の影響を実証するという、驚くべき研究例をど紹介いただきました。また、高地ヒマラヤに住む人々の糞便を集め、厳しい環境への適応と体内の細菌叢との関連を調べる研究(プー・プロジェクト)についても触れていただきました。

 《プー・プロジェクトには隠された目的があって、将来世代のために世界中からうんちのストックを行うことが必要かもしれないのです。なぜなら、人は三歳までに腸内細菌叢全体の骨格が決まると言われており、それが今すごく撹乱されている。理由は帝王切開の増加と、抗生物質の使用です。今、うんちの保存をしておかないと、もしかしたら一度失われた細菌叢はもはや回復しない可能性がある。
 細菌叢の撹乱が現代の疫病と関係するとすれば、これまで積み上げてきた近代医学のパラダイムを変えていくことになるかもしれません。今までは、一つの病原体が病気を起こすことを見つけて、それをやっつけることによって病気を倒していたのですが、これからは、私たちに常在する細菌叢の多様性に支えられた健康が重要で、そこから何かが失われることが病気の原因かもしれない。こうした問題に対するアプローチというのが、今後の医学を進めていくことになるのかもしれない。そこに必要なのは、「共に生きる《という考え方なのかもしれないと思います。》