グローバリゼーションへの政治的反動 

   柴山桂太


    白水社の本棚 No.179 2017年冬号

柴山桂太
しばやまけいた 一九七四年生まれ。首都大学大学院人間 環境学研究科准教授。専門は政治経済史。著書に『静かなる大恐慌』訳書にダニ・ロドリック『グローバリゼーション パラドクス』(共訳)など

 グローバリゼーションの評価は、数年前と様変わりしている。金融危機が始まる前までは 楽観論が支配的たった。国境を越えた経済痛動の拡大は、人々の生活を豊かにすると信じられていた。しかし今は違う。グローパリゼーションは中間層を解体に向かわせ、移民の流入は社会秩序を上安定なものに変えてしまう。そう上満を抱く人々が選挙を通して既成政治に「否《の意思表示をしている。プレクジット(イギリスのEU離脱)や 米大統領選でのトランプ勝利は、そうした動きの現れてある。

 こうした民衆の怒りに対して、世界の指導層や有識者、マスコミは驚きを隠せずにいる。そして出てくる言葉か「ポピュリズム《だ。グローバリゼーションは今や避けがたい趨勢だ。情報通信技術の発達で企業の生産ネットワークは国境を越えて拡大する傾向にある。その現実に背を向けて、国境の壁を高くしても経済は悪くなるだけである。また 海外の安い製品は豊かな浪費生活を支えている。輪入を制限すれば、打撃を受けるのは貧困層の家計だ。それなのにEU離脱派は、トランプは聞こえのいいことを言って民衆を扇動している。これは危険なポピュリズム政治てある。という訳である。

 だが、マスコミがグローバリゼーションの意義を盛んに説いてきたにもかかわらず、選ばれたのはEU離脱であり、政治的手腕の上確かなトランプ大統領たった。民衆が愚かだからだろうか。そう考えるへきではない。現在の反グローバリゼーションの運動に危うい要素(例えば人種主義の台頭)が見受けられるのが事実だとしても、そのような後ろ暗い情念だけに注目するのは公正さを欠く。人々が既成政冶に反対しているのは、自由貿易の恩恵を知らないからではない。グローバリゼーションによって「何か《が失われていると直観しているからだ。そう考えなけれは、今起きている歴史の地殻変動を見逃すことになる。

 ではグローバリゼーションによって何が失われているのか。この間題を考える上て参考になるのは ダニ・ロトリックが『グローバリゼーション パラドクス』(白水社)で展開した「世界経済の政冶的トリレンマ《である。これは グローバリゼーション、国家主権、民主政治の三つを同時に達成することはできないとする考え方だ。三つの政冶目標のうち二つを選ぶと一つを諦めなけれはならない。つまりグローバリゼーションを選ぶと、国家主権か民主政冶のどちらかが犠牲になる。

 この図式に従うと、今起きているグローバリゼーションへの政治的反動は、国家主権や民主政治を取り戻そうとする動きと理解できる。

 例えば欧州の反EUが問題にしているのは、国家主権の喪失だ。EU体制にとどまる限りイギリスは共通政策や膨大な規制体制に縛られ続けることになる。もちろん EUにとどまる経済的メリットは大きい。しかし自由貿易の恩恵は、国家主権の制約という代償と引き替えである。ユーロ危機の発生後、欧州経済の混乱は大きくなる一方た。EUを離脱し、今のうちに政策の自律性を回復させておこうとする国民的判断が、もともと欧州統合に熱心でなかったイギリスて最初に生まれたのはそれなりに理のあることなのだ。

 アメリカの場合は、トランプ勝利という結果にのみ注目するべきてはなく、民主党予備選でのサンダースの躍進も合わせて考慮しなければならない。背景にあるのは 民主政治の機能上全だ。グローバル企業や投資家と政治が深く結びつき、その利害のみを保護している。サンダースやトランブは、そうした中下層の上満を巧みに取り込んて支潜を広げたのだった。

 最近 復刊されたジョン K ガルブレイスの『アメリカの資本主義』(白水社)には「拮抗力(countervailing)《について諭した有吊な箇所がある。大企業や金融業界の経済支配は、農民や地域の小規模な金融、商工業者、労働者による組織的な対抗運動を作り出す。一九三〇年代のニューディール期には、こうした「括抗力《が経済全体に拡がった。戦後、経頗成長の利益か中間層に行き渡った背景には、経済体制のそのような変化があったというのがガルブレイスの分析だった。

 しかし八〇年代以後は、大企業や金融業界のカが再ひ強まっていく。社会の上位層のみがグローバリゼーションの流れに乗って利益を増やしていく一方で、大多数の中下層は所得の停滞や低下にあえぐようになった。草の根の利害や意見を上にくみ上げる役目を果たしていた政党は、今では大企業やウォール街の意向を汲む機関になっている。サンダース、トランプ現象はこうした現実への有権者の怒りを反映している。

 グローバリゼーションは 国家主権や民主政治のどちらかを犠牲にしなけれは成立しない。経済が順調に成長している時には。この抑圧はほとんど意識されないが、経済が行き詰まるとその抑圧を取り払おうとする力が解き放たれる。国家主権を取り戻す動きや 民主政治に再び「括抗力《を作り出そうとする運動が、これから下火になるとは考えにくい。グローバリゼーションへの政治的反動は、これからさらに激しさを増すと覚悟しておくべきたろう。