(インタビュー)中国の主人公は  

   趙紫陽元総書記秘書・鮑トンさん


     2015年9月3日05時00分 朝日新聞
   



 「強いリーダー《という評価を固め、自分が思い描く国づくりを本格化しようとする習近平(シーチンピン)・中国国家主席。大国としての存在感を内外に示そうとする半面、国内の統制を強め、政治改革の期待は遠のく。1980年代末、民主化に理解を示した趙紫陽(チャオツーヤン)元総書記と共に失脚した趙氏の元秘書、鮑トン氏の目には政権の危うさが映る。

 《習指導部は2012年の発足以来、汚職を取り締まる反腐敗キャンペーンで、25万人以上を摘発した。「トラもハエもたたく《という宣言の下、大物幹部も相次いで摘発される。》

 ――「反腐敗《によって、習指導部は国内では「仕事をする指導部《としての評価を固めました。かつては共産党の要職にあり、いまは体制外に身を置く立場から、あなたは指導部をどう見ますか。

 「反腐敗が大きな業績であることは間違いありません。しかし、注意すべきは、摘発された幹部の数の多さが、中国の制度の欠陥を示していることです。現指導部は中国の『制度への自信』を唱えていますが、正しい制度があればこんなに腐敗官僚が生まれたはずがありません《

 ――党の最高指導部にいた周永康受刑者(前党中央政法委員会書記)も摘発し、無期懲役刑を下しました。「法の前では誰しも平等だ《という「法治《の成果としてアピールしていますが。

 「腐敗した大物幹部が処分されたのはいいことでした。ただ、周前書記の罪状に『国家機密』が含まれたという理由で、審理の様子がまったく公開されなかったのは問題です。国家機密にかかわる部分とそうでない部分とに分けて、裁判は公開できたはずです《

 ――なぜ公開できなかったのでしょう。

 「庶民に知らせてはまずい、知らせたら共産党の威信が崩れるという判断が働いたと見るべきでしょう。指導部は反腐敗の『制度化』をうたっていますが、そのために必要なのは庶民による監視のはず。そしてその前提は、庶民に真実を知らせることです《

 「一方で、指導者の腐敗を告発した弁護士や、官僚の資産公開を訴えた人々が次々と拘束されています。党や政府主導の反腐敗はいいが、庶民による反腐敗は許さないというのは矛盾です。庶民の権力監視を認めない限り、腐敗問題の根本は何も解決しないと私は考えています《

   ■     ■

 ――近年、「頂層設計(トップによる政策設計)《という言葉がよく使われますが、習指導部には「庶民は黙ってついてくればよい、中国を正しく導くのは共産党だ《という強いエリート意識を感じます。

 「私には、この国の主人公は誰なのか、共産党が見失っているように見えます《

 「このことと関連して、いまも私の記憶に残っている趙紫陽氏の言葉があります。1987年ごろ、政治局常務委員会と政治局の会議での発言で、『我が国が貧しいことは、庶民は理解して我慢してくれる。しかし、人と人の関係がうまくいかないというのは、国の貧しさとは関係ない。この点で、我々は先進国より劣るということがあってはならない』というものでした《

 「彼が重視していたのは、党と庶民の関係でした。共産党は庶民から信頼されているのかという問題を提起したのです《

 《中国が経済改革を進めた1980年代後半、腐敗問題が深刻化して、89年6月の天安門事件の引き金となった。腐敗問題を是正するためにも民主化を求めて広場に集まった学生や市民が武力で弾圧され、当局発表でも319人の犠牲者が出た。》

 ――当時は、特権を利用して物資を横流しし上正な利益を得る官僚が、庶民の怒りを生んでいました。

 「当時の指導部も腐敗問題を重視しました。党中央で、政治体制改革を研究する部門の責任者だった私は88年末、その対策として、物資の販売・流通制度の公開、許認可のプロセスと結果の公開というプランを提出しました。情報の公開こそが、腐敗防止のカギだと考えたからです。趙氏をはじめ指導部の承認を得て、89年から試験的に実施するはずだったが、天安門事件で頓挫してしまいました《

 ――軍が学生や市民に発砲した天安門事件で、党と庶民の信頼関係は崩れてしまったのでしょうか。

 「あの事件を経て、共産党は庶民を恐れるようになりました。庶民の動きによって、自分たちが握る特別な権利を失うことを、恐れるようになってしまいました《

 「しかし、権利を失っても共産党が消滅するわけではないのです。国民党は台湾の民主化を認めました。その結果、一度失った政権を奪い返しましたね。正常なことです。それによって、台湾は混乱に陥ったでしょうか? 国民党は消滅しましたか? そんなことはないでしょう《

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 ――指導部の姿勢からはいま、強い危機感が感じとれます。今年成立した国家安全法にしても、軍事衝突、少数民族問題、テロなど、中国が抱える様々なリスクを列記しました。

 「危機感を抱くことは悪いことではありません。たとえば70年代末に始まった改革開放政策にしても、政治の混乱から抜け出し、経済を立て直さなければならないという当時の指導層の危機感から始まりました《

 「ただ、いまの指導部を見ていて感じるのは、危機感が強いがゆえに自分たちを守ろうとする姿勢です。自らを変えることで危機を乗り切るのではなく、自らを守ることに懸命になっています《

 ――言論やイデオロギーでの引き締めを強めているのもその結果でしょうか。民主や自由といった「普遍的価値観《への警戒感をむき出しにして、海外とつながるNGOへの圧力も強めています。

 「NGOは本来、庶民を助ける存在です。政府など公的部門の手が及びにくい庶民の悩みや上満をきめ細かくすくい取ることによって、全体として国を落ち着かせる力があるものです。政府に奉仕するNGOはいいけれど、それ以外は国家の敵だという発想はまったくおかしなものです《

 「結局、いまの共産党は庶民を信用していないのだと思います。信用していないから、恐れてその口をふさごうとする。その恐れによって言論やイデオロギー統制が生まれ、結果的にものの見方をゆがめてしまっているのです《

 ――あなたは民主主義に中国の未来を託そうとしています。

 「また趙紫陽氏の言葉を紹介します。87年ごろの政治局常務委員会で、『我々は共産党の民主主義こそ本物の民主で、西側の民主は偽物だと言っているが、なぜあちらの民主の方が本物らしく、我々の民主はうそっぽいのか。検討してみる必要がある』と語りました。彼は指導者として、共産党と庶民の関係をつなぐ制度は何かを考え続けたのです《

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 ――習指導部の下で、民主化を含む政治改革の議論は進んでいません。欧米型の民主を中国に移入してもうまくいかない、という声が党内で強まっているようです。

 「様々な層からなる13億の大国だから民主化できないというのは言い訳に過ぎません。人口も少なく教育程度も高い香港でも、真の民主化を認めようとしない政権が、中国全体の民主化を考えているとは思えません《

 「私も欧米式の民主主義を、そのまま中国に持ち込めばいいとは思いません。中国には中国に合った民主があるでしょう。民主主義は庶民にも一定の責任を求めます。重要なのは、民主的な制度の下でしか、その訓練はできないということです。独裁体制の下では、中国はいつまでも民主を学ぶことができません《

 「政府が庶民を信じれば、庶民は政府を信じます。共産党が真に恐れなければならないことは、庶民から信用されなくなることです。党にとって最も危険なことは、庶民に批判されることではなく、批判も含めた庶民の声に耳を傾けなくなることなのです《

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 パオトン 1932年生まれ。80年、趙紫陽氏の政治秘書に。天安門事件直前に逮捕され、国家機密漏洩(ろうえい)罪などで懲役7年の判決。出所後も自宅で当局の監視を受ける。

 ■取材を終えて

 取材は7月に行ったが、最近、鮑氏は、取材はもちろん友人との会食も禁じられた。北京が「反ファシズム戦争勝利70周年《の記念式典を迎えるためだ。共産党指導部は、天安門事件後の路線への自信を深め国威発揚に余念がない。かつて政権の中枢に身を置いた鮑氏の「民を信じよ《という指摘は、誰のための国づくりかという根源的な問いかけだと感じた。(中国総局・林望)

 ◆キーワード

 <趙紫陽氏> 87年に共産党トップの党総書記に就任。89年5月、天安門広場の学生たちの民主化要求に理解を示したとされ、失脚。05年の死去まで軟禁生活を送った。天安門事件をタブー視する党は趙氏の吊誉回復を行っていない。