(インタビュー)英国、欧州、そして世界 

   ティモシー・ガートン・アッシュさん


      2016年7月14日05時00分 asahi


ティモシー・ガートン・アッシュ

 英国が、国民投票で欧州連合(EU)からの離脱を選択した。統合の理念を信じていた著吊な英歴史家、ティモシー・ガートン・アッシュ氏はその衝撃を英紙に「わが政治人生における最大の敗北《と書いた。英国民はなぜ離脱を決断したのか。欧州は分裂に向かうのか。そして世界史のなかでどう捉えたら良いのか。本人に聞いた。

 ――歴史家で欧州の行方を論じてきたあなたにとっても「EU離脱《は衝撃だったようですね。

 「結果を知ったときには私自身、何百万人の人と同様、非常に大きなショックを受けました。頭の中では起きうることと思っていても、実際に起こるまで信じることができない思いでした《

 ――ただ2012年に外交誌「フォーリン・アフェアーズ《に「欧州の危機《を寄稿していますよね。予見していたのでは?

 「欧州の危機は当時から明白でした。ユーロ圏の危機、英国内でのEU離脱論議、ウクライナ紛争、EUに対して向けられたポピュリズム的な怒りの広がり……。これらが重なり合って、欧州統合という事業全体が危機に瀕(ひん)しているのは分かっていました《

 「今回の離脱決定は、英国特有の要素もありますが、いくつかの主要な要素は欧州全体に共通するものです。移民や難民問題、エリート層やグローバル化に対する大衆迎合的な(批判的)弁舌。フランスでもオランダでもポーランドでも見られる共通の特徴です《

 ――欧州に同様の状況があっても、英国民のEU離脱という判断はポピュリズムだけでは説明しきれない面もあると思います。何がその決断につながったのですか。

 「移民、移民、移民です。そして『主権を取り戻す』という離脱派のスローガンは非常に効果的でした。欧州経済の状況が極めて良くない状況なのも影響しました《

 「英国以外の加盟国が欧州統合に参加しているのは、戦争の記憶、占領、敗戦、ファシズムや共産主義の独裁といった歴史的な理由が大きいのです。一方で、英国は、もっと実利的で商業的な理由で統合に参加していました《

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 ――実利でEUに参加しているのなら、離脱の必要はないのではないですか。そもそも移民は、経済成長を後押しする存在では。

 「確かに、多くの移民をEUの内外から受け入れることは英国経済の将来にとって長期的には非常に効果的です。2030年、50年になっても英国は欧州の主要経済大国であり続けるという予測があるのは、移民の受け入れで望ましい(労働)人口構成を得られるとみられてきたためです。一方で短期的、中期的には、移民によって疎外される人たちが出る。労働者階級で教育水準が高くない層の人々は、より高学歴で若く活動的な移民に仕事を奪われてしまう、という目で見ているのです《

 ――世代間の溝も影響したように見えます。高齢者は離脱に傾き、若者の多くは残留派でした。

 「この国がいかに分断されているか。(国民投票の)6月23日に、分断を覆い隠していたカーテンが一気に引きはがされたのです。スコットランドとイングランド、富裕層と貧困層、北部と南部、高学歴が残留で、低学歴が離脱……。私の息子たちは30代ですが、父親世代が我々の未来を奪ったと怒っています。この分裂と怒りを克朊するために、この先2、3年はかかるでしょう《

 ――分断があらわになった英国で、あなた自身のアイデンティティーをどうとらえていますか。

 「イングリッシュ・ヨーロピアン(英国を構成する連合王国〈ユナイテッドキングダム〉の一つ、『イングランド』の『欧州人(ヨーロピアン)』)です。文化的にも気持ちの上でも『英国人(ブリティッシュ)』というよりもイングランド人だと思っています《

 ――王国の一つスコットランドは「EU残留《を求めています。

 「スコットランドはEUに残留するため、英国からの独立に向けて再び国民投票を実施する可能性がある。確実ではありませんが、約300年間続いた連合王国から離脱もありうるでしょう。今から10年後に連合王国としての英国が存在し続けているか、わかりません。後世の歴史家はキャメロン首相(7月13日に退任)を、EUだけでなく、英国(連合王国)という二つの連合を崩壊させる触媒になったとみるかもしれません《

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 ――今回の「離脱《の種をまいたのは、サッチャー元首相だという見方がありますね。75年の国民投票で残留を訴え、その後、統合批判に転じました。どの程度の影響を及ぼしたのでしょう。

 「サッチャー氏は、英国の政治史においてチャーチル以来最も重要な人物です。彼女のもとで多くの政治家やジャーナリストが育った。今回EU離脱のキャンペーンを張ったのは、彼女の弟子やその次の世代です。彼女は一時、欧州単一市場を極めて熱心に推進した。ところが80年代後半から90年代初頭にかけて独仏などが(政治的にも)連邦的な欧州を志向すると、懸念を抱いた。そして欧州への敵意と懐疑という当初の姿勢に逆戻りした。首相退任後の晩年は明らかに離脱派でした《

 ――そもそも英国は「欧州《なのでしょうか。

 「最古の世界地図といわれるプトレマイオス図の中世版(15世紀)以来、英国は常に欧州の一部として描かれています。日本がアジアに居続けているように《

 「問題は地理的、歴史的、文化的に帰属するかではなくて、特定の政治目標を共有するかどうか、ということなのです。アジアとの決定的な違いはそこにある。アジアには一つの政治目標はなく、中国によるアジア観、米国によるアジア観などが混在しています《

 「欧州は、世界で最も政治経済的な統合が進んだ地域であり、統合が欧州全体の政治目標です。だから問題は、英国が帰属するかどうか、ではなくて、統合の動きが前進するか、後退するかです。第2次大戦後以来の欧州統合の動きは、いままさに後退しはじめたといえます。それは世界にとって極めて深刻な状況です《

 ――後退し始めたということは、統合の目標の根底にある「独仏の新たな戦争回避《が揺らぎかねないということですか。

 「90年代に旧ユーゴスラビアで紛争があり、EUの外側の国々が戦場になった。ウクライナでは現在も低いレベルで戦闘が続いている。クレムリン(ロシア)にプーチン大統領がいる限り、欧州の周縁部で新たな戦争が起きることは十分ありうることだと思います。キャメロン氏が5月、『大陸の平和と安定は疑いなしに確実なのか』と英国の離脱と戦争を結びつける発言をしたとき、人々は嘲笑しましたが、発言は全く正しいのです《

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 ――ほかの加盟国による「離脱ドミノ《は起こると思いますか?

 「主要加盟国の半数以上の人口がEUは悪い方向に向かっており、自国は離脱した方がいい方に向かう、と考えています。だから我々も国民投票を、となる。こうした声が今回の英国離脱によって短期的には高まるでしょう《

 ――英国が離脱した後のEUはどこに向かうのでしょう。

 「今後の英国と、EUとの新たな関係次第でしょう。来年にはフランス大統領選とドイツの国政選挙があります。特にフランスでは(右翼政党「国民戦線《の)ルペン党首に率いられた欧州懐疑派の運動が非常に強い。欧州自体が移動の自由や移民を管理する方向に動くかもしれない《

 「ジレンマもあります。離脱する英国にとって最善なのは、移動の自由を認めずに単一市場へのアクセスが認められることです。ところがこれはルペンやウィルダース(オランダ自由党党首)を、(自分たちも英国同様にできると)勇気づけることになる。確かなことは『欧州合衆国』の方向には向かっていないということでしょう《

 ――先ほど世界にとって極めて深刻な状況との指摘がありました。英国がEUを離脱する2年後の欧州、世界をどう見通しますか。

 「私の人生において最も希望に満ちていた時代はベルリンの壁が崩壊し、欧州全域に民主化の波が広がった80年代から90年代だったのだと思います。自由でリベラルな国際秩序が広がった。いま、自由やリベラリズムは国内でも国際関係でも脅かされている。ポピュリズムが広がる欧州、米国のトランプ現象。強権的な習近平(シーチンピン)政権が台頭し、南シナ海でリベラルな国際秩序が脅かされている。ロシアは極めて強権的です。モディ首相のインドもリベラル、複数民主主義といった方向ではありません《

 ――悲観的な受け止めですが、その流れは上可逆的でしょうか。

 「歴史の教訓から学べば、独裁や強権は短期的には機能するが、長期的にうまくいくのは自由民主主義です。我々が自由な民主主義を維持し、こうした課題に対応する力を見いだせるかどうか。そのために最も重要なのはグローバル化で敗者となった人たちに希望のメッセージを与えることです。資本主義の改革も必要でしょう。その恩恵は富裕層、勝者だけでなく、敗者や取り残された者にも、もたらされるべきものです《

 (聞き手 ヨーロッパ総局長・石合力)

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 Timothy Garton Ash 歴史家・英オックスフォード大学教授 55年生まれ。専門はヨーロッパ現代史。著書に「ヨーロッパに架ける橋《。英紙ガーディアンに定期コラムを寄稿。