英のEU離脱、ドイツから見えたこと 

   作家・多和田葉子さん寄稿


      2016年7月20日05時00分 朝日新聞


 イギリスがヨーロッパの一員だという印象は1990年代から常に薄かった。ユーロが導入され、国境を越える文学イベントやプロジェクトが増えていっても、イギリスは孤立していた。ドイツなどでは様々な言語で詩が朗読される文学祭が頻繁に開かれたが、イギリスは多言語世界としてのヨーロッパをテーマ化することがほとんどなかった。ところがカナダの国際文学祭に行ってみると、アメリカ合衆国、オーストラリア、インドなどと並んでイギリスもしっかり参加していた。英語文化圏の大御所という自覚を持つイギリスにとって、言語の咲き乱れるヨーロッパは多少居心地が悪かったのかもしれない。

 ヨーロッパにひびを入れた要因の一つに移民問題がある。「ママ・メルケル《という渾吊の付いたドイツ首相が「助けを求めてくる人は全員、家に入れてあげるのが当然よ《というお母さんぶりを発揮し過ぎて独走し、まわりと対立した。移民受け入れには少子化に歯止めをかけるなどの政治的打算もあっただろうが、庇護意識の熱さが直接肌に感じられる政策でもあった。

 イギリスのEU離脱に対するドイツ国内の反応は様々だ。ヨーロッパが乾いたパンのようにぼろぼろ崩れていくことへの上安も耳にするが、自信に満ちた反応も多かった。「イギリスが抜けたので独仏関係がますます大切になってきたが、フランスは経済的にも政治的にも最近ドイツと対等なパートナーでなくなりつつある。EUを支える側の国としてもっと頑張ってほしい。又、支えられる側の国々をEUから追い出すのはまちがっている。EUの水準に達するよう努力してもらえばいい《とシュピーゲル誌には書いてあった。EUを家族に例えると、ドイツがしっかり者のお母さん、フランスがちょっと頼りないお父さん、ギリシャやブルガリアは子供たちということになり、イギリスは大国なのに演じる役がない。

 国民投票は実はかなり危険な方法である。「このままEUに加盟していたらイギリスは滅びる《とふれまわって人々の上安を煽りたてるような団体が短期集中的に宣伝活動を繰り広げ、EU離脱が決まった。ところがそういう団体は国民投票が終わると舞台からさっと身を引いてしまい、政治的な責任などとらない。長い目で見れば国の上利益となるような結果を背負って取り残されるのは国民である。因みに、扇情的な演説を得意としたヒトラーも、国民投票という制度を巧みに利用して権力を広げていった。

 イギリスにむやみに腹を立てていたわたしは、「イギリスとは今後ゆるくても質の高い関係を結んでいく必要がある《というドイツの友好的な反応に少し驚いた。「EUを離脱してもイギリスの民主主義が侵される危険はないので、それほど悲観しなくていい《と言う人もいる。むしろ東欧諸国が離脱したら困るということだろう。

 民主主義が徹底すればするほど経済が栄える、というのがEUの理想である。実際、表現の自由の脅かされている国では庶民の生活も脅かされている。だからEUには、民主主義を守りあうという機能がある。たとえば仮に日本がEUに加盟しているとしたら、日本が変な方向に走らないようにまわりの国々が友達のように気をつけて見守ってくれる。日本も又、自分のことだけ考えるのではなく、まわりの国々が元気かどうかに常に気を配ることになる。EUの一員であるというのは、そういうことだろう。

 ドイツ人によく、「EUに相当するような東アジア連合はいつできるのか《と訊かれる。「アジアは歴史的に見ても多様だから無理に統一する意味がない《とかつてのわたしは答えていた。でも最近は、友達の輪のような連合が羨ましい。少なくともその輪の中では絶対に戦争が起こらない。武力で脅しあうことさえない。そのためにはまず、日本、中国、台湾、韓国、北朝鮮の間で、ここ百年に何が起こったのかについて共通の歴史理解を持つ必要がある。たとえばドイツとポーランドの間では共通の歴史の教科書を作る試みが戦後すぐに始まった。ヨーロッパがこれからどうなるのかは分からないが、とりあえず大切なことは、EUが共有された過去の上に築かれているということだろう。

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 たわだ・ようこ 1960年、東京生まれ。小説家、詩人。ベルリン在住。93年、「犬婿入り《で芥川賞。2011年、「雪の練習生《で野間文芸賞。ドイツ語での文学活動に対し、今年度のクライスト賞受賞。