田中智学
  「八紘一宇《の真の教え

  田中仕谷


    文藝春秋17年4月号

 法華(日蓮)宗系の仏教団体「国柱会《創立者の田中智学(一八六一~一九三九)は、法華経の布教に尽力した、「八紘一宇《の造語で有吊な宗教家だ。二〇〇五年に二十八歳で五代目斎主(会長)に就任した玄孫の田中仕谷氏(39)が、現代に生きる〝智学の教え″を説く。

 江戸時代の檀家制度によって形骸化していた仏教を「衆生の宗教《として取り戻したことが田中智学の最大の功績でしょう。葬式や法事で死者を弔うだけではなく、今を生きる人々を救うための仏教こそ正しいとしたのです。また、出家はせず、在家で世俗の生活を送りながら唱題することこそ、正しい修行だとし、国柱会を作りました。

 そして、「一天四海皆帰妙法《 と念じ、「南無妙法蓮華経《を唱えることが、人間に与えられた唯一の救済だとも教えました。つまり、「世界中の人々がみんな法撃経に帰依すれば、それですべては救われる《と主張したのです。法華経の真の教えを説いた日蓮が日本に生まれたのは単なる偶然ではなく、日本が「法華経本縁の国《だったから。従って世界に法華経を広めることが人々の救済となる。そう説いたのです。童話作家の宮沢賢治は国柱会の会員として知られており、宮沢文学には智学の思想が色濃く反映されています。

 また智学はこう書いています。(世界を救ふといふのが日本建国の、人類同善世界一家の大理想だ。その大理想に魂を打ち込むものが法華経だ)

 法華経を中心に、地球上に生きる民族が一軒の家に住むように仲よく暮らすこと。この教えを表した言葉が、智学の造語「八紘一宇《 です。 戦後、「八紘一宇《 は、石原莞爾や板垣征四郎など軍人が会員だったことで、軍国主義の中心思想とされました。この言葉を肯定する発言は現在でもタブー視されていますが、これは「八紘一宇《の本質の意味を理解しようとしない人達による誤解だと私は考えています。

 智学は、誤解を正すことをしない人でした。誤解する者を相手にするのは、無意味な行動と感じていたからでしょう。真実を知りたい者は、社会の風潮がどうあれ、真実を追求するであろう---智学はそう考えたのだと思います。私も同様に考えています。だから、「八紘一宇《を誤解する者は、相手にしないようにしています。

 戦後七十年が過ぎて、日々、痛切に感じていることは、私自身、法華経を信仰する中で、現在の仏教界全体が、一般世間に「閉鎖的だ《と思われていることです。

 確かに智学の時代は、他の宗教を批判して、自らの宗教(法華経)が優位に立つ〝排他的布教活動″が功を奏していました。しかし、もうそんな時代ではありません。誰であっても、自分が信じているものを否定されたら、嫌な気持ちになるし、頭にくるのは当然のことです。

 私は高校卒業後、イギリスに留学したので外国人の友人がたくさんいますし、趣味のサーフィンを通じて、世界中に大勢の友人がいます。キリスト教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒、仏教徒、それ以外の人々……みんな、自分の宗教や価値観を大切にしていました。

 私は、個人個人が自分の信仰を大切にすることには大賛成です。肩肘張って、「私の信仰(宗教)は正しい。だからあなたも信じなさい《などと言う必要はないんです。宗教は関係なく祈ることで「寛容さ《を養い、「平和《 によって世界が統一される---これが、私なりの法華経の解釈なんです。「国柱会賽主なのに、そんなので大丈夫?《と心配する人もいますが、私は別に構いません。智学が現代にいたらきっと同じように考えると思うのです。

「田中智学はどういう人だったと思いますか?《

 私は頻繁にこういう質問を受けます。「すごい人だった《「あなたも子孫なら智学先生を見習ってちゃんとしなさい《……私の周囲は皆、口を揃えてこう言います。宗教者の理想像。絶対的存在。そんなイメージが先行しがちですが、私はいつも「人間臭い人《と答えています。

 国柱会の本部があるのは江戸川区の一之江という土地です。生前の智学は勤行を終えると、一人で地元を練り歩き、子供やお百姓たちにお菓子を持っていき、お茶をしながらみんなで談笑していたそうです。

 また、一八八八年に会津の磐梯山が噴火した時は現地に飛んでいき、罹災者救済活動に従事したそうです。そして被災地の写真を数多く撮影し、それを市井の人々に見せて義摘金を募ったとか。困った人がいると、居てもたってもいられなかったのでしょう。

 この性分は、私も受け継いでいます。三・一一の際、私は一人で被災地ボランティアに通いました。宗教法人のトップだと分かると被災者の皆さんが「勧誘されるかも《と嫌な気持ちになると思い、身分は伏せました。ユンボに乗り、チェーンソーを操り、瓦磯を撤去しました。

 何よりも人と人との触れ合いを大切にすること。智学の教えとは、突き詰めれば、こうした単純なことに尽きると私は信じています。