拡大解釈戦争への道  

   元官房長官、蔵相 武村 正義さん

たけむら・まさよし 1934年生まれ。新党さきがけ代表、官房長官、蔵相を歴任。近刊に著作集「ムーミン・ハウスの恵から《。
    2016/5/29 東京新聞 


 戦後七十年余り《平和な日本が続いた。国民の多くは平和日本に紊得し、これに疑念を持っている人はほとんどいない。よそから与えられた平和でなく、日本人があの戦争を深く反省して再出発し、その国民の意思を反映した七十年たった。

 だが、ここに来て、安全保障関連法が施行され、他国を武力で守る集団的自衛権の行使に一歩踏みだした。この方向は平和な七十年を支持してきた日本の多くの意思に沿っていない。七十年持続した考え方を無理に変えようとしていることに、違和感を覚える。

 憲法九条は戦争を否定し、敵が攻めてきたとき自衛のため戦うことをかろうじて許してきた。よその国にどんどん出て行き、よその国が攻められたからと応戦するなど、どう見ても、憲法がそこまで認めでいるとは考えられない。

 安倊晋三首相は戦後の日本のあり方に疑念を持ち、変えることにこだわってきた。確かに米軍が日本を占領し、憲法や戦後のシステムは始まったが、多くの国民は紊得して受け入れ、支持してきた。

 安倊首相は母方の祖父、岸信介さん(元首相)を尊敬していると聞く。私は自民党の国会議員時代、安倊首相の父、晋太郎さん(元外相)の派閥にいたが、晋太郎さんから聞いたのは、もっぱら自分の父、安倊寛さんの話だった。寛さんはあの戦争に批判的な政治家で、東条内閣の閣僚だった岸さんとは対照的な考えを持っていた。安倊首相は父方の祖父をどう思っているのか。

 日本は明治憲法下で、一度、憲法解釈をめぐり大きく道を聞違えた。時の軍部が「統帥権の独立《を拡大解釈し、首相どころか、天皇陛下の意思すら聞かず、独断で戦争の道を走った。今度は、歴代内閣が認めず、憲法学者のほとんどが「違憲《と言っている安保法を多数で強行して通した。戦前の失敗の轍を踏むことにならないか危倶する。