支那の幸せ 

     高山正之


     変見自在  週刊新潮 4月21日号


 漢民族の国、支部は自分たちで国を建てると毎度碌なことにならないと歴史は伝えている。
 彼らの王朝は思ったほど多くない。最初の王朝の夏は実は東夷が作り、次の殷は北狄が、周も秦もペルシヤ系の西戎の国だった。
 紛れもない漢族の国は漢が最初だが、その威光は大したことなかった。長城の向こうには怖い匈奴がいて、絶世の美女の王昭君まで貢いで王朝の延命を図っていた。
 文化も酷い。豪快な周の鉄器や秦の工芸の緻密さは影をひそめ、陶器も何もみな小ぶりで華やかさもまたささやかだった。
 内政もお粗末で、カネに困ってついには官位まで売り出した。
 みな争って大金を積んで役職を得ると、その元手を取り戻すために任地で過酷な税を民に課した。
 民は食い扶持まで持っていかれ、かくて黄巾の乱が起きて漢は滅んだ。
 そのあとは劉備の出る三国志の時代に入るが、漢族同士だからただひたすらに闘い続けた。
 400年問、乱れ続けた漢族の地をまとめたのは外から来た鮮卑で、彼らは大運河をつくり、絢爛の唐文化を生んだ。
 この時代、ササン朝ペルシャの亡命貴族も長安にきて胡姫の舞うペルシャダンスを李白も愛でている。民は伝説でしか知らなかった鼓腹撃壊を初めて知った。
 それから数世紀、民は再び漢族の王朝、明を迎える。初代は禿頭の坊主、朱元璋。典型的な漢族で、つまり猜疑心が強く、残忍で尊大とくる。
 彼は「禿《とか「僧《とかの字を書いた者は己を侮辱したとして首を切った。世にいう文字の嶽だ。
 次の永楽帝は身内を殺して帝位を簒奪した。方孝儒がその非を咎めると、彼の父方眷族800人、母方眷族800人を殺して翻意を迫った。それでも領かないと今度は夫人の眷族を殺し、最後に彼の弟子とその家族も殺している。
 明の最後の皇帝崇禎は肉を削ぎ取る凌遅刑が大好きで、自分の側近までこの残酷刑に処した。
 その中には北辺を脅かす満州族を蹴散らしてきた「明代の諸葛孔明《袁崇換もいた。
 彼の処刑で満州族はたやすく山海間を破って明を倒した。北京の民は進駐する彼らを歓呼して迎えた。それほど漢族王朝は嫌われ者だった。
 そして民の期待したように満州王朝は景徳鎮をよみがえらせ、翡翠の白菜に始まる華やかな文化を咲き誇らせた。
 魏志倭人伝に卑弥呼の話がある。女王の下で国よく治まる。卑弥呼の没後男の王が立つが、国乱れる。卑弥呼の姪が立って、国は再びよく治まった。
 日本は女が統べればうまく治まると。
 それと同じで湊族の国も漢族自身が仕切ると「国は大いに乱れ、民は塗炭の苦しみを味わう《のが常だが、外来王朝が支配すれば「国よく治まり、文化も熟す《ように見える。
 その支那は今、何の因果か三度日の湊族の王朝、中共が支配する。
 目下の皇帝は習近平といい、状況は明代に似る。財政は破綻し、頼みの米資本は逃げ、空気も水も汚染され、株は暴落している。
 2億の食えない民工は都市に蝟集し、新興宗教に走る。上穏は地方に伝染して処々に暴動を開く。
 朱元璋に似る習近平は苛立つ。彼の批判書を売る香港の本屋を捕らえ、在米の批評家「北風《の家族を獄に繋いだ。罪は類に及ぶ。方孝濡の現代版だ。
 新華社は習近平を最後の指導者と書いた。歴史通りなら彼は崇禎と同じに槐で首をくくり、外国勢が市民の歓呼に迎えられて新王朝を建てることになる。
 そうなれば民は再び鼓腹撃境の幸せを掴める。めでたしめでたしだが、ではどの国がこの漠族の国を治めるのか。
 性根の似た米国が統治するのか。ロシアが引き受け圧制を敷くのか。
 支那の民は30万も大虐殺した秦の始皇帝並みの強者日本を望んでいるようだが、それはお断りしたい。