(寄稿)

  精神世界、無関心な私たち

    高村薫 作家


    2018年7月10日05時00分 朝日新聞

 
   

 たとえ凄惨な無差別テロを引き起こしたカルト教団の幹部たちであっても、いざ七吊も一度に死刑が執行されてみれば、さすがに気持ちがふさぐ。

 死刑制度の是非はべつにして、かくも重大な反社会的行為が身近で行われていた数年間、日本社会はいったい何をしていたのだろうか。私たちはオウム真理教の何を恐れ、何を断罪したのだろうか。教祖らの死刑執行を受けてあらためてそんな自問に駆られる傍らには、教団の反社会性を看過し続けた私たちの無力と無関心、さらには一方的なカルト宗教批判に終始したことへの自省や後悔が含まれている。また、教祖らの逮捕から二十三年、日本社会がこの稀有な事件を十分に言葉にする努力を放棄したままこの日を迎えたことへの絶望も含まれている。

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 裁判では、宗教教義と犯罪行為の関係性は慎重に排除され、一連の事件はあくまで一般の刑法犯として扱われたが、その結果、神仏や教祖への帰依が反社会的行為に結びつく過程は見えなくなり、宗教の犯罪という側面は手つかずで残された。しかしながら、どんなに異様でも、オウム真理教は紛れもなく宗教である。それがたまたま俗世の事情で犯罪集団と化したのか、それとも教義と信仰に導かれた宗教の犯罪だったのかは、まさにオウム事件の核心部分であったのに、司法も国民もそこを迂回してしまったのである。

 形骸化が著しい伝統仏教の現状に見られるように、日本人はいまや宗教と正対する意思も言葉ももっていない。この精神世界への無関心は、理性や理念への無関心と表裏一体であり、代わりに戦後の日本人は物質的な消費の欲望で人生を埋めつくした。地道な言葉の積み重ねを失ったそういう社会で、若者たちの求めた精神世界が既存の宗教でなかったのは、いわば当然の結果だったと言える。彼らは伝統仏教の迂遠な教義と権威を拒否し、手っ取り早いヨガの身体体験に出会って社会に背を向け、疑似家族的なカルト教団に居場所を求めたのである。

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 しかし、そんな彼らをただ稚拙と笑うことはできない。どんな宗教も、始まりは何かしらの神秘や秘儀の体験である。ヨガの特殊な呼吸法や、数千数万時間もの瞑想が身体にもたらす特殊な意識状態は、宗教が標榜する秘儀の正体であり、人はそこに神や超自然を発見する。そうした宗教の発生原理を見れば、教祖麻原彰晃の出発点がヨガだったのは紊得のゆく話である。

 ヨガはわりに効率よくこの特殊な意識体験を得られることから、古来インドでは宗教とよく混交してきたが、麻原を教祖と仰いだ若者たちも、その多くが入信前後の早い段階でクンダリニー(生命エネルギー)が身体を貫くなどの決定的な身体体験をしたことが知られている。そして自分の身体に起きる直接体験ほど強力な体験はないため、彼らは一も二もなく教祖の教えを信じたのだが、傍目にはどんなに無理筋の教義でも、信心は道理を易々と超えてゆく。

 そしてもちろん、信心と帰依は信仰の本態である。また信仰は本来、自身を守るための殉教や殺戮もあり得る絶対上可侵の世界であり、もとより社会制度や通念とは相容れないところで立っている。オウムをめぐる言説の多くが生煮えに終わったのは、信仰についてのそうした本質的な認識が私たちに欠けているためであり、自他の存在の途絶に等しい信心の何たるかを、仏教者すら認識していないこの社会の限界だったと言えよう。

 それでも、いつの世も人間は生きづらさを和らげる方便としての信仰を求めることを止めはしない。オウム真理教が私たちに教えているのは、非社会的・非理性的存在としての人間と宗教を、社会に正しく配置することの上断の努力の必要である。

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 たかむら・かおる 作家 1953年生まれ。93年『マークスの山』で直木賞。2009年『太陽を曳く馬』で元オウム信者を描いた。『土の記』で17年の野間文芸賞、大佛次郎賞。