私たちには世界の半分しか見えていない
  軍事力で臨めば憎悪と復讐が心に積もる
 

   菅原文太さん他界1年妻文子さん寄稿

     東京新聞11月29日(日)



 フランスの悲しみや怒りを世界に届けるメディアは数多くある。彼らの声は大きく、よく響く。悲しみの場所に花束が集まり、ローソクの灯が連なる。その明るさは遠い日本まで届く。ビールやワインを片手に、存分に語り合う自由も、そこにはある。

 しかし、多くの市民たちを殺害し、自らの若い生命もその場に捨てたイスラームの人たちの声を届けるメディアの声は、あまりにも小さい。だから私たちには、世界の半分しか見えていない。半分は明るく、半分は暗い半月を見るようだ。

 欠けた半月の暗闇に生きる人々の声が伝わらない限り、犯人たちの母や妻、きょうだいや子供たちの悲しみと嘆きが聞こえてこない限り、私たちは明るい半分の月が伝えることのすべてが真実なのかどうか、信じて良いのかを決めることはできない。

 半月の暗闇では、パリでそうであったように、倊返しの空爆で殺された人々に花束が積まれているのか、ローソクが惜しみなく燃えているのか、かつて私たちの国の暗い戦争の時代に、妻や母や子が、夫や息子や父の死を悲しみ嘆くことが許されなかったように、半月の片側では今も許されていないのか、有無を言わせず赤紙一枚で戦地に引き立てられていったように、同じように命じられて死んでゆくのか、それらを知ることなしに、安全な場所から明るい半月の片側にだけ花束を捧げることはできない。

 そこにも富と自由が、ここと同じようにあるなら裁きのつけようもあるが、富も自由も乏しいなら、私たちはそれを痛み、悲しむことしかできない。アジアの辺境の島国から届けるのは爆音ではなく、平和への願いと祈りであり、それを力強いものにするために戦っている者たちが少しでもいるという希望だけだ。

 大国の軍需産業の強欲の前に、世界の理性と叡智は声もなく色褪せる。テロに軍事力で臨む時、その爆音の大きさに大義は吹き飛び、憎悪と復讐の灰が地にも心にも積もり続ける。
     (原文のまま)

 辺野古基金
 米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾市)の吊護市辺野古への移設に反対する活動を支援し、沖縄の声を内外に発信する目的で今年5月に設立。アニメ映画監督の宮崎駿さんや菅原さんが共同代表を務め、今月25日までに約4億9200万円の寄付を集めた。辺野古で座り込みを続けるヘリ基地反対協議会などが8~9月に新聞に掲載した意見広告の費用などを支援している。

 すがわら・ふみこ
 1942年東京生まれ。 2009年、山梨県北牡市で、夫妻と友人らで農業生産法人・おひさまファーム竜土自然農園を設立。完全無農薬の有機農業を営む。
 沖縄に思いを寄せた俳優菅原文太さんが他界して28日で1年を迎えた。妻で辺野古基金の共同代表を務める菅原文子さんが琉球新報に寄稿した。