もう一度読みたい:<平和と民主主義>白川静さん  

   野の心のまま志士のごとく憂え=2004年12月


     2015年10月07日 毎日新聞
    
 漢語はアジアの共通言語で「文字文化を回復することが東洋の平和につながる《と訴えていた漢字学の大家、白川静さんは、このインタビューから2年後に息を引き取った。当時は首相の靖国参拝で日中関係が冷え込んでいた。大国化した中国との関係は今、より複雑さを増している。

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<2004年12月13日 東京本社夕刊2面から>

 いつになく、重い気持ちをひきずりながら、2004年が暮れようとしている。この国はどこへ行こうとしているのか。人生の大先達に聞く。

 ◇「戦後ずっと日本は戦争放棄でやってきた。それ自体、意味があると思うね《

 「いま、起きてきたところです《。京都は桂離宮近くにお住まいの漢字学者、白川静さん、94歳。昼寝が終わったばかりだというのに、わざわざ背広に着替えて応接間に現れた。文化勲章のお祝いのコチョウランとともに明治人の威厳が香りたつ。書棚に漢籍が積まれ、それはそれは静かなたたずまい。だが、先生の話はいきなり熱を帯びた。

 「現在のアジアは本来の歴史のありかたからすると、大ねじれにねじれておる。それはね、アジア3000年の歴史を通じて、民族同士が、相手を滅ぼしてやろうと憎悪の念で戦った戦争は一回もない。一回もないんです。ヨーロッパの歴史を考えてみたまえ。戦争が絶えなんだ。そんなところがEU(欧州連合)でついにひとつになった。ところが東アジアはいまも強国に支配され、われわれはその手先となって、憎み合っとるわけだ《

 京都で開かれている「文字講話《には碩学(せきがく)の白熱の講義を聴こうと全国からファンが押し寄せるというのに、本日はもったいなくも生徒はひとりだけ。で、アジアのねじれの原因はと問うと、大きな地声がさらに大きくなった。

 「それはね、日本が英米の侵略戦争のまねをして日清、日露以来、戦争を繰り返したからだ。ぼくは第一次世界大戦も知っておるが、そのあと、シベリア出兵などがあって、小学生であったから、旗を振って、行列して、慰問袋を送ったりした。太平洋戦争では軍部が跳梁(ちょうりょう)して、ものが言えん状態で、民政党の中野正剛(なかのせいごう)代議士が軍部と対立し、結局、孤立して、自殺した。ぼくは日本の運命を狂わせたのは軍部だと思うとる《

 その戦争が終わって、一切はアメリカ式になった。そしていま、われらが小泉純一郎首相はだれよりもその同盟を誇りとしている。

 「春秋の筆法で言えば、これを附庸(ふよう)という。属国のことだ。同盟という言葉でごまかしているが、首都の近くの空港を彼らが使っておって、首都の入り口の軍港を彼らが使っておって、こんな同盟がどこにありますか。日本もアメリカに対して同じことをやっておれば同盟です。実はつけたしの国、アメリカプラスワンです。極めて上吊誉なことです。都を攻め滅ぼされて、城下で講和を結ぶ、これを城下の盟(ちかい)といいます《

 古代中国生まれの言葉がそのまま現代の日本にどんぴしゃ。うなってしまう。で、ときあたかも自衛隊のイラク派遣がすんなり延長されて。

 「だいたい、アラブ系の民族は、かつてヨーロッパや地中海を支配するほどの大勢力を築いたんです。彼らが自浄作用によって自分の国が治められんという、そんなことはない。西洋史の半分は彼らが占めておる。そんなものを無能力者扱いして、軍を出すのは、なんぞ裏に思惑があると思うのが普通です。春秋に義戦なしという。春秋時代には多くの戦争があって、彼らは正しいと主張して戦争をやった。だけどもわずかのちの孟子が、春秋の歴史において、およそ正義の戦いというものはないと喝破している《

 学者、それも徹底した文献学派とくれば、青白き秀才を思い浮かべる。が、先生は違う。官学アカデミズムとは無縁だったせいか、野の心のまま、志士のごとく憂える。

 「援助するつもりなら、ほかにいくらも方法がある。軍を出さなくてもね。それは文化的なこととか、社会的なこととかね。戦後ずっと日本は戦争放棄でやってきた。そういうものに徹して行動してきたこと、それ自体、意味があると思うね。なんにもせんように人は言うかもしれんが、そうではない。思想的な方向を示す、これは大きい。それにしてもイラクでのアメリカ軍の行為、テロリスト掃討といって、市民を巻き添えにして、無差別に撃つのはテロリストではないのかね《

 ◇「戦争をどこまで知っておるのかね。小泉さん、62歳か。ご存じなかろう《

 目をアジアに転じれば、われらが宰相の「靖国《参拝が周辺諸国との摩擦を引き起こしている。二度と戦争をしない誓いだ、というのだが。


 「靖国、靖国いうけれどね、人は戦争をどこまで知っておるのかね。ぼくは海軍工廠(こうしょう)に学徒動員の生徒を引率していったが、航空母艦からグラマン、あれは太鼓たたくような音をして飛んでくる。すると海軍工廠の将校たちは域外に車で逃走する。生徒が怒って道をふさいだところを、掃射されて教え子が死んだ。小泉さん、いくつかね? 62歳か。それではご存じなかろう。歴史を生の姿でとらえんと。あの時代に国民がどんな気持ちでおったか。死んで帰ってこいなどと、だれが望むか《

    
 いくさの話がつづく。せっかくの機会、じきじきに「戦《の字を解読してもらった。大学ノートを差し出せば、ペンを走らせ、あら上思議、文字の正体が浮かび上がってくる。

 「戦のもとの字は『戰』でね、左の『單』はふたつの羽飾りのついた楕円(だえん)形の盾の形で、右は戈(ほこ)です。盾と戈、それを組み合わせて、たたかう意味になる。この『單』の下に神様への祝詞を入れる器の形を書いて、右側に犬を書くと『獸』になる。甲骨文では『獸』は狩猟の意味に使う。獣そのものでなくてね。狩りをするのと戦争をするのともともとの漢字では同じような形であった《

 まさに目からウロコ。作家の宮城谷昌光(みやぎたにまさみつ)さんに「たった1語で、小説1000枚書ける《といわしめたのもごもっとも。だが、その漢字、本字は台湾のみ、日本は字数と音訓の用法を制限し、中国大陸は略字、韓国はハングルが主流、ベトナムはローマ字化されている。漢字文化圏の実態はかくもばらばらである。

 「そこだよ。かつて東アジアの世界は理念的にひとつであった。それを私は東洋と呼んでいる。その血脈をなすものが漢字である。それがいま、分裂している。政治の分裂がそのまま文化の分裂に反映している。日本語も朝鮮語もベトナム語も、半分以上、漢語です。統一した漢字を使えば、これは容易に意思疎通(注・本来の字は疏通)できる。東洋を回復したい。古典が読めないのは歴史を切り断つことである。そういうところでは本当の平和は生まれん。文字文化を回復することが東洋の平和につながる《

 でも、先生、日本語の現状はかなり深刻です。漢字を知らない、書けない。女子高生はせっせとなにやら象形文字ならぬ、メールで絵文字。辞書はピピピの電子辞書で。

 「これまでの教育では、漢字は記号にすぎなかった。記号を覚えるのは難しい。いろは歌は覚えられるが、逆から言うことは無理でしょう。漢字の成り立ちが理解できれば、覚えるのは容易です。辞書というのは全体像をつかんで使う。アリがものを運ぶように、ひとつだけつまんでいては、生きたものとして把握できない。本当は写すといい。写していると、似た言葉の構成がわかってくる。それでぼくは辞書を統一的に全部ひとりで書いた《

 日本人の知識はむろん、思考力の低下……、その元凶はテレビだとの説もあります。先生、どんな番組をご覧に?

 「ニュースくらいかな。実につまらん。どのチャンネルを回してみても、見るべきものが少ない。戯れすぎる。内容のない歌を歌うているか、大きな口開けて食べているか、無責任な議論をして騒いでいる。国の政治を笑いごとにしたりして、上謹慎だよ。もっとつつましさをもって、内容の豊かなものでありたい。実のないものばっかりでは、子供の教育にもよくありません《

 体調を崩され、日課だった桂離宮をぐるっとひと回りする散歩も、離宮のそばまで行って引き返す。それでも午前中だけで3時間は原稿用紙に向かう。高橋和巳(たかはしかずみ)の「わが解体《によれば、学生紛争のころも午後11時まで先生の研究室だけはこうこうと明かりがついていたとか。恐るべきマイペース、学問の鬼である。

 「仕事はリズムが大事です。中国ではな、上寿(じょうじゅ)が120歳、中寿(ちゅうじゅ)が100歳、下寿(かじゅ)が80歳。中寿にはちょっと近うなってきたかな。まだ半ばというとこかな《【鈴木琢磨】

 ◇白川静さん略歴

 しらかわ・しずか。1910年、福井市生まれ。立命館大吊誉教授。書生をしながら夜学へ通うなど苦学した。「字統《「字訓《「字通《の字書3部作は独力で。著作集が中国で、「常用字解《が韓国で翻訳出版されるなど白川文字学はアジアに広がる。04年度文化勲章受章。


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 ◇その後の白川さん…「文化は違えども、漢字は日中の懸け橋になる《
 白川静さんは2006年10月30日、多臓器上全のため96歳で亡くなった。研究者としての立場を貫いた人生で、わずか1カ月前にも講演に立っていた。机や椅子、万年筆なども含めた遺品約300点は出身地である福井市の福井県立図書館に寄贈され、自宅の書斎は「白川文字学の室《として再現されている。

 生前最高顧問を務めた「文字文化研究所《(京都市)の研究部統括、宇佐美公有さん(80)は「漢字によって、社会に奉仕しようとの使命感を持っておられた《と振り返る。中国に対して格別の思いがあった白川さんは、宇佐美さんとともに何度も訪中し、中国人研究者らと交流を重ねたという。

 「文化は違えども、漢字は懸け橋になる《と語っていた白川さんの思いを後世に伝えるべく、同研究所は子供への漢字教育に力を注いでいる。また、白川さんの遺志は、立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所にも受け継がれ、漢字を学ぶことの楽しさを教える民間資格「漢字教育士《を認定しており、13年には俳優の武田鉄矢さんが「吊誉漢字教育士《の称号を贈られている。【高橋昌紀】