(憲法を考える)揺らぐ政教分離

    宗教学者・島薗進さん 


     2017年2月9日05時00分 朝日新聞
   
「戦前の自国中心(中華)思想や『神権的国体論』が、現政権下で一気に表出したかのようです《=金川雄策撮影

 「神武天皇の偉業《「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)《――。安倊政権の閣僚や自民党議員から神話由来の発言が飛び出す。何の兆候なのか。宗教と社会のかかわりを見つめてきた島薗進さんは、戦前・戦中、全体主義へと突き進んだ日本を下支えした宗教ナショナリズムの再来を見てとる。政治と宗教の接近をどう考えるべきか、話を聞いた。


 ――今年の初め、安倊晋三首相は閣僚らと伊勢神宮に参拝しました。歴代首相の恒例行事となっています。民進党の蓮舫代表も参拝しました。

 「東京裁判でA級戦犯とされた戦争指導者が合祀(ごうし)されている靖国神社への首相らの参拝は大きく報道されますが、伊勢参拝にはほとんど関心が払われていません《

 「しかも、靖国参拝では中国や韓国の反応ばかりが報じられ、もっぱら外交問題としてとらえられているようです。首相らの参拝は憲法が定める政府と宗教の分離との兼ね合いで問題はないのかという点が、見過ごされてきました《

 ――首相らの伊勢神宮参拝は、一般の『お伊勢参り』の感覚で受け止められがちです。

 「まず、伊勢神宮がどんな場所か、幕末、明治維新にさかのぼって考えましょう。幕府を倒し近代国家を立ち上げるため、国を統合する柱が必要とされました。そこで浮上したのが尊皇思想です。古代の祭政一致が日本本来の制度であり、そこに立ち返る。また、日本は『天孫』(天照大神の孫であるニニギノミコト)以来の『万世一系』の天皇中心の国家だとする『国体』理念が掲げられました。天照大神をまつるのが伊勢神宮です。明治政府は1871(明治4)年、人々の生活に密着した神祇(じんぎ)信仰を神聖な帝国の信仰体系に変える政策をとったのです《

 「神聖な天皇が国家の中心だという『国家神道』の精神はやがて、個人の生活や習慣、考え方にまで及んでいきます。『臣民』である国民に天皇への忠義を教える聖典となった教育勅語が大きな役割を果たし、日本は全体主義への道を突き進みました。伊勢神宮が国家神道の中心施設だった歴史を忘れるべきではありません《

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 ――2013年の伊勢神宮の式年遷宮の際、安倊首相は「遷御の儀《に参列しました。現職首相の参列は、1929年の浜口雄幸首相以来でした。

 「神道で国家行事を行うようなもので、憲法が定める政教分離に照らして大きな疑問のある行為です。16年のG7サミットも伊勢志摩で行い、伊勢神宮で、通常は入れず正式な参拝の場である『御垣内(みかきうち)』に各国の首脳を導いています。外交行事に特定宗教を持ち込んだという疑念がぬぐえません《

 ――安倊政権の閣僚の多数は、神社本庁が中心となって作った神道政治連盟(神政連)や、日本会議の国会議員懇談会に属していますね。

 「神政連と日本会議に共通する特徴は、戦前の天皇中心の国のあり方をよしとし、それを支える『神権的国体論』を日本の誇るべき伝統だと考えていることです。これは、他国に例のない万世一系の神聖な王朝が続き、さかのぼると神に至るすぐれた国柄である、という考え方です。2000年、当時の森喜朗首相が『日本は天皇中心の神の国』と発言して批判を浴びましたが、この発言はこれらの団体の主張と重なります《

 「神政連は、政教分離を定めた憲法20条3項の削除も主張しています。政権中枢にいる多くの政治家たちがこれらの団体に所属していること自体が、大きな問題なのです《

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 ――昨年11月、「明治の日《実現を求める集会で稲田朋美防衛相が「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つに頑張りたい《と発言し、驚きました。稲田氏は二つの団体と関わりが深い政治家です。

 「神武天皇は初代天皇として、軍事的な『偉業』を遂げて神としてまつられている神話上の人物です。『国家神道を取り戻すために頑張る』と言っているようなもので、日本会議や神政連の影響力が強まっているのではないか《

 「全体主義化が進んだ1930年代を思い起こさせます。明治憲法の体制は、西欧から輸入した近代立憲主義と、神権的国体論という二つの緊張関係にある理念を内包していました。やがて、神権的国体論にのみ込まれるようなかたちで、立憲主義は息の根を止められてしまいました《

 「決定的にしたのが35年の『天皇機関説事件』です。統治権は法人である国家にあり、天皇もその機関にすぎないという憲法学説が『国体に反する』と右翼や軍部の攻撃を受け、機関説を唱えた東大教授の美濃部達吉は公職を追われ、著書は発禁となりました《

 ――戦後にできた憲法はその神権的国体論を否定し、日本は再出発したのではないでしょうか。

 「ところが、社会からは消えることなく残りました。日本会議や神政連にみられる、神権的国体論を尊ぶ思想は、今の政権とつながっています。戦後も長く社会の底でくすぶっていた立憲主義と神権的国体論の対立が、表に現れてきたのです《

 「危機にあるのが立憲主義です。2012年末に現政権ができて以降、憲法改正に必要な条件を緩めようとしたり、憲法9条の下では認められないとしてきた集団的自衛権の行使を可能にする安全保障法制を強引に成立させたりする行為が積み重なってきました《

 「国家神道の復興に向けた動きは、憲法が保障する信教の自由や思想・信条の自由を脅かすことになりかねません《

 ――日本がとる政教分離原則は、諸外国に比べ厳格だという見方もあります。

 「政教分離の形はその国がたどってきた歩みで異なります。フランスのように厳格な国もあれば、大統領就任式で新大統領が聖書に手を置いて宣誓する米国のような例もある。日本は国民統合の象徴である天皇が神道祭祀を行っており、そもそも厳格な分離とは言えません。戦前・戦中に国家神道の国教的な地位が強化され、天皇への礼拝や『自己犠牲』が強制された過去を忘れてはなりません《

 「靖国も伊勢も政治家が私人として参拝することは問題ありませんが、公人の参拝は特定の宗教への肩入れとなります。かつて、一つの世界観で塗りつぶされ公私の区分がなくなった反省に立って、政教分離が憲法に明記された意味を思い起こしてほしい《

 「立憲主義の核心には、多様な生き方考え方を守り、国家が個々人に特定の信念を強要することを許さない、という理念があります。日本の精神文化を豊かにしてきたのは、仏教や神道、儒教、キリスト教など多様な宗教で、政教分離は多様な信念体系の共存を守るものなのです《

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 ――11月3日の「文化の日《を「明治の日《に、と求める運動の背後には何があるのでしょうか。

 「暦は人心への影響が大きいです。明治政府の下でも天皇崇敬を国民に鼓舞するため、1873(明治6)年までに天皇崇敬と上可分の様々な祝祭日が作られました。その一つが紀元節で、2月11日が『神武天皇即位の日』とされました。戦後、廃止されましたが紀元節復活運動を受け、66年、この日は『建国記念の日』になりました。さらに79年に元号法制化、2005年の『昭和の日』制定と続きます。『明治の日』に向けた動きもその流れにあります《

 ――しかし、昭和天皇は人間宣言をし、日本国憲法で「象徴《になりました。平成の天皇の歩みを振り返っても、「国民統合の象徴《として憲法の価値を積極的に支えてきたように思えます。

 「『神聖』な天皇と決別し、多様な精神文化や思想的な立場を共存させ、国民統合の『象徴』として存在する。それが憲法上の天皇の位置づけです。昨年8月の『お言葉』で天皇ご自身が、人間の弱さや限界を認め、常に国民とともにあることを強調された。神聖な天皇ではなく人間天皇として語ろうという意思と受け止めました《

 「国家神道の考え方が戦後も温存された理由の一つは、皇室祭祀(さいし)が続いたことでしょう。しかし、その祈りの質も変わりました。『天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした』という『お言葉』から感じたのは、日本国憲法と適合するものに祈りの質を変えようと、模索してこられた姿です。一人の人間として他者のために祈るという天皇のあり方が、立憲主義と民主主義を支えつつ、神聖国家への回帰を防ぐ役割を果たしているように見えます《

 ――日本国憲法施行から5月で70年ですが、私たちは歴史のどこにいるのか、考えさせられます。

 「米国で大統領の排外主義的なふるまいが憲法の価値を揺るがしているのは、他人ごとではありません。立憲主義を定着させるか、神聖天皇の過去へ回帰するのか。考えるべきときでしょう《

 (聞き手 編集委員・豊秀一)

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 しまぞのすすむ 1948年生まれ。上智大教授、東京大吊誉教授。専門は日本宗教史で国家神道の歴史に詳しい。著書に「国家神道と日本人《(岩波新書)など。