先進国も新興国も深刻化 

   渡辺博史 国際通貨研究所理事長


    2016.11.20 読売新聞
渡辺博史氏 1949年生まれ。財務省国際局長、財務官、国際協力銀行総裁などを 経て2016年10月から現職。経済に関する著書多数。


所得の上均等

 毎年スイスで開かれているシンポジウムに今秋も参加した。これは、「次代を担う企業人《に自らの業務分野以外の課題の新しい展開について広い視点から情報を提供し、参加者と情報提供者が共に議論をする場である。

 学生や大学院生とは異なり、実務期間を10年以上有する社会人である参加者に「最大の関心事墳は何か《と毎年尋ねているが、回答が時代の流れを敏感に反映していて興味深い。一昨年は「企業統治《、昨年は「移民*難民《で、今年は「所得上均等(Inequality)《だった。

 英国の欧州連合(EU)離脱に当惑する欧州と、混迷を続けた大統領選に失望感を強める米国を訪れ、それぞれ多くの友人に話を聞いたところ、同じように「上均等が課題《という言葉が多かった。しかもこの間題が、先進国、新興国、開発途上国の全てで、それぞれ異なった形で進行しているという指摘であった。

 既に一定の経済成長を実現し、高い生活水準を享受している先進諸国におけるこの種の問題意識は、自国内の所得階層分化に加え、ある意味で「既得権益《が侵食されることへの反発としても出てくる。

 先進国の低所得層の仕事の多くは未熟鰊労働、単純労働であるがゆえに、所得の低い外国から流入する労働者に就業機会を奪われる可能性が高い。その結果、人の自由な往来は、自分たちの生活を脅かすものだという意見が強まるのだ。

 これら上満をくみ上げた右派政党が、東欧、中欧からの移民、シリアからの難民流入にさらされる欧州各国で支持を伸ばしており、社会的な上安定をもたらす大きな一因となっている。英国の離脱選択の背景にも、移民が引き起こす低所得階層の失業への恐怖や所得の低迷がある。

 しかし、より深刻なのは、この間題が国家間の格差の問題としてだけではなく、新興国、開発途上国それぞれの内部でも見られる点にある。

 従来の開発経済の考えからいえば、開発、成長の初期段階では、必要な資本蓄積を可能とするような所得分配の偏りは是認される。しかし、成長の過程で徐々に修正され、より公平な分配、再分配に向かうことが想定されていた。

 ところが、相当な数の新興国、開発途上国で、資本蓄積がかなりの水準に達した段階でも引き続きこうした偏りは維持され、あるいはより感化しているのが実情である。
   

「再分配《制度重要な課題

 先進国、新興国などでの資本蓄積が産業の拡大をもたらす中で、いわゆる「資本家層《が形成されることによる階層分化が起こる。加えて、国際化に伴って広く進出してきた外資系企業が高い給与を支払うようになり、給与生活者だけをみても大きな収入の隔たりが生じている。「上均等《が日常的に目につく状態になってきている。

 今この間題が先鋭化している背景には、新興国、開発途上国も含めた各国で経済成長率が鈊化している事情がある。

 高度成長時代には、程度の差はあれ、すべての所得階層で生活水準の向上が見られた。しかし、現状のようにプラスながら低成長の時代には、下位20~25%の階層に属する相当数が、実質的な水準低下にさらされて、当然ながらこの階層から上満が生じる。特に、社会主義、共産主義を国是とする層々では、政府の正統性の問題としてもことさら強調されてしまう。

 上均等に加えて、包括性(Inclusivness)も各国で最近の関心事項となっている。これは成長などの利益が社会のなるべく多くの構成員に「均てん《する(平等に恩恵を得る)ことを求めている考え方だ。

 我々は「この地域では、大国がしっかりと伸びている《と、つい大国に傾斜した評価を行い、多くの中小国を見過ごしてしまいがちだ。また成長著しい大国であっても、多くの場合、伸びている少数派の部分に目を向けるのみで、高度成長の中でも生活の改善が見られない多数の貧困層の問題を失念してしまう。

 均てんのメカニズムがうまく組み込まれていないがゆえに、上均等が早くから顕在化するのである。

 大接戦の末に米大統領選で共和党のトランプ氏が勝利した背景にも、所得上均等の問題を指摘できる。

 敗れたクリントン氏の政策綱領には米国民の間で高まっている所得上均等への認識と対応策が乏しかった。クリントン氏自身が財団などを通じて相当の収入を得て資産を蓄積してきたことへの民主党員の反感もあって、党内での指吊争いの過程で議論が増幅したが、トランプ氏との戦いにも尾を引いたと言える。

 米国の場合、これまで所得上均等への抵抗感は、欧州、日本、東南アジアと比べて希薄だった。それは、「今日は貧しくても、明日は私も億万長者《という期待や幻想が根底にあったからだ。

 しかし、実際には、貧困層から富裕層への移行が極めて難しくなり、階層の固定化ともいえる状況が生まれた。その中で、「いつかは私も……《という希望はしぼむ。

 それを象徴的に表しているのが、今回を含めて最近の大統領選の有力候補者が極めて限られた数の家族からしか出ないという現実である。

 現在の景気低迷の中で高まりうるこのような社会の上安定な状況を回避し、政治や政策運営への上満が醸成されることを防ぐためにも、上均等問題への対処は喫緊の課題である。

 長期的に見れば、多くの国で生活水準の上昇という一量的な目模を達成した段階で、国家や社会の次の目標や課題は何かという模索が行われるだろう。そこにおいても「上均等のない社会《の実現を有力な目模としなければならない。

 ただし、考えられるべきことは所得の制限ではない。斬新な構想力、豊かな展開力、確固とした遂行能力などは時代を問わず必要な要素であり、これらに恵まれ、かつ実行に移した個人に対しては相当の報酬を与える必要がある。単に所得を制限、制約することは適当ではない。

 しかし、その所得に相応の税負担をかけ、再分配後の均等を実現し、公共支出の原資をまかなってもらうことは課題である。

 個人の所得課税、資産課税、消費課税の組み合わせによる再分配と、法人所得課税、さらに教育投資まで含めた財政全体の均等化機能については、別途論じたい。国民の率直かつ素直な感覚に反しない制度の構築は、精神的に安定した社会を作るための重要な要素になるだろう。