「敗けた」ということ 

   戦後の繁栄色あせ 敗北認めぬゆがみ 欲求上満で噴出
   被害者意識の中で「仕方ない《と流し 自分の言葉失った


      2014.01.24 投稿

「永続敗戦」を提起している 白井聡さん

77年生まれ。文化学園大学助教。専門は社会思想・政治学。著書に「永続敗戦諭《「「物質』の蜂起をめざして《「未完のレーニン《。

 「新しい国へ《「グレートリセツト《と語気を強める政治家が拍手を浴びる、戦後68年目の夏。私たちは「何か《を、なかったことにしたがっているようだ---いったい、何を?そして、なぜ?戦後日本が大切に紡いできた「平和と繁栄《の物語の読み直しに挑んでいる、社会思想史家の白井聡さんに聞いた。

  ------ 歴史認識をめぐって、みんなが言いたいことを言うようになっています。「タガが外れた《感があ りますが、これまで何が、日本社会のタガとなっていたのでしょう。

 「それは、戦後日本を象徴する物語たる『平和と繁栄』です。『中国や韓国にいつまで謝り続けなき ゃならないのか』という上満に対して、『これは遺産相続なんだ』という説明がされてきました。遺産 には資産と負債がある。戦争に直接責任がない世代も戦後の平和と繁栄を享受しているんだから、負の 遺産も引き受けなさいと《

 「しかしいま、繁栄は刻一刻と失われ、早晩、遺産は借金だけになるだろう。だったら相続放棄だ、 という声が高まっています《

 「そもそも多くの日本人の主観において、日本は戦争に『敗けた』のではない。戦争は『終わった』 のです。1945年8月15日は『終戦の日』であって、天皇の終戦詔書にも降伏や敗戦という言葉は見当た りません、このすり替えから日本の戦後は始まっています。戦後とは、戦前の権力権造をかなりの程度 温存したまま、自らを容認し支えてくれるアメリカに対しては臣従し、侵略した近隣諸国との友好関係 はカネで買うことによって、平和と繁栄を享受してきた時代です。敗戦を『なかったこと』にしている ことが、今もなお日本政治や社会のありようを規定している。私はこれを、『永続敗戦』と呼んでいま す《

  ------ 永続敗戦・・・・。言葉は新しいですが、要は日本は戦争責任を果たしていないという、いつもの あの議論ですね。

 「そう、古い話です、しかし、この話がずっと新しいままであり続けたことこそが、戦後の本質で す。敗戦国であることは端的な事実であり、日本人の主観的次元では動かせません。動かすには、もう 一度戦争して勝つしかない、しかし自称愛国者の政治家は、そのような筋の通った蛮勇を持ってはいま せん《

 「だからアメリカに臣従する一方で、A級戦犯をまつった靖国神社に参拝したり、侵略戦争の定義がど うこうと理屈をこねだりすることによって自らの信念を慰め、敗戦を観念的に否定してきました。必敗 の戦争に突っ込んだことについての、国民に対する責任はウヤムヤにされたままです、戦争責任問題は 第一義的には対外問題ではありません。対内的な戦争責任があいまい化されたからこそ、対外的な処理 もおかしなことになったのです《

 「昨今の領土問題では、『我が国の主権に対する侵害』という観念が日本社会に異常な興奮を呼び起 こしています、中国や韓国に対する挑発的なポーズは、対米従属状態にあることによって生じている 『主権の欲求上満』状態を埋め合わせるための代償行為です。それがひいては在特会(在日特権を許さ ない市民の会)に代表される、排外主義として表れています。『朝鮮人を殺せ』と叫ぶ極端な人たちに は違いないけれども、戦後日本社会の本音をある方向に煮詰めた結果としてあります。彼らの姿に私た ちは衝撃を受けます。しかしそれは、いわば私が自分が排泄した物の臭いに驚き、『俺は何を食ったん だ?』と首をひねっているのと同じです《

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  ------ 左派リベラルは、なぜタガになり得なかったのでしょうか。

 「左派の最大のスローガンは『平和憲法を守れ』でした。復古主義的な権力者たちに憲法をいじらせ てはならないという時代の要請に応えたものではあったのですが、結果的には『平和がいいよね』とい うものすごく単純な心情にのみ訴えかけて大衆動員をはかろうという、政治的には稚拙なキヤンペーン になってしまいました《

 「繁栄が昔日のものとなる中で急激に平和も脅かされつつあるという事実は、戦後社会に根付いたと 言われてきた平和の理念が、実は戦後日本の経済的勝利に裏付けられていたに過ぎなかったことを露呈 させています。左派はこのことに薄々気づいていながら、真正面から向き合おうとはしてこなかったと 思います《

  ------ 右も左もだめなら、タガは外れっぱなしですか。

 「海の向こうからタガがはめられていることが、安倊政権下で顕在化してきました。鳩山政権時代、 日米同盟の危機がしきりと叫ばれましたが、それは想定内の事態でした、米軍基地をめぐりアメリカに たてついたのですから。ところが安部政権は対米従属の性格が強いにもかかわらず、オバマ政権から極 めて冷淡な対応を受けています。非常に新しい事態です。これはなんと言っても歴史認識問題が大き い。当然です。アメリカにしてみれば、俺たちが主導した対日戦後処理にケチをつけるのか、お前らは 敗戦国だろうと。『価値を共有する対等な同盟関係』は、日本側の勝手な思い込みに過ぎなかった。対 米従属が危うくなっているということは、端的に『戦後の終わり』を意味します《

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  ------ そんな中、被害者意識を核にした物言いが目立ちます。

 「被害者意識が前面に出てくるようになったきっかけは、拉致被害問題でしょうね。ずっと加害者呼 ばわりされてきた日本社会は、文句なしの被害者になれる瞬間を待っていたと思います。ただこの被害 者意識は、日本の近代化は何だったのかという問題にまでさかのぼる根深いものです《

 「江戸時代はみんな平和にやっていたのに、無理やり開国させられ、富国強兵して大戦争をやったけ ど最後はコテンパンにたたきのめされ、侵略戦争をやったロクでもないやつらだと言われ続ける。なん でこんな目に遭わなきやいけないのか、近代化なんかしたくてしたわけじゃないと、欧米列強というか 近代世界そのものに対する被害者意識がどこかにあるのではないでしょうか。橋下徹大阪市長の先の発 言にも、そういう思いを見て取れます《

  ------ しかし、被害者意識を足場に思考しても、何か新しいものが生まれるとは思えません。

 「その通りです。結局いま問われているのは、私たちが『独立して在る』とはどういうことなのかと いうことです。いま国民国家の解体が全世界的に進行し、大学では日本語での授業が減るだろうし、社 内公用語を英語にする企業も増えている。この国のエリートたちはこれを悲しむ様子もなく推奨し、み んなもどこかウキウキと英語を勉強しています。このウキウキと日本人の英語下手は一見背反する現象 ですが、実はつながっているのではないでしょうか《

  ------ どういうことでしょう。

 「英語が下手なのは、言うべき事柄がないからですよ。独立して在るとは『言うべき言葉』を持つこ とにほかならない。しかし敗戦をなかったことにし、アメリカの言うなりに動いていればいいというレ ジームで生きている限り、自分の言葉など必要ありません。グローバル化の時代だと言われれぱ、国家 にとって言語とは何かについて深く考察するでもなく、英語だ、グローバル人材だと飛びつく。敗戦の 事実すらなかったことにしているこの国には、思考の基盤がありません《

 「ただし、仮に言うべきことを見つけても、それを発するには資格が必要です。ドイツだって『俺た ちだけが悪いのか』とそりゃあ内心言いたいでしょう。でもそれをぐっとこらえてきたからこそ、彼ら は発言できるし、聞いてもらえるのです《

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 「言うべきことがないことと、『仕方ない』で何事もやり過ごす日本人の精神風土は関係しているの でしょう。焦土から奇跡の復興を遂げて経済大国になったという国民的物語においては、戦争が天災の ようなものとして捉えられています。福島第一原発事故についても、いっときは社会が脱原発の方向へ と動いたように見えましたが、2年が経ち、またぞろ『仕方ない』という気分が広がっている。自民党政 権はなし崩し的に原子力推進に戻ろうとしているのに、參院選での主要争点にはなりそうにありませ ん《

  ------ 「仕方ない《の集積が、いまの日本社会を形作っていると。

 「その代表が原爆投下でしょう。日本の自称愛国者たちは、広島と長崎に原爆を落とされたことを 『恥ずかしい』と感じている節はない。被爆の経験は、そのような最悪の事態を招来するような『恥ず かしい』政府しか我々が持ち得なかったことを端的に示しているはずなのに、です。原発事故も、政官 財学が一体となって築き上げた安全神話が崩壊したのですから、まさに恥辱の経験です。『仕方ない』 で万事をやり過ごそうとする、私たちの知的・倫理的怠惰が、こういう恥ずかしい状況を生んでいる。 恥の中に生き続けることを拒否すべきです。それが、自分の言葉をもつということでもあります《   (聞き手・高機純子)