朝日新聞 座標軸

民主主義のページ開くには

2013/5/3付

論説主幹大野博人
 「自主憲法《を制定しなければ、ほんとうの独立や主権回復はない---。そう考える立場からは、ほかの国と憲法を共有する試みなど想像を絶するだろう。
 しかし今日、欧州連合(EU)ではそれが現実だ。27カ国で結ぶリスボン条約はいわばEUの「憲法《だ。意思決定の仕組みを定め加盟国を拘束する。
 欧州は1950年代から、基本条約の改編を繰り返しながら現条約へと統治の骨格を築いてきた。そのたびに加盟国は自国の憲法や法律を見直した。
 日本で憲法96条の改正を主張する人たちが強調するとおり、フランスやドイツはしばしば改憲している。しかし、その中には主権の一部をEUに譲り渡し、国家の役割を再調整するための改正が少なくない。
 国家の本質にかかわる改憲である。ただ、その原動力は主権へのこだわりではない。むしろ逆だ。
 27カ国が「憲法《を共有する。無謀とも見える動きがなぜ欧州で進むのか。日本とは無縁なのか。

 国家超えた「憲法《

 近年、世界は次々と新しい脅威にさらされるようになった。金融危機、感染症、温暖化、テロ……。
 人や物、金、情報が国境を超えて行き交う時代、問題もグローバル化する。個別の国家だけでは解決をもたらせなくなっている。
 たとえば国際機関での経験も豊富な英オックスフォード大学のイアン・ゴルディン教授は近著「分裂した国々《の中で、国策主権を外からの干渉を受けない権利とばかり考えていても意味はないと指摘する。むしろ国の力は「グローバル世界の仲間をうまく活用して、国境などおかまいなしの危機を打開する能力でこそはかられるべきだ《。
 市場ばかりか「憲法《まで共有する欧州統合は、そんな時代からの挑戦に応えるひとつの実験だ。
 たしかに今、南欧諸国は債務問題で揺れ、英国ではEU離脱の世論が高まっている。厳しい試練の中にある。それに東アジアはEU型の試みがなじむ環境にない。解決策のモデルと見るのは難しい。だが、一国の手にあまる問題が日に日に広がる現実は東アジアにも同じようにのしかかる。

 難題解く統治とは

 仏独でも改憲のハードルは高い。それでも国家主権を相対化する改正を重ねるのは、国の枠にとどまる眼界を感じるからだろう。一方、東アジアの国々では、肥大したナショナリズムで国家主権を絶対化する言説がはばをきかせるばかり。
 激変する時代の難題を解決できるのはどんな統治のかたちか、それに正当性をもたらせるのはどんな民主主義か。
 そんな視点から民主主義の新しいページを開くために憲法を変えるのなら、ためらう理由はない。だが、わざわざページをめくりやすくして、時代の流れと反対の場所に向かってみても、世界はもうそこにはいないだろう。