【正論・戦後72年に思う】

   昭和20年8月15日が、どうして「敗戦《ではなく
   「終戦《なのか  

    防衛大学校吊誉教授・佐瀬昌盛


    2017.08.10 SANKEI



 間もなく「終戦の日《がくる。しかし私には分からないことが多い。そもそも昭和20年8月15日が、どうして「終戦《なのか。「敗戦《ではないのか。当時「国民学校《5年生の私にとって、それは紛れもなく敗戦であった。

≪第三者的で痛みを伴わない≫

 当時、わが一家が住んでいた奈良は米軍の空襲こそ受けなかったものの、代用食と称してサツマイモを食べ、それどころか苗床のイモヅルまで食べた。米兵にはチューインガムをせがんだ。「欲シガリマセン、勝ツマデハ《の戦時スローガンは雲散霧消していた。

 後年調べた経済協力開発機構(OECD)の統計によると、「大東亜戦争《開戦時の昭和16年、日本の国内総生産(GDP)は2045億ドル強、米国のそれは1兆1002億ドル強。実に5倊の大差だった。しかも敗戦時の昭和20年には日本のGDPは987億ドル強、つまり大戦による疲弊のゆえに開戦時の半分以下に落ちた。これで勝てるはずはなかった。

 いったい「敗戦《がどうして「終戦《になったのか。「終戦《には価値判断が欠けており、第三者的で痛みを伴わない。他方「敗戦《には屈辱感が漂う。それを教えてくれるものに、外務省編『終戰史●』(昭和27年5月、新聞月鑑社刊)がある。それはさながら終戦オンパレードの文献である。


≪鈴木貫太郎の本心は何だったか≫

 まず「序《を書いた文書課長の三宅喜二郎は「…『終戰』の經緯は開戰の經緯とともに、太平洋戰爭史の重要な一環であることは勿論、…現代日本史のクライマックスであつたと言える《と書く。

 また、「朕深ク 世界ノ大勢ト 帝國ノ現★トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ 時局ヲ收拾セムト欲シ 茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク《で有吊な、玉音放送当日の首相・鈴木貫太郎海軍大将の「終戰の表情《も収録されて、「…余としては今次の戰爭は全然勝目のないことを豫斷していたので、余に大命が降つた以上、機を見て終戰に導く、そうして殺されるということ《とある。

 私見では、これでは辻褄が合わない。鈴木貫太郎は本心では「終戦《ではなく「敗戦《と書きたかったのではないか。「全然勝目のない《戦いとは「敗戦《である。

 その鈴木首相について当時の内閣書記官長・迫水久常は「降伏時の眞相《(自由国民、昭和21年2月号)にこう書いた。「鈴木總理大臣が組閣當初から終戰の計畫をもつておられたかどうかは自分にはわからない。しかし、…總理は單純に戰爭遂行の一本槍ではなく深い決意を持つておられたに相違ない《

 その「深い決意《とは何だったのか。わが国の「敗戦《を決意することではなかったか。

 『終戰史●』には同じ迫水の手記「降伏時の眞相《も収録されていて、ポツダム宣言受諾前後の経緯が詳述されている。表題の「降伏《とは「敗北《、従って「敗戦《に他なるまい。ところがなんとしたことか、右の文中には「終戦《がたびたび登場している。

≪私にとっては悲しみである≫

 法的に「終戦《が定着したのは昭和42年「引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律《制定時のことで、同法により8月15日が「終戦日《と呼ばれることになった。さほど古いことではない。

 問題は昭和20年、21年という戦後初期にある。それは共同無責任体制時代であった。あるいは先掲の鈴木貫太郎、迫水久常の例にみるように、「物言えば唇寒し《という心理の時代であった。

 第二次大戦のもう一つの敗戦国ドイツではどうだろうか。ドイツ語では「終戦《はさしあたり「クリークスエンデ《と訳せられるが、これは戦争終結の時点を指すのであり、「戦いを終える《といった動的含意はない。つまり「終戦《は独訳上能である。他方、「敗戦《は「ニーダーラーゲ《と独訳可能である。

 そこで「敗戦《がどう理解されているかなのだが、パリに在るドイツ史研究所のハンス・マイアーは『敗戦と解放・1945年5月8日とドイツ人』(1996年)を書いている。つまり日本では「敗戦《が悲しみと捉えられるのとは逆に、ドイツでは「解放《「喜び《と受け止められている。

 また85年5月8日に当時のフォン・ヴァイツゼッカー大統領はドイツ連邦議会で有吊な「5月8日は解放の日だった《と題する有吊な演説を行い、この日がドイツ人にとっては「ドイツ史の歩みを反省する日《だと語った。

 「敗戦《について日独の受け止め方は、ほぼ正反対といえるだろう。悲しみと喜び。昭和20年8月15日の「敗戦の日《は私にとっては悲しみである。

 私の世代は「国民学校《に学び「小学校《を知らない。そこで行われたのは、文字通り軍国主義教育。二度とそういうことがあってはならない。だから日本は戦争に「敗れた《のであり、戦争が「終わった《のだという気はない。