(異論のススメ)

  伝統的規範が支える民主主義 寛容さ失えば独裁者生む

   佐伯啓思 


    2018年11月2日05時00分 朝日新聞 

   

 2年前の11月に米国でトランプが大統領に選出された。連邦議会議員を選ぶ中間選挙ももうすぐ行われるが、概して大統領の所属政党は分が悪いというのが通例であり、共和党は苦戦を予想されている。

 それにしてもトランプ大統領の誕生は「大事件《であった。それは、今日の米国を知る上でも、また今日の民主政治を論じる上でもそうである。トランプによって米国が二つに分断されたという見方があるが、そうではない。すでに分断されていた結果がトランプを大統領に持ち上げたのである。また、トランプは民主主義の敵であり、民主政治を破壊するという見解があるが、これもそうではない。まさに今日の民主主義がトランプを大統領の地位に押し上げたのであった。

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 最近、翻訳された「民主主義の死に方《という本がある。レビツキーとジブラットというハーバード大学の2人の政治学者の手になる書物で、彼らは、今日の米国の民主政治がまさにトランプという「独裁型《の指導者を生み出したと述べ、その背景を分析し、こういうことを書いている。

 1960年代の公民権運動以来、米国は多様な移民を受け入れてきた。非白人の人口比率は50年代には10%だったのが2014年には38%になり、44年までには人口の半分以上が非白人になるとみなされる。そしてこの移民のほとんどは民主党を支持した。一方、共和党の投票者は、90%ほどが白人である。つまり巨大な移民の流入という米国社会の大きな変化が、自らを「本来のアメリカ人《だと考える白人プロテスタント層に大きな危機感を生み出し、その結果、共和党と民主党の激しい対立が生み出された。当然ながら、「アメリカが消えてゆく《という危機感を濃厚にもつ共和党の方が、いっそう過激なアメリカ中心主義(白人中心主義)へと傾いてゆくことになった。

 しばしば、トランプ現象の背景には、グローバル競争のなかで、経済的な苦境を強いられる「ラストベルト《の白人労働者層があり、トランプの反移民政策は、彼らの歓心を買うためのポピュリズム(大衆迎合)だといわれる。間違いではないものの、問題の根ははるかに深い。共和党からすれば、民主党は「アメリカの解体《をはかっているように映るのである。今日、両者の対立は、もはやリベラルと保守といったイデオロギー的なものではなく、人種、信仰、そして生活様式という生の根本が分断された結果なのである。

 この著者たちによると、リベラルと保守という思想的な対立の時代には、共和党にもリベラルな政治家がおり、民主党にも保守的な考えがあった。その結果、両者の間にはまだしも共通の了解が成立しえたし、ともに、国の全体的な利益のために、過度な自己主張を自制し、相手をあまりに断罪しないという「自己抑制《の上文律があった。その上に、両派の「均衡《が成立していた。「礼節《や「寛容《を含む「自己抑制《という目に見えない規範だけが、アメリカン・デモクラシーを支えていた、というのである。

 しかし、さらに彼らはこう指摘する。この目に見えない規範が共有されていたのは、実は米国は白人中心の国だという人種の論理が暗黙裡に共有されていたからだ、というのである。だから、60年代以降、人種差別撤廃運動が生じ、明らかに民主主義は進展した。ところが、その民主主義の進展こそが、共有された暗黙の規範を失墜させ、アメリカ社会の分断を導き、民主政治を破壊してしまっている、という。たいへんに深刻で逆説的な結論であるが、確かに事実というほかあるまい。

 この著者たちが述べるように、民主主義なら政治はうまくゆく、という理由もなければ、米国の憲法や文化のなかに民主主義の崩壊から国民を守ってくれるものがある、などという理由もない。これはもちろん、米国だけではなく、日本も含めてどこでも同じことだ。

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 さらに、今日、何事においても事態を単純化しようとするメディアやSNSの影響力を前にして、民主主義は、すべてを敵か味方かに色分けし、対立者を過剰なまでに非難するという闘争的なものへと急激に変化している。対立する両派とも、わが方こそが「国民の意思を代表している《として「国民《を人質にすることによって自己正当化をはかる。言い換えれば、対立者は「国民の敵《だというのだ。

 日本では、近年になって、人口減少化のなか、事実上の移民労働者数は急激に増加しているが、それが引き起こす社会の分断は米国や欧州ほど深刻ではない。しかも宗教的対立は存在しない。だが、米国や欧州の事例から学ぶべきことは、民主主義の進展こそが様々な問題を解決してくれるなどと期待してはならない、ということである。

 ましてや、二つの陣営の激しい対決や批判の応酬こそが民主主義だなどと考えるわけにはいかない。民主主義を支える価値は、民主主義からでてくるのではなく、むしろ、非民主的なものなのである。社会の伝統的秩序のなかにある「自己抑制《「寛容《「思慮《「エリートのもつ責任感《といった価値観は民主主義とは関係ない。それは伝統的な見えない社会規範とでもいうべきものであり、それが失われたとき、民主主義こそが独裁者を生み出すという古代からの「法則《は、今日でもまた現実のものとなりうるのである。

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 さえきけいし 1949年生まれ。京都大学吊誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に「反・幸福論《など