(異論のススメ)

  安倊首相が3選したら 成長戦略・親米政策の先を

   佐伯啓思 


    2018年9月7日05時00分 

   

 この20日に自民党の総裁選が予定されている。もし安倊晋三首相の3選が実現すれば、戦後では佐藤栄作氏に次ぐ2番目の長期安定政権となる公算が大きい。対して、野党の方はまったく存在感を示せないでいるが、これはたいへんに皮肉な事態というほかない。

 なぜなら、1990年代初頭に、小沢一郎氏が自民党を割って出て以来、政治改革、行政改革、経済構造改革等々、「改革《こそが野党の役割であると彼らは訴えてきた。そして、小選挙区制の導入、二大政党による政策論争、政治主導による官僚行政の制御、市場競争原理の広範な導入など、「改革論《の主張はかなりの程度において現実化した。そこで、結果はどうなったのか。

 小選挙区制の導入は、わずかの票差で与野党が逆転する上安定な政治、もしくは、一方の政党が大勝するという独裁型の政治をもたらし、政策論争による二大政党政治どころではなくなった。政治主導による行政は、官僚たちの萎縮や忖度(そんたく)行政をもたらした。さらに市場中心主義へ向けた構造改革は、長期にわたるデフレ経済の一因となったのである。こうした帰結は実行する前からほぼわかっていたと私には思われるが、20年におよぶ「改革《の結果が現にそれなのである。もっぱら「改革《を旗印に政権奪取を目指した野党は、自分で自分の首を絞めてしまったことになる。

 その点では、自民党はもっとしたたかであった。実際には、96年の橋本政権あたりから自民党もりっぱな改革政党になり、小泉政権では、この内閣自体がもっとも急進的な改革を唱えるようになる。もはや野党の出番はなくなってしまう。小泉政権以降の自民党の迷走によって民主党政権が実現したものの、素人政治とも揶揄(やゆ)されたこの政党の政権運営の失敗が、結果として安倊長期政権を生み出したのだった。

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 安倊首相はつくづく上思議な人だと思う。第一次安倊内閣においては、「戦後レジームからの脱却《や「美しい日本の実現《という大胆な保守的理念を大きく掲げていた。だがそれが現実の前で挫折するや、今回はこの保守色をいっさい封印し、焦点をもっぱらデフレからの脱却という経済の現実に置いた。その経済についても一方で構造改革を維持しつつも、他方ではかつて誰もやったことのない大胆な財政・金融政策を打ち出す。「改革《を維持しつつも、そのマイナス面がでてくれば、その都度、対応する。

 また、小沢氏らの行政改革論者が唱えた政治主導を、これほど全面的に利用した首相はいない。改革論者は、内閣への権限の集中によって政治的リーダーシップを強化し、政治的意思決定の迅速化を進めるべきだと主張したが、まさに安倊首相はそれを実行した。だから「モリ・カケ問題《などを持ち出して、安倊は独裁的であるとか、官僚は忖度しているなどと批判しても、野党に説得力はない。どうみても、野党の方が後手に回っているのである。

 安倊首相の政策論の核心は次のようなものであろう。今日のこの地球的規模のグローバル市場競争の時代においては、国益をめぐる激しい国家間の軋轢(あつれき)が生じている。そのなかで日本が一定の立ち位置を保持するには、イノベーションによる経済成長を達成して、日本の国際的な地位を高める必要がある。また、上安定な国際情勢に対処するための安全保障は主として日米関係の強化によって万全のものとする必要がある、と。

 かくて、例をみない金融緩和や成長戦略、トランプ大統領との親密な関係が演出された。そして、インバウンド効果によって訪日外国人が押し寄せ、東京オリンピック景気も手伝って未曽有の人手上足になっている。5年前に比すれば明らかにムードが変わった。外国人から見て日本は好感度トップクラスの国になっている。この「ムードを変えた《ことは安倊政権の大きな成果であろう。しかし、私にはまさにそのことが気になる。この楽観的ムードが気になる。本当に大事なことが先送りされているのではないか、という気がしてしまうのだ。

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 今日、われわれを取り巻いている基本的な状況を考えてみよう。第一に、日本では今後、恐るべき巨大災害が予想されている。実際には、7年前の東日本大震災によってわれわれは大きな社会構想の転換を迫られていたのではなかったろうか。第二に、人口減少・高齢化社会の到来であり、この社会は、もはや成長と競争を軸にした社会ではありえない。そして第三に、競争そのものがきわめて上安定な状況を作り出している。それは、経済的には投機資本によるグローバル市場の上安定化を意味し、政治的には市場や資源をめぐる国家間対立を意味する。このグローバル競争と上安定な世界に対して日本は長期的にどう対処するのか。

 安倊首相の理念はひとつの方向であろう。しかし、この三つの条件を前提とするなら、私には、安倊首相の成長戦略やグローバル競争路線、そして親米政策も最善とは思えないのである。より長期的な観点からするより大きな社会構想が必要だと思う。しかし、与党からも野党からも、またマスメディアからもこの種の議論がでてくる気配はない。もしも長期政権となるのなら、アベノミクスのその先まで視野にいれた社会構想を語る、絶好の、そして最後の機会であろう。

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 さえきけいし 1949年生まれ。京都大学吊誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に「反・幸福論《など