(異論のススメ)

  自刃した「西郷どん《の精神 日米戦争と重なる

   佐伯啓思 


    2018年7月6日05時00分 

   

 少し前にこの欄で「明治維新150年《について書いた。それはとりもなおさず、日本の近代化をどのように捉えるか、ということである。ところで、このことを考えるときに、私にはどうしても西郷隆盛がひっかかる。特に詳しいわけでもないのだけれど、西郷さんをどう理解したらよいのか、以前から気になっているのだ。ちょうど放送中のNHKの「西郷どん《もそれなりの視聴率をあげているようで、日本人の西郷好きは何に由来するのだろうか、ということも気になる。

明治維新150年、矛盾はらんだ日本の近代
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 西郷隆盛という人は、まずは、明治維新という「革命《が内包する根本的な矛盾が生み出した人物であり、また、それを象徴する人物であったように私には思える。

 明治維新のもつ根本的な矛盾とは、それが攘夷(じょうい)、すなわち日本を守るための復古的革命であったにもかかわらず、革命政府(明治政府)は、日本の西洋化をはかるほかなく、そうすればするほど、本来の攘夷の覚悟を支える「日本人の精神《が失われてゆく、という矛盾である。

 大事なことは、明治維新とは、封建的身分社会に上満を抱いた下級武士の反乱というよりも、押し寄せてくる外国の脅威から日本を守るべく強力な政府を作り出す運動から始まった、ということであり、この運動の中心に西郷隆盛はいた。しかも、彼は、もっとも過激な武力倒幕の指揮官であった。朝廷の勅許云々(うんぬん)という話は別として、倒幕運動は、基本的に政府(幕府)に対する非合法的な武力行使という意味では、一種のテロ活動と見ることもでき、西郷はその中心人物だったことになる。内村鑑三がいうように、明治革命は西郷の革命であった、といっても過言ではない。

 しかし、西郷隆盛という人物の真骨頂は、明治維新の立役者でありながら、明治6年には盟友の大久保利通たちと袂(たもと)を分かって鹿児島へ帰郷し、4年後に明治政府に対する大規模な反乱(西南戦争)を起こしたあげく最後は自刃する、というその悲劇にある。西郷を動かしたものは、攘夷の精神を忘れたかのように西洋化に邁進(まいしん)する明治政府への反発や、維新の運動に功をなしたにもかかわらず報われずに零落した武士たちの上満であった。そこに多くの日本人の西郷びいきもあるのだろう。敬天愛人に示される無私の精神、いっさいの贅沢(ぜいたく)を排して義を重んじる精神、それが今日にいたるまで西郷ファンを生み出している。

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 だがこうなると、少し奇妙な気もしてくる。天を敬い、他人のために働く徹底した無私の精神、利を捨てて義をとり、義のためには命を賭して武力行使を厭(いと)わない武闘の精神、敗北をあらかじめ覚悟した戦いを平然と行う諦念(ていねん)、そして富や財産にはまったく関心をもたない質素そのものの生活。ついでに無類の犬好き。こうしたいかにも「日本的な精神《こそが西郷ファンを生み出しているのだが、それこそ、今日、われわれのこの平成日本からはすっかり姿を消してしまったものではないのだろうか。とすれば、われわれは、今日の日本からは失われてしまったものの残影を西郷に見ていることになる。

 ところが現実には、現代日本は、まさしく大久保利通や伊藤博文のすすめた西洋化、近代化路線の延長上にある。しかも、それは西郷が死ぬことで可能となったのである。西南戦争の終結によって、明治の西洋化・近代化は本格的に開始されたからだ。明治政府を作りだした西郷隆盛は、政府から排除され、新時代になじめない旧士族の上満を一手に引き受けて死んでいった。

 西郷とともに江戸城明け渡しを決めた勝海舟は、西郷の死をたいそう残念がっていた。また、明治の文明化を唱えた福沢諭吉も、西郷の死を惜しんでいた。明治政府に批判的だった福沢はいう。政府が好き勝手にしているのに、世の中はすべて「文明の虚説《に欺かれて抵抗の精神が失われている。世にはびこっているのは、へつらいやでたらめばかりで、誰もこれをとがめるものはない。そうした時に、西郷は立ち上がった。それを賊軍呼ばわりするのは何事か、というのである。

 その福沢諭吉はまた、江戸城明け渡しを決めた勝海舟を厳しく指弾している。城を枕に討ち死に覚悟で一戦を交えるのを回避したために、明治という時代から「武士の精神《が失われた、という。それが、明治の西洋かぶれの風潮、浅薄で表面的な文明開化の流行をもたらしている、といいたいのであろう。

 勝海舟は戦を避けることで平和的に新しい時代を作った。日本近代化の大変な功績者である。しかし、その明治は、本来の攘夷の精神を忘れて、西洋模倣へとなだれ込んでゆく。この風潮に我慢がならなかった西郷は、敗北を覚悟で戦い自刃した。福沢によると、西郷は、明治政府のありさまをみると、徳川幕府には悪いことをした、と後悔していたそうである。そして、西郷の死後、一見したところ、武士的な精神、無私や自己犠牲の精神はすっかり忘れ去られ、ひたすら日本は文明開化の近代化路線を走ることになる。

 しかし、それにもかかわらず「西郷どん《は、多くの人のこころに生きてきた。人気では、大久保や勝など比べものにならない。押し寄せる西洋近代文明の流れに、敗北を覚悟で抵抗して死んだ西郷に、つい私は、敗北覚悟の日米戦争へとゆきつく日本の近代化の帰結を重ねたくもなってくる。

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 さえきけいし 1949年生まれ。京都大学吊誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に「反・幸福論《など