(異論のススメ)

  1968年は何を残したのか 欺瞞を直視する気風こそ

   佐伯啓思 


    2018年5月11日05時00分 朝日新聞 

   

 いまから50年前の5月10日、パリのカルチエラタンは学生に占拠され、大学から始まった学生反乱はフランス社会全体を巻き込んでいった。1968年5月革命と称される出来事である。この学生反乱は、先進国全体に共通する動きであり、日本ではいわゆる全共闘運動である。

 私は68年の4月に大学に入学し、7月には無期限ストで授業はなくなった。69年1月には東大の安田講堂での攻防があってバリケードは撤去され、授業が再開されたのは3月であった。

 これは「革命《などといえるものではなく、フランスでは学生の「反乱《を押さえつけたドゴール大統領は68年6月に総選挙を行い大勝した。日本でも、70年の大阪万博を前にした高度成長の頂点の時代である。人々は、アポロ宇宙船による月面着陸の方に歓声をあげていたし、政治的にいえば、佐藤政権による沖縄返還の方がはるかに重要な出来事だった。

 私は、全共闘運動には参加もしなければ、さしたる共感ももっていなかった。それは、私がそもそも集団行動が嫌いだったこともあるが、まわりには、マルクスやら毛沢東から借用したあまりに粗雑な「理論《を、疑うこともなく生真面目に信奉しつつも、実際にはまるでピクニックにでも出かけるようにデモに参加する連中をずいぶん見ていたせいでもある。

 しかし、それでも私は、あるひとつの点において「全共闘的なもの《に共感するところがあった。それは、この運動が、どこか、戦後日本が抱えた欺瞞、たとえば、日米安保体制に守られた平和国家という欺瞞、戦後民主主義を支えているエリート主義という欺瞞、合法的・平和的に弱者を支配する資本主義や民主主義の欺瞞、こうした欺瞞や偽善に対する反発を根底にもっていたからである。

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 だから、これらの欺瞞と戦うには、合法的手段ではありえない。暴力闘争しかないということになる。私が共感したのは、この暴力闘争への傾斜であったが、そんなものはうまくゆくはずもない。そして、事実、暴力は内向してあさま山荘事件や内ゲバへと至り、全共闘運動は終焉する。戦後日本の学生主体の新左翼は、こうして暴力主義の果てに崩壊する。これはほとんど必然的な成り行きのように私には思われた。

 むしろ、私が衝撃を受けたのは、70年に生じた三島由紀夫の自衛隊乱入、割腹自殺事件の方であった。米製の憲法を理想として掲げて、米軍に国防を委ねる平和国家を作り、あの戦争を誤った侵略戦争と断じたあげくに、とてつもない経済成長のなかでカネの亡者と化した日本、こうした戦後日本の欺瞞を三島は攻撃し、一種の自爆テロを起こした。

 三島自身が述べていたように、三島由紀夫と全共闘の間には、深い部分で共鳴するものがあったのだが、全共闘はそれを正面から直視しようとはせず、三島はそれを演劇的な出し物へと変えてしまった。

 そのころ、評論家の江藤淳が「『ごっこ』の世界の終ったとき《と題する評論を書き、全共闘の学生運動も、三島の私設軍隊(楯〈たて〉の会)もどちらも「ごっこ《だと論じていた。学生運動は「革命ごっこ《であり、三島は「軍隊ごっこ《である。どちらも現実に直面していない。真の問題は、日米関係であり、アメリカからの日本の自立である、というのである。確かに、フランスやアメリカと比較しても、日本の学生運動は、どうみても「革命ごっこ《というほかない。機動隊に見守られながら「市街戦ごっこ《をやっているようなものである。三島の方はといえば、効果的な「ごっこ《を意図的に演出していたのである。

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 日本の左翼主義は、その後、急速に力を失ってゆくが、私には、それは、多くの人が感じていた戦後日本のもつ根本的な欺瞞を直視して、それを論議の俎上にあげることができなかったからではないか、と思う。沖縄返還問題にせよベトナム戦争問題にせよ、その根本にあるものは、米軍(日米安保体制)によって日本の平和も高度成長も可能になっている、という事実であった。そのおかげで、日本は「冷戦《という冷たい現実から目を背けることができただけである。この欺瞞が、利己心や金銭的貪欲さ、責任感の喪失、道義心の欠如、といった戦後日本人の精神的な退嬰をもたらしている、というのが三島の主張であった。三島は、あるところでこんなことを述べている。全共闘の諸君の言っていることは実に簡単なことだ。それは、国から金をもらっている大学教授が、得々として国の批判ばかりしているのはおかしいということだ、と。

 もちろん、三島は、国立大学の教授は国家批判をしてはならない、などといったわけではない。精神の道義を問うたのであり、この道義を戦後日本は失ったのではないか、と問うたのだ。フランスの68年は、それでもポストモダンといわれる思想を生み出したが、日本は何も生み出さなかった。そして左翼主義は、その後、ただただ「平和憲法と民主主義を守れ《に回収されてしまった。

 私は68年をさほど評価しないが、それでも今日の大学や学生文化にはないものが当時はあった。それは、社会的な権威や商業主義からは距離をとり、既成のものをまずは疑い、自分の頭で考え、他人と議論をするというような風潮である。その自由と批判の気風こそがかけがえのない大学の文化なのである。

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 さえきけいし 1949年生まれ。京都大学吊誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に「反・幸福論《など