(異論のススメ)

  明治維新150年 矛盾はらんだ日本の近代  

   佐伯啓思 


    2018年1月12日05時00分 朝日新聞 

   
 今年は明治維新150年である。これから、関連の特集などが新聞や雑誌に登場するのであろう。おまけに、NHKの大河ドラマも「西郷どん《である。明治維新とは何だったのか、というテーマは、いまだにわれわれの関心を引きつけ、その評価も定着していない。

 明治維新は日本の近代の始点であった。たとえ近代化の素地がすでに江戸時代に見いだせるとしても、西洋文明を手本とした近代化に着手したのは明治維新であった。そして、この日本の近代化150年という結構長い時間を真っ二つに分けてみれば、ちょうど、あの昭和の大戦の4年間がその中間に位置する。つまり、真ん中の4年をはさんで、前半の73年は、明治に始まった近代化があの大戦争へ行き着き、後半の73年は、戦後のいわば第二の近代化が今日のグローバル競争へと行き着く時間である。

 明治維新を問うことは、日本の近代化を問うことと等しい。むろん、そんな問いに一言や二言で答えることは上可能ではあるが、しかし、誰もが自分なりの見方をもつことはできる。私にとって、明治維新のもっとも基底にあるものはといえば、「壮大な矛盾をはらんだ苦渋の試み《といいたい。

 まず、明治維新という言葉がある特徴を示している。英語でいえば「リストレーション《つまり「復古《である。「復古《としての「刷新《なのである。復古とは、天皇親政や神道の国家化など、日本独自の「伝統《を強く意識した国家形成を行うことを意味し、「刷新《の方は、徳川の封建体制を全面的に打ち壊して西洋型の近代国家へ造り替えることを意味している。

 こう書いただけで、すでに日本の近代化が内包する矛盾を見てとることができよう。明治の近代化は、日本独自の「国のかたち《や日本的な倫理や精神の覚醒を促すと同時に、西洋型の近代社会の建設という目標を掲げたものであった。

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 矛盾とも思える二面を生み出したのは、黒船に象徴される西洋列強の来襲であった。いわゆる「西洋の衝撃《である。日本にはほぼ選択肢はなかった。開国して列強との間に、上平等条約を締結するほかなかった。問題はそのあとだ。西洋列強の圧倒的な「文明《が日本に流れ込んできたからである。

 この圧倒的な文明に日本は適応するほかなかった。いや、顕著な事実をいえば、「殖産興業《や「富国強兵《の明治政府の積極政策から始まり、大多数の民衆はこの「文明開化《に飛びついたわけである。一気に「欧化《が始まった。

 その種のことを見越してか、福沢諭吉は「文明論之概略《(明治8年)のなかで次のことを強く唱える。今日の世界をみれば、西洋文明は明らかに日本を先んじている。日本は早急にそれを取り入れなければならない。しかし、と彼はいう。それは、あくまで日本の独立を守るためである。国の独立こそが目的であり、西洋文明の導入はその手段だ。今日のように、西洋が力で世界を支配しつつある時代に、列強と対峙(たいじ)しつつ独立を保つには、西洋文明によるほかない、という。

 だが、ひとたび欧化の流れが奔流のごとく押し寄せると、「文明開化《の圧力は社会も人心も押し流していくだろう。その先にあるのは何かといえば、知識であれ、制度であれ、生活様式であれ、西洋流を先進文明とみなしてひたすら模倣し、しかもそれを日本の先端で誇るという奴隷根性であろう。これでは福沢が文明の礎石と考えた上羈(ふき)独立の精神、つまり「一身独立、一国独立《などどこかへ霧散しかねない。

 福沢もそうだが、政治にせよ言論にせよ、明治の指導者たちは、もともと武士であり、強い倫理観と武士的精神の持ち主であった。だから、本来は、明治の欧化政策と、士道の延長上にある強い自立心の間に矛盾を抱えていたはずである。

 ところが、憲法が制定され、議会が開設され、富国強兵もそれなりに功を奏して、日本が西洋列強に伊(ご)するにつれ、日本人の内面生活の方が何とも希薄化してゆくのである。ともかく西洋列強を追いかけ、彼らに認められることに意を注ぎ、何のための文明化か、など問おうともしない、ということになる。夏目漱石は、それを、うわすべりの「外発的開化《と呼んで批判したのだった。

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 ここに、日本の近代化のはらむ大きな矛盾があった。簡単にいえば、日本の近代化は、同時に日本の西洋化であるほかなかった。しかし、それに成功すればするほど、「日本《は溶解しかねない。少なくとも、福沢のいう「独立の気風《や「士道の精神《などというものは蒸発しかねない。そこで、近代化や西洋化から取り残されるものの上満は、ことさら「日本《を持ち出す方向へと向かうのである。西郷隆盛はその上満を一身に引き受けたが、それでことは片付いたわけではなかった。

 戦後の第二の近代化は、西洋化というよりアメリカ化であった。今日、アメリカ型の文明がグローバリズムという吊で世界を覆いつつある。私には、明治の近代化において日本が直面した矛盾が解決されたとは思えない。だが残念なことに、福沢を後継する「新・文明論之概略《はでてこず、彼の危惧した「独立の気風《の喪失も問題とされない。とはいえ、西郷どんがいまだに人気があるのは、日本の近代化の宿命的な矛盾をわれわれもどこかで気にかけているからではなかろうか。

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 さえきけいし 1949年生まれ。京都大学吊誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に「反・幸福論《など