ロシアについて 北方の原型
   ロシアの特異性について

    司馬遼太郎


      昭和61年6月文芸春秋社 刊


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 ただ、これだけは冒頭にいっておきたいことですが、ちかごろ気づかわしいことは、「北方領土《とよばれる島々を返せ、という国内世論の盛りあげ運動のことです。たしかに国際法的には、狭義の北方領土(歯舞・色丹と択捉・国後)ほ古くから日本に属し、いまも属しています。固有の領土であるということは、江戸期以来のながい日露交渉史からみても自明のことです。

 一九五一年(昭和二十六年)の対日講和条約で、千島列島と南樺太についてのすべての権利を放棄しました。しかし放棄された千島列島のなかで、右の四島については日本の固有領土であるため、これは含まれていないという解釈は動かしがたいものだと思いますが、現実にはソ連領になっていますし、これについてソ連は別の解釈をもち、問題としてはすでに解決済みだとしています。

 日本国政府がこれを非とする---私も非とします---以上、政府はこれについての解釈と要請を何年かに一度、事務レベルでもってソ連の政府機関に通知しつづける---放棄したのではないということを明らかにしつづける---ことでいいわけで、あくまでも事は外交上の法的課題に属します。これをもって国内世論という炉の中をかきまわす火掻き棒に仕立てる必要はなく、そういうことは、無用のことというより、ひょっとすると有害なことになるかもしれません。

 ソ連は、いうまでもなく、領土的には、帝政ロシア以来、膨脹によってできあがった国です。たとえば、中国とのあいだにも、中国側からすれば多くの領土間榎をもっています。その請求権についての態度は、対ソ外交のそのときどきのあり方によって潜在化したり、顕在化したりしてきました。もしソ連が、無償で---無償などありえないことですが---北方四島を日本に返還するようなことがあれば、それとおなじ法解釈のもとで、多くの手持ちの領土を、それはわが国の固有領土だと思っている国々に対しても返還せねばならないというりくつがなりたちます。それが仮りに単なるりくつであるとしても、いったんソ連領になった「領土《を、もとの持主に返すようなことがソ連の首脳部がおこなうとすれば、おそらく国内的にかれらはその地位をうしなうことになるでしょう。

 かれら首脳部は、自分の同僚に、もしくは国民に、このことをどのように説明すればいいのでしょう。察するに、そのすべもないにちがいありません。

 さらに北方四島を返したとすれば、ソ連が、強力なボルト・ナットで締めつけている連邦内部の多くの共和国との関係まで、ゆるむかもしれません。またポーランドなどの友好諸国も、ソ連の強い友好の力から解放されたと錯覚して浮足だつかもしれません。

 もし、右の仮定の事態(四島を返すということ)があるとして、それを首脳部が他に説明せねばならない場合、
 ---四島を返すことによって、日本全体を得るのだ。
という大政略がすでに確立された、ということを耳うちしてひとびとに同意を得る以外、ありえないのではないでしょうか。むろん、こんなことは、架空のことを想定してのことです。ともかくも、ソ連の首脳部にとって、返還など、無理難題を越えたほどのことだということを、私どもは成熟した国民として理解しておく必要があります。日本における返還運動が、そういうことをわかりきった上でなお国内世論だけを盛りあげて反ソ気分を煽ろうとしているのなら、日本国をやがては搊ずる結果になるだろうと思うのです。

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湖と高原の運命

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 私は、日本が大した国であってほしい。北方四島の返還については、日本の外務省が外交レベルでもって、相手国(ソ連)に対し、たとえ沈黙で応酬されつづけても、それを放棄したわけではないという意思表示を恒常的にくりかえすべきだと思っている。

 しかし、それを国内的な国民運動にしたててゆくことは有害無益だと思っている。有害というのは、隣国についての無用の反感をあおるだけだということである。

 ロシア史においては、他民族の領土をとった場合、病的なほどの執拗さでこれを保持してきたことを見ることができる。

 かれらは、感情の上では、千島列島は対日参戦という血であがなったものだと信じている(むろん、そういうばかなことはない)。

 日本が、政府主導による国民運動などをしているぶんには、彼の国は、日本はそれを流血でもってとりかえすつもりかなどということを、ある種の政泊的感情でもって考えかねない体質をもっている。
 ---やる気なら喧嘩は買ってもいい。

 という考え方を伝統的にとってきたロシアが、日本と北方四島返還さわぎにのみ例外を設ける保証などどこにもない。

 こんにちのソ連政府としては、千島列島とモンゴル高原とが、ヤルタ協定においてセットになっているぐらいのことは知っている。また、中国人が日本の北方領土返還運動に同調することがソ連に対してどういう意味をもつかについても、むろん中国人以上に知りぬいている。中国人が、中蒙国境に出かけて行ってそれを叫ばず、北海道の東端でモンゴルを返せと暗喩をこめて叫んでいることも、知っている。北方四島を日本にかえすことは、モンゴル高原を中国にかえすことと同じ論理であると思っているのにちがいない。

 日本人がもし、北海道東端の沖にうかぶ島をみて、同時に北アジアに隆起する大高原を思いあわせるようになれば---これは一例にすぎないが---やっと一人前のアジア人になれるのではないか。

 以上、私がみた---とくにシベリアを中心とした---日露交渉史の原形というべきものをのべてきた。ロシアが、二十世紀のある時期からソ連とよばれるようになり、国の体制もかわったが、外政上の原形にはかわりがない。

 ソ連には、シベリアがある。そのそばに、日本の島々が弧をえがいている。日本が引越しすることができないかぎり、この隣人とうまくいきあってゆくしかない。なにごとかがあってたがいに接触する場合、日本側もソ連側も、以上のような程度の原形論ぐらいはあたまに入れておく必要がある。そのあとは、おたがいに透明な利害をさぐりあうことである。