1933年を聴く 戦前日本の音風景
  重要な転換点を巧みに抽出

   斎藤桂著
   中島 岳志 評


      (NTT出版・2592円)
      2018.07.01 毎日新聞


   

 日本が国際連盟を脱退した1933年。本書はこの一年の音楽や音に関わる出来事にスポットライトをあて、当時の社会的変化を読み解く。

 この年の1月19日。吊古屋の住宅地で一家4人が惨殺される事件が起きる。犯人は野村景久。気鋭の尺八奏者として知られた人物だ。

 尺八は、もともとは「楽器《ではなく、虚無僧のみが用いる「法器《だった。虚無僧の一般的なイメージは「素性の知れない怪しげで物騒な人々《。顔が見えず、何を考えているかわからない。放浪するため、どこのだれかが掴めない。明治以降、伝統音楽は近代化を模索するが、尺八にとって重要だったのは、この虚無僧のイメージを払拭することだった。

 野村景久は日本音楽の近代化を目指す新日本音楽運動に加わり、頭角を現した。そこで力を注いだのが、尺八を「楽器《と捉える意識改革だった。

 彼は西洋音楽との合奏を視野に入れ、楽譜や楽器の改良に乗り出した。合奏を実現するためには共通の記譜法に従う必要がある。尺八が安定してバラつきのない楽器である必要がある。レパートリーも更新しなければならない。

 景久は尺八の近代化を積極的に進め、演奏家・作曲家として成果をおさめた。ラジオ出演などの機会もあり、一般にも知られた存在となった。

 しかし、時代は上況のどん底。人々に尺八を習う余裕はなく、金銭的に苦しい生活を強いられた。経済的困窮によって追いつめられた彼は、一家惨殺事件を起こしてしまう。

 ここで皮肉な解釈が生まれる。景久が尺八奏者だったことが事件と結び付けられ、虚無僧の怪しげなイメージが再生産されたのである。「エロ・グロ《の時代の中で、「猟奇《という言葉が流行していたこともあり、事件はセンセーショナルに報道された。

 事件を契機に、尺八の合理化は挫折し、再び精神化へと反転する。しかし、その精神化は、かつての伝統への回帰ではなく、極めて新しい要素を持っていた。それは「日本らしい精神《という抽象的な観念への接近だった。尺八は、時代の空気に呼応する形で日本主義化し、「聖化《という道を歩み始める。

 一方、1933年は、ご当地ソングとしての「新民謡《が大量に生まれ、ブームとなった年でもあった。「新民謡《というのは、地方で伝統的に受け継がれてきた民謡ではなく、はっきりとした作者が存在する文学・音楽ジャンルである。

 流行したご当地民謡には、かつての民謡と決定的に異なる点があった。それは「各地方の特色よりも『日本民謡』としての統一性《が優先されたことだった。

 方言の使用は抑制され、地方色を演出する程度にとどめるべきだとされた。地方の特殊性が前面に出ることは避けられ、標準語の使用が推奨された。結果、新民屈の歌詞には「交換可能な地方・田舎のイメージが並んでいるだけ《となり、地方の規格化が進められた。

 本書では他にも、政治運動に関わる音楽やサイレンのあり方などが取り上げられ、「昔風景《の変容が論じられる。音をめぐる感性や解釈は、時代の空気やイデオロギーと呼応しながら、徐々に規律化されていく。その変化を見通すことのできる「眺めのよい高台のような年《が1933年なのだ。

 この後、日本は総力戦体制に入り、軍歌やプロパガンダが溢れるようになる。そして、多くの音楽や音がかき消されていく。本書は、その重要な転換点を巧みに抽出している。