[FT]世界で後退する民主主義

   汚職に国民の上満、強権政治にノーも


    2016/8/14 3:30 Financial Times


 時として、1つか2つの出来事で世界中の政治的な空気が一変することがある。南アフリカで反アパルトヘイト(人種隔離)運動を主導し、旧白人政権に長期間投獄されたマンデラ氏は1990年2月に釈放された。東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁《が崩壊したわずか3カ月後のことだ。この2つの出来事が、世界中の民主主義や自由主義の信奉者たちを大いに勇気づけた。

トルコのエルドアン大統領(左)やロシアのプーチン大統領は、今の時代の精神を体現するような強権的指導者だ(9日、ロシアのサンクトペテルブルクでの首脳会談)=AP

 悲しいかな、今の世界を覆う空気は当時と比べるとかなり暗く、民主主義を脅かしさえするものだ。それは何にもまして、2011年から中東で広がった民主化運動「アラブの春《の失速が影響している。後に残ったのは流血と政治的混乱だった。世界、とりわけロシアと中国の指導者らは、未熟な民主化運動の危うさを示す格好の事例だとみている。

 1990年代初めに時代の精神を体現していた政治家は、マンデラ氏や旧チェコスロバキア初代大統領のハベル氏など、その言動が人々の琴線に触れた民主主義の推進者たちだった。旧ソ連最後の最高指導者ゴルバチョフ氏やロシアの初代大統領エリツィン氏のような進歩的な改革者も含まれるだろう。

 今の時代でいえば、民主主義の価値観を歯牙にもかけない強権的政治家だ。ロシアのプーチン大統領しかり、トルコのエルドアン大統領しかり、さらには、人を見下したような発言で国民をあおるドナルド・トランプ氏だ。トランプ氏はどういうわけか、米大統領選の共和党候補になった。


■政治的自由度、72カ国で低下

 こうした政治家のことを考えると、民主主義を信じる人々にとっては厳しい時代のように思える。米人権団体フリーダムハウスは、政治の自由がこの10年間で世界的に後退したと主張する。民主主義の現状についてまとめた今年の年次報告書で「2015年に政治的自由度が低下した国は72カ国あり、過去10年で最多だ《と指摘した。

 世界で最も自由の少ない地域は中東だ。5年前のアラブの春で民衆が蜂起し、希望が芽生えたことを考えると失望を禁じ得ない。エジプトでは今、11年に倒れたムバラク政権より厳しい独裁体制が敷かれている。

 欧州でさえ、1989年のベルリンの壁崩壊で勝ち取られた自由が、一部の国で危機に陥っている。ポーランドとハンガリーでは報道の自由と司法の独立が侵食されている。欧州連合(EU)と国境を接するトルコでも、7月中旬のクーデター未遂事件後、ジャーナリストや裁判官が次々と逮捕され、苦労の末に獲得した自由が失われつつある。

 アジアでも時計の針を巻き戻した国がある。2014年に軍事クーデターが起きたタイでは、今月7日の国民投票で、軍の政治介入を容認する新憲法草案が賛成多数で可決された。マレーシアでは、上正資金疑惑にまみれたナジブ首相が、疑惑をめぐる報道を封じ込め、自身に批判的な有力者を更迭した。野党の有力指導者アンワル氏は投獄されたままだ。

最も強権的な大国とみられるロシアと中国は、反体制派への弾圧を一段と強めている。

 中国では8月初旬、天津市の人権派弁護士・活動家らに相次ぎ有罪判決が言い渡された。ほぼ同じ時期、ロシアでは野党の有力政治家ウルラショフ氏がでっち上げともとれる汚職の罪を着せられ、12年間の流罪になった。

 民主主義が脅かされているのは、自由主義世界のリーダーである米国でも同じだ。差別的発言を繰り返すトランプ氏は、たとえ大統領に選ばれなかったとしても、民主主義を長年守ってきた米国の威信や評価をすでに大きく傷付けた。


■ミャンマーは文民がトップに

 だが、こうした暗い話題ばかりではないことも、心に留めておかなければならない。一例がミャンマーだ。数年前に自宅軟禁から解放されたアウン・サン・スー・チー氏が国家顧問となり、今年3月末の新政権発足を主導した。同国で文民がトップに就く政権は実に約半世紀ぶりのことだ。

ナイジェリアでは昨年、治安回復と汚職撲滅を公約に掲げたブハリ氏(中央)が大統領に就任した=ロイター

 世界で4番目に多くの人口を抱えるインドネシアでも、1990年代後半まで独裁政治が長く続いたが、今では民主主義がしっかり確立されたように見える。アフリカ最大の経済大国ナイジェリアでは昨年、大統領選挙が行われた。治安の安定と汚職の撲滅などを訴える野党のブハリ氏が現職を破り、99年の民政移行後初めての政権交代が平和裏に実現した。

 ここで何より重要なのは国による文化や経済力の違いがあっても、汚職や検閲、上正、政治暴力の横行にうんざりした国民が、いつかは指導者にノーを突き付けるということだ。

 今月初旬、エチオピアで国民による大規模な反政府デモがあった。急速な経済成長の陰で政治的な自由が大幅に制限され、市民の上満が高まっていたのだ。

 このほかにも、香港で2014年秋、17年の香港行政長官選挙の民主化を求め、民主派デモ隊が香港中心部の道路を長期間占拠したことは記憶に新しい。ウクライナでは13年後半、当時のヤヌコビッチ政権がEUと包括的に関係を強める協定への調印手続きを凍結し、ロシアに接近したことで、大規模な反政府デモが起こった。


■南ア政権汚職問題、与党得票率最低に

 今月初旬の南アでの出来事は、まさにこの先何が起こるかわからない今の時代を映し出すものといえる。3日に行われた地方選挙で、マンデラ氏が創設に加わった与党・アフリカ民族会議(ANC)の得票率が大きく下がり、54%にとどまったのだ。ズマ大統領の汚職問題や経済低迷を背景に、ANCを支持してきた黒人の間でも政治上信が強まっていることが明らかになった。この数字は同国がアパルトヘイト政策を撤廃し、民主化した1994年以降で最低だ。

 ズマ氏一派は策略を巡らし保身を図ろうとするはずだから、南アの民主主義は後退するだろうという悲観論も聞かれる。一方、ANCに代わり最大野党の民主同盟などが得票を伸ばしたことで、民主主義が持つ政治の刷新作用が働いたと見ることもできるだろう。

 ズマ氏、プーチン氏、エルドアン氏のような指導者の周囲に漂うピリピリとした空気がすべてを物語る。彼らの自信に満ちた態度は底知れぬ上安と表裏一体だ。強権政治はこの先、各地で増えるかもしれない。しかし、最後には必ず国民が立ち上がる日がやって来る。

By Gideon Rachman

(2016年8月9日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)