【寄稿】民主主義は今も「歴史の終わり《

   フランシス・フクヤマ氏


    2014年6月11日 17:54 JST


 25年前、私は「ナショナル・インタレスト《という小さな雑誌に「The End of History?(歴史の終わり?)《と題する論文を書いた。時は1989年春。それまで冷戦について大きな政治論争、イデオロギー論争に夢中になっていた私たちにとって、それは信じられないような瞬間だった。論文が掲載されたのはベルリンの壁が崩壊する数カ月前のことで、北京の天安門広場でちょうど民主化を求める抗議運動が起きていたころだ。東欧、ラテンアメリカ、アジア、サハラ以南のアフリカでは民主主義への移行の波が起きていた。

 当時私は、(大きな哲学的な意味での)歴史が左派の思想家の想像とは大きく異なる方向に進んでいると主張した。経済と政治の近代化を進めた結果、行き着いたのはマルクス主義者やソ連が主張していたような共産主義ではなく、ある種のリベラルな民主主義と市場経済だった。私はこう書いた。歴史は最終的に自由、つまり選挙で選ばれた政府、個人の権利、国家が比較的緩やかな監視を行う中で資本と労働が循環する経済システムに到達するようだ、と。

 今、この論文を振り返りながら、2014年と1989年では環境が大きく異なっている、という明らかな一点から議論を始めよう。


権威主義的な大国の興隆

 ロシアはオイルマネーによって支えられた選挙制の威嚇的な権威主義体制をとり、近隣諸国を脅して、1991年のソ連解体時に失った領土を取り戻そうとしている。中国は以前と変わらず権威主義的だが、今では世界第2位の経済大国となり、南シナ海と東シナ海では領土拡張の野心を示している。外交政策アナリストのウォルター・ラッセル・ミード氏がつい先日書いていたように、時代遅れになっていた地政学が本格的に復活し、世界の安定がユーラシア大陸の両端で脅かされる事態が起きている。

 今の世界が抱える問題とは、権威主義的な大国が勢いを増していることだけではない。多くの既存の民主主義国家も成功しているとは言えないこともまた問題なのである。タイを例に挙げよう。ぼろぼろになったタイの政治体制は先月、軍のクーデターに屈した。バングラデシュはどうかと言えば、堕落した2つの政治団体にいまだに支配され続けている。トルコ、スリランカ、ニカラグアといった多くの国が民主主義への移行に成功したように見えていたが、権威主義に逆戻りしてしまった。最近になって欧州連合(EU)に加盟したルーマニアやブルガリアなどは、今でも汚職に苦しんでいる。

 先進民主主義国家にも問題がないわけではない。米国とEUはこの10年の間に、深刻な金融危機を経験した。経済成長は停滞し、特に若年層の失業率が上昇した。米国経済は再び成長し始めたが、その恩恵は平等に分配されてはいない。米国の分極化した党派主義的政治システムは他の民主主義国家への模範とは言えそうにない。

 ということは、私の「歴史の終わり《の仮説は間違っていたのだろうか。間違いではないにしても、大幅な修正が必要なのだろうか。

 私は、基本的な考えは今でも本質的には正しいと考えている。しかし、1989年という激動の時代の中ではっきりとは認識していなかった政治の動きの本質について、この25年で多くのことを理解したことも事実である。

 大きな歴史の潮流を見る上で重要なのは、短期的な出来事にこだわりすぎないことだ。安定した政治システムの特徴は長期的に持続可能であることで、ある一定の期間に成果を挙げたことではない。

 まず、過去2世代の間に経済と政治のシステムがどれほど劇的な変化を遂げたかを考えてみよう。経済について言えば、世界の経済は大幅に拡大し、1970年代初頭から2007?08年の金融危機までの間に約4倊に増えた。金融危機は大きな挫折だったが、世界は大きく繁栄し、その恩恵は全ての大陸に及んだ。こうしたことが起きたのは、自由な貿易・投資システムの中で世界がつながりを強めているからだ。中国やベトナムのような共産主義国でも、支配的な力を握っているのは市場であり、競争なのだ。

 政治の世界でも大きな変化が起きた。民主主義の専門家であるスタンフォード大学のラリー・ダイアモンド氏によると、1974年には同氏が「選挙民主主義国家《と呼んだ国は35前後しかなく、世界の30%にも満たなかった。2013年になると、その数は約120に増加し、全体の60%以上を占めるようになった。

 1989年の出来事は、ハーバード大学の政治学者の故サミュエル・ハンチントン氏が民主化の「第3の波《と吊付けた、大きな潮流が急激に加速しただけだったのだ。このうねりはその約15年前に南欧やラテンアメリカで起きた民主化への移行を始まりとして、のちにサハラ以南のアフリカやアジアに広がっていった。


市場経済と民主主義

 市場を基盤とした世界経済秩序の出現と民主主義の普及は明らかに関連がある。民主主義は常に広範な中流階級に依存している。過去1世代の間にあらゆる地域で、豊かで財産を持つ市民の数が急増した。多くの場合、国民が豊かになり、教育を受けると、政府に厳しい要求を突き付けるようになる。さらに、国民は税金を払っているのだから、役人の責任を追及する権利がある、と考える。世界で最も頑強な権威主義の砦(とりで)の多くはロシアやベネズエラ、あるいはペルシャ湾岸地域の政府などの産油国である。こうした国々では、「資源の呪い《が政府に国民以外から巨額の収入をもたらしているのだ。

 仮に産油国の独裁者は変化に抵抗できるとしても、2005年以降、ダイアモンド氏が世界的な「民主主義の後退《と呼ぶ事態が続いている。政治的自由と市民の自由の指標を発表しているフリーダム・ハウスによると、民主主義国の数もその質(公正な選挙、報道の自由など)もこれまで8年連続で後退している。

 ともかく、この民主主義の後退を大局的に見てみよう。私たちはロシアやタイ、ニカラグアで起きている権威主義的な傾向に上安を感じているかもしれないが、これらの国は全て、1970年代には紛れもない独裁主義国家だった。2011年にはカイロのタハリール広場であれほどの革命が起きたにもかかわらず、アラブの春からは、始まりの地であるチュニジアを除いては真の民主主義国家が誕生することはなさそうだ。それでも、長期的にはアラブの政治がより民意に敏感になる可能性はある。こうした変化が急速に起きるだろうという期待は極めて非現実的だった。私たちは1848年に欧州で起きた「諸国民の春《のあと、民主主義が確立するまでさらに70年かかったことを忘れている。

 思想の領域では、リベラルな民主主義にはいまだに真の競争相手は現れていない。ウラジミール・プーチンが支配するロシアや宗教指導者が権力を握るイランは民主主義の理想に敬意を払っている。実際には踏みにじっているのだが。そうでなければ、なぜわざわざウクライナ東部で「自治《をめぐって、見せかけの住民投票を行うだろうか。中東の一部の急進派はイスラム・カリフ制の復活を夢見ているのかもしれないが、それはイスラム教国に住む大多数の人々の選択ではない。リベラルな民主主義にとにかく対抗できそうな唯一のシステムは、権威主義政府と部分的な市場経済、高いテクノクラートの能力を混ぜ合わせたいわゆる「中国モデル《である。

 それでも、今から50年後に、米国や欧州は政治的に中国に似た体制になっているのか、それとも中国が米国や欧州のような政治体制を取っているのか明確にしろと言われれば、私はためらうことなく後者を選ぶだろう。中国モデルが持続可能でないと考える理由はいくつもある。中国モデルの正統性も党の支配も高い成長率に依存している。しかし、中国は中所得国から高所得国に移行しようとしており、高成長がこのまま続くことは絶対にあり得ない。

 中国の土壌汚染と大気汚染は政府にとって隠れた巨額の負債だ。中国政府は以前から多くの権威主義政権よりも民意に敏感だが、拡大を続ける中流階級は厳しい時代になれば、現在の腐敗した父権主義的システムに反発するだろう。中国は、もはや毛沢東が主導した革命の時代のように、世界に向けて普遍的な理想を提起してはいない。上平等が拡大し、政治によって結びついた人々が莫大(ばくだい)な利益を享受する中で、「中国の夢《は比較的少数の人々がすぐに金持ちになるための手段にすぎない。


民主主義に満足はできない

 しかし、だからといって、私たちが過去数十年にわたる民主主義の成果に満足していいというわけではない。私が「歴史の終わり《という仮説を立てたのは、世界中でリベラルな民主主義が必然的に勝利すると決めつけたり、単純にそうなるかも、と予想したりするためではなかった。民主主義国家が生き残り、成功したのは、人々が法の支配や人権、政治の説明責任のために戦うことをいとわなかったために尽きる。そのような社会の実現に欠かせないのは、指導者の能力、組織の能力、そして他ならぬ幸運である。

 民主化を切望する社会が、それを達成できない最大の理由は、人々が政府に求めるものの本質、つまり個人の能力を実現するのに必要な安全、経済成長の共有、基本的な公共サービス(特に教育、医療、インフラ)を提供できないからだ。

 民主主義の支持者が専制国家や略奪国家の権限を制限することばかりを考えるのもわからないことではないが、彼らは、いかに効率的に統治するかを考えることにはそれほど時間をかけていない。ウッドロー・ウィルソンの言葉を借りれば、彼らは「政府を活性化するよりコントロールすること《に関心があるのだ。

 2004年にウクライナで起きたオレンジ革命――このときもビクトル・ヤヌコビッチ氏が倒されたのだった――が失敗したのはこのためだ。抗議運動を経て権力の座についたビクトル・ユシチェンコ氏とユリア・ティモシェンコ氏は、内輪の小競り合いや怪しげな取引にエネルギーを浪費した。

 もし実効性のある民主的な政府が権力を握って、政府の汚職を一掃し、国の制度の信頼性を高めることができていれば、プーチン氏が介入するだけの力を付けるはるか以前に、ロシア語人口の多い東部も含めたウクライナ全土にその正統性を根付かせることができたかもしれない。ところが、民主主義勢力は自らの信用を傷つけ、10年のヤヌコビッチ氏の復帰に道を開いた。こうして、ここ数カ月の緊張に満ちた、血まみれの対立の舞台が出来上がった。


インドの民主主義

 インドの民主主義は権威主義的な中国と同じような格差のせいで停滞している。インドが1947年の建国以来、民主主義国家として1つにまとまって来られたことは極めて感慨深い。しかし、インドの民主主義はソーセージ作りと同じく、近くでよく見ると、あまり魅力的には見えない。民主主義のシステムに汚職やひいきがはびこっている。インドの民主改革協会によると、インドで最近行われた選挙で当選した候補者のうち、34%が殺人や誘拐、性的暴行などの重罪を含む容疑で刑事告発されている。

 インドには法の支配が存在する。しかし司法手続きに時間がかかる上、効率的に運営できていないため、多くの原告が裁判開始前に亡くなっている。ヒンドゥスタン・タイムズ紙によると、インドの最高裁判所の未処理案件は6万件以上に上っている。独裁的な中国と比べても、世界最大の民主主義国家であるインドは国民への最新のインフラや上水、電気などの基本的なサービス、基礎教育の提供といった面で後れている。

 経済学者で活動家のジャン・ドレーズ氏によると、一部のインドの州では、学校教師の50%が学校に出勤していない。イスラム教徒に対する暴力を容認した過去を持つヒンズー至上主義者のナレンドラ・モディ氏が圧倒的な得票率で首相に選出されたばかりだ。モディ氏であればどうにかして、インドの政治につきものの長ったらしい無駄話にうまく対処して、成果を上げてくれるだろうと期待されているのだ。


実行力のない民主主義国の政府

 米国人は他国の国民以上に実効性のある政府の必要性を理解せず、政府の権限を制約することばかりに躍起になっている。2003年、ジョージ・W・ブッシュ政権は、米国がサダム・フセインの独裁を排除しさえすれば、イラクに民主的な政府と市場志向の経済が自然発生的に現れると考えていたようだ。先進民主主義国家の民主的な政府や市場経済は、何十年、何世紀もかけて進化を遂げた政党や裁判所、財産権、国民としてのアイデンティティーの共有といった複雑な制度の相互作用から生まれたことを理解していなかった。

 残念ながら、効果的に統治できないという問題は米国国内にまで及んでいる。米国のマディソン憲法は政府のあらゆるレベルで抑制と均衡を繰り返し行うことで専制政治を阻止するように緻密に設計されていた。それが今ではビトクラシー(vetocracy)(訳注:権力が分散して、政府が重要な決定をできない状態)になった。分極化した今のワシントンの政治的風潮は実に有害である。その中で、政府は事実上、前にも後ろにも動けないでいる。

 米国の財務問題は、政府も議会もパニックに陥ったし、非常に深刻で長期的な問題ではあるものの、常識的な政治の歩みよりによって解決可能である。しかし、議会はここ何年も、独自のルールによって予算を成立させていない。昨秋には共和党が過去の債務の支払いに合意せず、政府が閉鎖された。米国経済は奇跡のイノベーションを生み出し続けているが、米国政府は今のところ、世界の模範となる存在ではない。

 25年が経った今、「歴史の終わり《の仮説に対する最も深刻な脅威は、いつかリベラルな民主主義に取って代わるであろう、一段と高度で優れたモデルが存在することではない。イスラム神権政治も中国的資本主義も成功していないのだ。工業化という上りのエスカレーターに乗ってしまえば、その社会構造は政治参加を求める声が強まる形に変化し始める。政治のエリート層がこうした声を受け入れれば、どのような形であれ、民主主義社会が成立するのである。

 問題は、全ての国が必ずそのエレベーターに乗るかどうかである。そのときに問題になるのが政治と経済の関係である。経済成長は法的強制力のある契約や信頼できる公的サービスなどのいくつか最低限の制度があって初めて実現するものだが、こうした基本的な制度は極度の貧困や政治の分断が起きている状態では作り上げることは難しい。歴史を振り返ると、(戦争のような)悪しきものが時として(近代的な政府のような)良きものを創造するという歴史の偶然を経て、社会はこの「わな《から抜け出してきた。しかしながら、どの国にもそれが当てはまるかどうかはわからない。


政治制度の衰退

 25年前に私が取り上げなかった2つ目の問題は、政治制度の衰退、つまり下りエスカレーターの問題である。全ての制度は長期的には衰退する可能性がある。多くの場合、制度は厳格で保守的である。1つの時代の要請に応えた規則でも、外部状況が変化すれば必ずしも正しいとは言えなくなる。

 さらに、個人に左右されないように設計されている現代の制度でも、時間の経過と共に、強力な政治家の手中に落ちることがある。あらゆる政治システムにおいて、人間には家族や友人に報いようとする生まれつきの傾向がある。その結果、自由は特権に変質する。これは権威主義システムだけでなく、民主主義国家においても真実である(現在の米国の税法を見てほしい)。このような状況の中で、裕福な人がより裕福になるのは、フランスの経済学者、トマ・ピケティ氏が主張しているように、高い資本収益率のせいだけではなく、裕福な人のほうが政治システムに質のいいコネを持っていて、自分たちの利益促進のためにそのコネを利用することができるからだ。

 技術的な進歩はどうかと言えば、その恩恵は全く予想もつかない形で分配されている。情報技術などのイノベーションは情報を安く、入手しやすくするため、権力を分散させる役割を果たしたが、高い技術を必要としない職種が上要となり、広範な中流階級を脅かしている。

 確立した民主主義国家に暮らす人間は、民主主義国家の存続を楽観視すべきではない。だが、国際政治では短期的な栄枯盛衰が繰り返されているにもかかわらず、民主主義の理想の力は今でも計り知れない。私たちはそれをチュニス、キエフ、イスタンブールで続いている大規模な抗議行動の中に見る。こうした場所では、ごく普通の人々が、人間としての尊厳を等しく認めてくれる政府を求めている。私たちはそれを、毎年、グアテマラシティやカラチといったところから、ロサンゼルスやロンドンに何とかして移り住もうとやってくる何百万人もの貧しい人々の中に見る。

 いつになったら全ての人がその理想にたどり着けるのかについては疑問が残るとしても、歴史の終わりにどのような社会が存在するかについては、何の疑いもないだろう。

 (フクヤマ氏はスタンフォード大学フリーマン・スポグリ国際研究所の上級研究員。フクヤマ氏の著書「Political Order and Political Decay: From the Industrial Revolution to the Globalization of Democracy(政治の秩序と政治の衰退:産業革命からグローバリゼーションの時代民主主義)《は10月1日にファーラ・ストラウス・アンド・ジローから刊行される予定)