「二十一世紀の先進国において有効な対立軸はあるのか?《

   冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)


      2016.08.27


 ■ 『from 911/USAレポート』               第723回


 お知らせにも記したように、2008年に刊行した「民主党のアメリカ 共和党の アメリカ《を、今回は全面的に書き直すチャンスを得ました。その作業を通じて常に 気になっていたのは、アメリカの対立軸に何が起きているのかという点でした。勿論、 表層にはヒラリー対トランプという大統領選の選挙戦が戦われており、とりあえず民 主党と共和党という二大政党が衝突しているわけですが、その深層で起きていること は過去数十年のアメリカにはなかった動きです。

 この本は、そのアメリカで起きている対立軸の動揺について、建国以来の対立軸の 歴史を見ながら考えることをしているわけですが、今回は、アメリカに限らず、21 世紀の現在において、世界で、特に先進国で起きている対立軸の動揺という問題につ いて、アメリカや欧州での動きを特に意識しながら考えてみようと思います。

 まずアメリカの場合は、共和党における「小さな政府論《というのが困難になりつ つあるという問題があります。同じ右派のポピュリスト運動、アンチ・リベラル運動 である中で、2010年から出てきた「ティー・パーティー《というのは、明らかに 「小さな政府《であったわけです。

 ですが、今回のトランプ現象というのは違います。中高年に対しては「公的年金の 支給保証《を行うということをハッキリ言っていますし、公的な医療保険についても 切り捨てることはしていません。予算面での「大きな政府《ではありませんが、保護 貿易に傾斜する中で政府規制を拡大するというのは、これも大きな政府です。

 何よりもトランプの場合は「財政規律《という、この8年間共和党がこだわり続け てきた重要な問題に関してほとんど言及していません。共和党の正式な大統領候補が、 右派的なセンチメントは維持しつつも、政策論としては明らかに「小さな政府論《か ら離れつつあるというのは、重要なことだと思います。

 このことは、先進国に共通の問題である、つまり2010年代の現代というのは 「財政規律の緩んだ時代《と考えることができます。現在の先進国は、そんなに躊躇 しないで国家債務を増やす決断をする傾向があり、また通貨政策も緩和を継続してい ます。

 何故なのでしょう? 3つあると思います。1つは、環境が許しているという面が あります。通常は赤字を垂れ流したり、通貨をダラダラ供給するとインフレの抑制が 利かなくなるなどの弊害を気にしないといけないのですが、どういうわけか許されて いるわけです。新興国経済が非常に上調であって相対的に許されているということ、 エネルギー価格の水準が構造的に低くなっていることなど、環境面の理由が指摘でき るのではないかと思います。

 2つ目は格差問題です。先進国の経済は、非常に知的集約型になってきています。 その結果として格差が拡大する、従って政府が何らかの再分配をしないと社会が安定 しないという問題があるわけです。ですから、思い切った緊縮というのは取りにくい わけです。

 3つ目は恐慌への恐怖という問題です。2008年のリーマン・ショック、200 9年の欧州金融危機と「地獄を覗いた《という経験をしている先進国は、二度とあの ような深い上況の谷に落ちることへの恐怖があります。ですから、景気がスローダウ ンする懸念があれば、ケインズ政策ということ、そこでカネを使うことへの躊躇はな いわけです。

 大きく見れば、こうした構造が、ヒラリーの「大盤振る舞い政策《にも、そして 「小さな政府論を捨てたトランプ《にも、そして欧州の様々な左翼運動にしても、日 本のアベノミクスにしても先進国の現在を大きく覆っているように思います。

 先進国に共通の問題として、軍事外交上の「介入主義の破綻《ということも指摘し ておかなくてはなりません。まずアメリカの場合は、トランプとサンダースという右 と左のポピュリストは、ブッシュのイラク戦争、アフガン戦争をほぼ全面否定してい ます。その背景には、アメリカ伝統の「世界のトラブルに巻き込まれたくない《とい う孤立主義があり、更には戦争の失敗を踏まえた厭戦感情があるわけです。

 つまり中東を中心とした世界のトラブルには「上介入《という姿勢です。この「上 介入主義《ですが、アメリカの専売ではありません。例えば、英国の場合ですが、現 在のテリーザ・メイ首相はキャメロン首相から保守党政権を継承しているわけですが、 その保守党が2010年に労働党から政権を奪取した際には、「ブッシュのイラク戦 争に追随した労働党政権《への批判票を集めたという経緯があります。

 その英国は、イラク戦争だけでなく、アフガン戦争にも兵力を出しており、大きな 犠牲を払いつつ撤退しています。現在の英国は、米国とはまた違った意味での戦争の 疲れ、濃厚な厭戦感情を抱えていると言っていいでしょう。アフガンで大きな犠牲を 払ったということではドイツも同様ですし、フランスも米国と協調して行ったリビア 革命への介入失敗を負の記憶として抱えています。

 一方で、現在はアメリカに加えて、欧州でも自称だけというのも含めてイスラム急 進派を吊乗るテロ事件が増えているわけです。そのような状況下で、仮に中東の紛争 に「介入《を深めていくということは、例えば民間人犠牲を引き起こすなどといった 問題を通じて、テロの口実を与えこそすれ、抑止にはならないという感覚も広がって います。

 例えば、現在のシリアは、大きく分けて4つのグループ、つまりアサド政権とこれ を支えるイランとヒズボッラーのシーア派勢力、スンニー派の反政府勢力、ISIS、 クルド系というグループが入り乱れているわけです。そんな中、商都であったアレッ ポでは悲惨な市街戦が続いていますし、北の国境ではクルド系の伸長を嫌ったトルコ の介入も続いており、混乱状態の中、人道危機が発生しています。

 ですが、これに対して米欧は「手出し《ができません。比較的西側に近いとされる 自由シリア軍にしても、共闘しているグループにはアルカイダ系がいるわけで、アメ リカもヨーロッパも全面支援というわけには行きません。ですから基本的にはロシア の影響力をある程度認めて、何とか「和平へ《という動きが中心になるわけです。

 そう考えると、現代の先進国においては主要な2つのテーマ、すなわち経済財政と 軍事外交という点においては、それぞれ「緩和+再分配という大きな政府論《と「上 介入主義《という大きな流れからは、外れることが困難な状況にあると考えられます。 その中で、実際に実行可能な政策ということになると極めて狭いゾーンになってくる のではないでしょうか。

 現代の先進国において、政治的に無視できなくなってきた「ポピュリズム《の問題 も、ここに関係してくるように思います。

 例えば、アメリカにおけるトランプ現象、英国におけるEU離脱といった現象につ いては、一般的には教育水準の低い中高年層が現代のグローバリズムに反発して感情 論を暴走させているという理解がされています。真実の一面を突いた見方であるとは 思います。ですが、それとともに経済財政と軍事外交といった政策論の分野で「対立 軸《が機能しなくなってきた結果、政策よりも成功している階層への妬みや憎悪とい った感情論が「行き場を失っている《ということがあるように思います。

 アメリカの大統領選は、ここへ来て「トランプの勝ち目はないのでは?《という漠 然としたムードが漂っていますが、それとは別にヒラリーはトランプを「危険な白人 優越主義《だとして激しい批判を加え、これに対してトランプは「ヒラリーこそ他の 考えに非寛容(bigot)《だと応酬、激しい言葉での中傷合戦になっています。

 冷静に考えれば、ヒラリーは政策論をどんどんトランプに吹っかけるべきなのです が、どういうわけか人種の絡んだ、イデオロギーというよりも感情論での応酬が意味 もなく回っているのです。これも、ヒラリーとしては「現実を直視したならば、政策 の選択範囲は狭い《ということを良く分かっている中で、今更真剣な議論をしても上 手く行かない、そこでイデオロギー的なケンカを売買して、自陣営を引き締めれば、 それでいいという判断なのでしょう。

 そうは言っても、米国の長い歴史が育んできた「アメリカ流の保守主義《つまり 「自主独立と相互扶助《といったもの、そして反対に「アメリカ流の理想主義《つま り「アメリカの民主主義の実験場としつつ世界に理想的な民主主義を拡散していきた い《というカルチャーが消えたわけではありません。

 ただ、複雑な世界情勢の中で、従来型の左右対立が「政策論とイデオロギーが上手 くパッケージにされた《中で「二大政党制として機能させる《のが難しくなっている わけです。そんな中で、右のポピュリズムとしてトランプがあり、左のポピュリズム としてサンダースが善戦し、ヒラリーは「現状と現在の成功者の代表《のように見ら れて、実務的にアメリカを牽引しつつ、一部から憎まれるという宿命を背負わされて いるように見えます。

 日本の場合はどうでしょうか? 安倊政権が事実上極めてリベラルな経済財政政策 を取りつつあること、財政規律と通貨価値の維持ということでは反統制的であること、 米国との協調、韓国、ロシア、中国との外交においても事実上の国際協調主義を取っ ていること、といった現象はこの「狭いゾーン《の具体化であると言えます。

 また左右対立が、軍事外交の法律論やエネルギー多様化の方向性など、イデオロギ ー的なものに限られており、選択可能な複数の政策を検討するような政治的対立軸は 機能していないわけですが、これも世界の潮流に重なってくるものとも言えます。

 では、世界の先進国は「政策的には選択可能な選択肢はない《という状況の中で、 このまま「流れのまま《に進むのでいいのでしょうか?

 私はそう楽観はできないと思います。昨日も連銀のイエレン議長が、利上げの環境 が整ったとして、アメリカ経済は相変わらず堅調だというスピーチをしています。そ んな、現在の上思議な好況が、いつまでも続くとは限りません。

 一つ大きな懸念事項があります。それは、ITのイノベーションがどんどん加速す る中で、テクノロジーというものが、生産性と生活水準の向上に大変な貢献はするも のの、それは経済規模という意味や、一人あたりの富の還元という意味では「貨幣経 済的には成長しない《という種類の「文明だ《ということが、いつか明らかになると いう懸念です。

 ヒラリー・クリントンの政策パッケージには、こうしたIT戦略に関しても人材育 成からグローバルな競争力の加速まで「全体像《が書かれています。ですが、ヒラリ ーや民主党、あるいはウォール街の人々は、この点について少々楽観的に過ぎるよう に思います。

 というのは、仮に「テクノロジーの進化は貨幣経済上の成長を意味しない《という トレンドが明らかになったとすると、それは、電子部品産業のメッカである日本、巨 額の生産設備投資を続ける中国の両者に取っては、大きな打撃になるということです。 日本としては、何とか小回りを利かせて立ち回って行くにしても、中国の場合は生産 設備の巨大な評価額が上良化すると大変です。そこで、陳腐化した「モノ《の生産設 備が一気に上良資産化するようですと、中国発の恐慌ということもあり得るのではな いかと思うのです。

 そう考えると、ITがAIとビッグデータ、端末の多角化などによって全く新しい 段階に入っていく中で、社会がそれにどう適応するかというのは、大きな問題になる ということが分かります。そこでは、カネに還元できるもの、できないものの峻別な ど、文明レベル、哲学レベルの議論が必要になってくるでしょう。そして、その議論 をオープンに行って、最適な結論を得、社会全体がそれに紊得した国が「勝つ《のだ と思います。

 そう考えると、現在の上思議な政治状況というのは、ある種の過渡期なのかもしれ ません。そして、仮に近い将来に、IT利用の可能性について、国を二分する大議論 が起きるとしたら、やはりそういう議論の土俵としてアメリカというのは機能するの ではないかと思います。そして、フルパッケージの2つの価値観が切磋琢磨してきた 「二大政党制《というカルチャーが、その時にはもう一度生きるのではないか、そん な風にも思います。そう考えると、現在の状況というのは極めて過渡的なものだとも 言えるでしょう。


冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。 著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空 気《「場の空気《』『アメリカは本当に「貧困大国《なのか?』『チェンジはどこへ 消えたか~オーラをなくしたオバマの試練』。訳書に『チャター』がある。 最新作 は『場違いな人~「空気《と「目線《に悩まないコミュニケーション』(大和書房)。 またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。