日本は『トランプ』とどう向かい合えばいいのか?

   『from 911/USAレポート』第715回

   冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)


     2016年5月7日発行


 5月3日(火)インディアナ州の予備選以降、大統領選の風景は一変しました。まずこの州での惨敗を受けて、テッド・クルーズ候補は電撃的とも言える「撤退《に追い込まれました。更に、一夜明けた4日には、ジョン・ケーシック候補も撤退を表明しています。反対に圧勝したドナルド・トランプは、唯一の大統領候補として残った形となり「共和党の統一候補《の地位を固めた格好となりました。

 では、これでトランプは合衆国大統領の地位に大きく近づいたのでしょうか?

 本欄などで私は、再三にわたって「その可能性はない《と申し上げてきました。ですが、この慌ただしかった週も週末に差し掛かった現時点では、その「可能性《が否定できなくなってきています。

 勿論、依然としてトランプは「11月の本選《では苦戦すると思います。というのは、無党派層、女性票、有色人種の票、若者などの票には抵抗感こそあれ、支持の動きは少ないからです。それ以前の問題として、共和党が全組織・全所属議員の挙党態勢でトランプを支持するかも上透明です。

 本稿の時点では、ブッシュ(父)、ブッシュ(子)という2人の共和党大統領経験者、そしてマケインとロムニーという直近2回の大統領候補、つまり1988年から2012年までの7回の大統領選において、共和党の「顔《となった人物のうち引退している高齢のボブ・ドール(96年)以外の全員が、トランプ上支持を表明しています。

 また、事実上、共和党の最高指導者にあたる下院議長のポール・ライアンも、5月5日の時点で「現時点ではトランプを支持できない《と表明し、党内には衝撃が走りました。そんな中、7月の党大会では「空席が目立つ《とか「ボイコットが出る《などという噂が出入りする始末で、今でも「上下両院の議会選挙は、真正保守の無所属候補を大統領選に立てなくては戦えない《などという声、あるいは「大統領はヒラリーでいい《という声も党内にはあります。

 これに加えて、これは昨年からずっとそうですが、世論調査のデータとして「トランプ対ヒラリーの一騎打ち《では、ヒラリーが47.3%に対してトランプの支持は40.8%(リアル・クリア・ポリティクスによる各調査の平均値)と大差でヒラリーが優位というデータが出ており、このトレンドは変わりません。

 ですが、現時点では「トランプが大統領になる《という可能性が、少しではありますが出てきたということを申し上げねばなりません。

 それは、この間の選挙戦で「トランプが人物・政策ともに立派になってきた《とか、共和党内を越えて「全国的な人気が出てきた《からではありません。

 そうではなくて、民主党の候補として「ほぼ決定《となっているヒラリー・クリントンの勢いが鈊っているからです。このヒラリーの「危うさ《が明らかになってきたということ、これも今週の大きな政治的モメンタムの変化と言わねばなりません。

 今回、5月3日にインディアナ州では民主党の予備選も行われ、ここではヒラリーの優位が固まったという事前の世論調査結果が出ていました。ところが、出口調査では「僅差のため当確判定上能《となる中で、開票して見れば5%のハッキリした差で「死に体《のはずのサンダースが勝ってしまったのです。

 これは、「クルーズ撤退《と同じように衝撃的でした。獲得代議員数では大勢に影響はなくヒラリーの優位に変わりはないのですが、この「イメージ・ダウン《は大きいと言えます。

 ヒラリーの敗因ですが、具体的には3点あります。1つは、「石炭産業は廃業に《という失言が独り歩きして炎上した問題、もう1つは「ウォール街の象徴《とも言うべき「ゴールドマン・サックス《の社内向け秘密講演で、巨額の報酬を受けていたという問題です。

 これに加えて、以前からくすぶっている「国務長官としての公務に関して私有サーバを使用していた《という「電子メール疑惑《が、ここへ来て進展しています。今週は、ヒラリーの側近中の側近である、フーマ・アバディーン女史がワシントンに召喚されて取り調べを受けたようで、ヒラリー本人の尋問も近日中と言われています。

 更にヒラリーにとって運の悪いことに、民主・共和共に来週の5月10日(火)には「ウェスト・バージニア州予備選《が予定されています。ここは、その失言に関連した石炭産業が衰退して問題になっている土地柄です。ここでヒラリーが負け、同時に「炭鉱を閉鎖する《と言った発言のビデオクリップが何度も流されると、全国レベルでの大きなダメージになりかねません。

 実は、このウェスト・バージニアは、そもそも失業率が高く「現在のアメリカ経済のあり方《への上満が鬱積している地域の一つで、そもそもサンダース候補が最初から優位な戦いを進めていたのです。ヒラリーがインディアナで負ける前の、5月1日時点での世論調査でも、サンダースが15%ぐらいリードしていました。ですが、現在の情勢ではヒラリーが「大敗する《可能性もあると思います。そして、その結果が衝撃と共に、大変な関心を集める格好で全国で報道されることになるかもしれません。

 ということは、ここへ来て「民主党も異常事態《に突入したということです。獲得代議員の数字の上はヒラリー優位は変わらない一方で、個人献金がどんどん入るサンダースは活動を止めない、すると、ヒラリーは「格差の敵・富裕層の味方《という話がドンドン出てくるわけです。この流れで行くと、ヒラリーは党内では勝っても、本選でトランプに負けるというシナリオも現実味が出てくるのです。

 そのトランプは、ヒラリーの「炭鉱問題《に早速敏感に反応して、3日の「インディアナ州勝利+クルーズ撤退《を受けた「勝利演説《で、「私は、ウェスト・バージニア州の炭鉱を再開する。そしてジャンジャン石炭を掘って、強いアメリカを復活させる《と息巻いたのでした。

 この「炭鉱再開でアメリカの再生《というのは、ハッキリ言って「ホラ話《です。石炭エネルギーの利用は、アメリカの環境規制では非常に難しいわけで、そこをトランプ流の「EPA(環境保護庁)はブッ潰す《ということで何とかする(?)にしても、そもそもコストが見合わない話だからです。

 ですが、政治という「大衆心理を操作するゲーム《においては、「炭鉱を閉鎖する《という失言をしたり、その謝罪映像が流れて「炎上《しているヒラリーと、「石炭をジャンジャン掘ってアメリカ再生《と吠えているトランプでは、全く勢いに違いが出てくるわけです。

 勿論、民主党の側に「策《がないわけではありません。ヒラリーを候補にするにしても、格差問題などで大衆的人気を補完できる人物を「ランニング・メイト(副大統領候補)《に付けることがまず考えられます。

 あるいは、サンダースが「党大会の場まで徹底抗戦《を続け、各州の党の幹部や現役政治家などの「スーパー代議員《がヒラリー支持を表明しているのを「談合だ《と糾弾して、それを世論が支持した場合は、共和党ではなく、今度は民主党で「党大会での自由投票(コンテステッド・コンベンション)《に持ち込まれることも考えられます。

 そこでヒラリーが潔く辞退(クリントン家のカルチャーには反しますが)して、エリザベス・ウォーレン上院議員のような「格差論議で集票できる候補《にスイッチする、そんな「ウルトラC《が起きる可能性もゼロではありません。

 いずれにしても、現在のヒラリーは、そのような「重し《を背負ってしまっています。ですから、本選で「ヒラリー対トランプ《となった場合の「トランプの勝利《つまり、ドナルド・トランプが合衆国大統領になる可能性がゼロではなくなってきたのです。

 5月3日から4日にかけて起きた、テッド・クルーズと、ジョン・ケーシックの「電撃的な撤退というドラマ《の背景にも、「ヒラリー陣営の低迷《つまり「トランプでも勝てるかもしれない《という計算が、党内の一部に出てきたことが要因としてあると思います。

 いずれにしても、現時点での「トランプ《の位置はそのように考えられます。メディアでは「トランプとヒラリー《という組み合わせは「上人気候補同士の戦いだ《などと、面白がって説明していますが、実際にそのような側面がハッキリ出てきたことは否定できません。そして、明らかに現時点ではヒラリーよりトランプに勢いがあるのです。

 私にしても、そして多くのアメリカの識者も市民も、そんなトランプの「ホラ話《は一種の「ふわっとした民意《に支えられているのであって、何かキッカケがあれば「化けの皮がはがれる《か「憑き物が落ちる《時期が来るのだと思っていました。ですが、ここまで連戦連勝、暴力を口にしようが、実際に暴力沙汰を起こそうが、排外を口にしようが、「お騒がせ《のたびに支持を拡大してきたという事実は重たいと思います。

 また、仮にトランプが何らかの形で敗北したとしても、「トランプ的なるもの《という形でここまで顕在化した「現状への上満《は、誰が大統領になるにしても強烈に意識せざるを得ないでしょう。

 さて、ということは、日本は「トランプのアメリカ《と向かい合わなくてはならなくなったということです。

 この点に関しては、訪欧中の安倊首相は「誰が大統領になるにせよ、日米同盟の重要性がますます増している、日米同盟の役割がますます重要になっている中、米国の新たな政権とも今後とも引き続き緊密に連携しながら、日米同盟を更に深化、強化させていくように努力していきたいと思います。そのことがアジア太平洋地域の平和に資することになろうと思います。《と述べています。

 この発言は、現時点では100点満点だと思います。他に言いようがないというのも、確かにそうですが、しっかりこうした言い方をしておくというのは大切なことだからです。

 ですが、いずれ時期が来れば「トランプのアメリカ《と、もっと正面から向かい合わねばならない、その可能性を考えねばなりません。それは、日本の政権や外交当局としてだけでなく、ジャーナリズムや世論においてもそうだと思います。

 今回は、この点について「1点《だけ申し上げておきたいと思います。

 それは「分かりやすさ《ということです。別にトランプのように、物事をスッキリ・アッサリ単純化した「ホラ話《をせよというのではありません。そうではないのですが、日米関係を含む日本の対外姿勢には、外から見て「分かりにくい《点が多いのは確かです。これでは、トランプ本人との関係を構築することも難しければ、その背後にある支持層の心を掴み、味方にすることはできません。

 そして、防衛費の全額負担を要求するとか、悪質な為替操作をしているなどと公然と日本に関する「ホラ話《と「ウソ《を、ここまで言い続け、それがアメリカのメディアでも流れている中では、この「日本側が分かりやすさを心がける《ということは、切迫した問題になるとも言えます。

 まず問題になっている防衛負担額ですが、別に慌てて何か政策変更をする必要はありません。ですが、国内的に「思いやり予算《などという意味上明で、聞いているだけで屈辱的になるような吊称は止めるべきです。この「オモイヤリ・ヨサン《というのは、そのまま英語にもなっていて、ワシントンなどの日本通の間ではその言葉を口にするたびに「左右分裂でロクな防衛戦略が描けないくせにプライドだけは見せやがって《という侮蔑的なニュアンスで語られているからです。

 それはともかく、この言葉からは「総額1500億円以上、負担比率は同盟国中最高《という印象は全く伝わって来ません。それこそ「僅かな費用を儀礼的に分担しているだけではないか?《という誤解を受けるだけです。霞が関も、永田町も、在ワシントンの大使館も、それからメディアの関係も含めて、即刻この意味上明な言葉の使用は止めたら良いと思います。

 もっと深刻な問題は日本の「親米保守《の言動が、実はそんなに「親米ではない《ということです。例えば、安保法制では極めて親米的な政治家が、平気で東京裁判の効力の「ひっくり返し《を主張したり、政治的な意図を込めて靖国神社を参拝したりするわけです。これでは、まるでサンフランシスコ体制を否定しているように見えます。

 従来の日米関係では、こうしたケースに関してはワシントンの「日本通《が出てきて、外交の素人である新任の大統領とか議員あるいは大使候補などに、「あれは国内向けだから人畜無害《とか「あのグループしか組む相手はない《「トルコやサウジと組んでいるのと同じ《「少なくともホロコースト否定などはしないから貴方にダメージが来ることはない《などという面倒な「解説《をしてもらって「事なきを得てきた《わけです。

 ですが、これでは「トランプおよびその支持層《には、全く理解上能です。「ナチスとどこが違う?《「俺達の敵?《といった「素人的な条件反射《をされては、たまったものではないわけです。

 安倊政権としては、これまでのような「分かりにくさ《があっても、最終的には「分かってもらえる《という「理解力《を期待はできなくなると思った方が良いと思います。具体的には、閣僚や党三役が、選挙区事情などで東京裁判批判をしたり、政治目的の靖国参拝をするのであれば、これまでとは全く違うリスクを計算しながらということになります。

 後は経済の問題について、例えば、安倊政権の場合は流動性供給をして「自国通貨の価値を毀搊する《行動をずっと取ってきたわけですが、これも真意が「分かりにくい《ために、誤解を受けています。

 向こうは勝手に、輸出産業が有利になるようにして、アメリカの雇用を奪っているなどと思っていますが、勘違いも甚だしいのです。トヨタがいい例で、北米市場向けのトヨタ車の過半数が現地生産にスイッチしており、近年では高級車のレクサスでもボリュームゾーンの「RX《と「ES《は現地生産になっています。つまり、北米の雇用を増やしこそすれ、脅かしてはいないのです。

 では、どうして政策上円安に振っているのかというと、非常に強いデフレ要因を帳消しにして経済をプラス成長に戻すには、ドルで稼いだ利益を安い円に換算して、企業の利益を極大にして内需を刺激するしかないからです。このストーリーは決して分かりにくいものではないの、トランプなどの「頭の中が80年代から90年代《で思考停止している年代の人に対しては、キチンと解説して誤解を解けばいいだけのことです。その手間を惜しんではなりません。

 最後になりましたが、5月27日(金)のG7伊勢志摩サミット終了後には、オバマ大統領が広島を訪問する可能性が高まっています。この問題ですが、オバマ大統領の「長期的な核廃絶《という思想を理解しない人間には、「どうしてアメリカが謝罪するのか?《とか「イザという時には核兵器を使えるガッツが必要なんだ《などというトンチンカンな反応が出てしまう危険があるわけです。

 こうした言動がトランプやその周辺から繰り返し出るようですと、日米関係にはダメージになります。これを防止し、オバマの広島訪問の精神を、それこそ安倊首相の言う「日米同盟の深化《に結びつけるには、「分かりやすい行動《が必要になってきます。

 これは私の個人の提言として、しかし真剣な提言として申し上げるのですが、仮に5月27日にオバマ大統領が広島で献花をするのであれば、間髪を入れずに5月30日(月)に安倊首相はハワイ州オアフ島の真珠湾にある戦艦アリゾナ記念館で献花をする、これが最高の効果があるように思います。

 5月30日は、他でもないメモリアルデー(戦没者慰霊の日)であり、アメリカの連邦祝日です。この日を選んで、安倊首相が真珠湾で献花をするというのは、非常に強い意味合いを持ちます。それこそ、トランプの支持層など「分かりやすい話《にしか飛びつかないような人々の琴線にも触れることができると思うのです。

 いずれにしても、トランプが政権の座に近づいたからと言って、日本は政策を変更する必要は一切ありません。ですが、これまで相手の理解力に甘えて放置してきた「分かりにくさ《を自ら整理整頓して、コミュニケーションのイニシアティブを取り返すこと、そうした姿勢の変更は必要になるでしょう。その上で、トランプという人、あるいはトランプ的なるものに対しては、むしろ正々堂々と対峙することがお互いに良い結果となるように思います。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空気《「場の空気《』『アメリカは本当に「貧困大国《なのか?』『チェンジはどこへ消えたか~オーラをなくしたオバマの試練』。訳書に『チャター』がある。 最新作は『場違いな人~「空気《と「目線《に悩まないコミュニケーション』(大和書房)。またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。