冷笑主義、社会覆う?
  モリカケ疑惑、白ける有権者

  (高久潤、宮本茂頼)

  2018年7月23日05時00分 朝日新聞




 「真実《は語られず、採決の強行は繰り返された。批判の先鋒である野党への支持も広がらない。通常国会が22日、閉会した。現代日本社会は冷笑主義に陥っていないだろうか。

 ■ うそが壊す現実、批判むなしく

 「記憶の限りでは、ない《「刑事訴追の恐れがある《

 森友学園についての公文書改ざんや加計学園の獣医学部新設をめぐるいわゆる「モリカケ《疑惑の国会での追及に、国家権力の中枢にいる幹部らは証言を拒否し、記録を突きつけられても記憶を理由に発言が二転三転した。

 安倊晋三首相の国会答弁も物議を醸した。昨年2月、森友学園の国有地売却問題に自身や妻の昭恵氏が関与していた場合、「総理大臣も国会議員も辞める《と断言。この発言の後に財務省の公文書の改ざんや廃棄があった。ところが安倊首相は今年5月、自身の発言についてこう釈明した。

 「贈収賄では全くない。そういう文脈において一切関わっていない《

 贈収賄という文脈を自分で加え、「関与《の意味を狭めた。だが、前言を翻した「うそ《と追及した野党やメディアに対し、有権者からは「他に議論すべき問題があるのでは《という冷ややかな反応も目立った。

 権力者の発言の揺れが許容される背景には何があるのか。

 百木漠・立命館大専門研究員(社会思想史)は、ベトナム戦争の戦況をめぐり、政府が国民を欺き続けていた1960年代の米国と重ねる。政治思想家ハンナ・アレントが当時、「伝統的なうそ《と区別した「現代のうそ《という概念が今を読み解く助けになるという。

 伝統的なうそは、まず正しい現実があることを前提としてそれを隠すことを言う。一方、現代のうそは、「何が現実なのか《という基準自体を破壊する。

 本来、公文書は「現実《を記録するためのものだ。ところが安倊首相の「関わっていたら辞める《発言の後に「『現実』であるはずの公文書が書き換えられ、その『うそ』の記述にあわせて『現実』自体が変えられていった《と百木さんは分析する。

 うそに合わせて現実が破壊されることが横行すると、政治の土台が覆され、市民はシニシズム(冷笑主義)に陥っていくという。「アレントは政治とは言葉の戦い=議論、と考えていた。議論は一つの現実に対する複数の見方がないと成立しない。政治の条件が破壊され、国会の議論自体がまともに機能しなくなっている《と批判する。

 一方、そもそも現在の日本政治にはもっと根深い「横着なうそ《がある、と指摘するのは五百旗頭薫・東京大教授(日本政治外交史)だ。「横着《と呼ぶのは、見る人が見れば分かるのに、まかり通ってしまう類いのうそだ。

 社会保障費が増え続け、国債発行を重ねる財政状況では将来は立ちゆきそうにない、と多くの人が感じている。だが、痛みを伴う抜本的な政策は先送りされる。そんな「横着のうそ《が横たわっている状況では、「そもそも誠実さのハードルが下がっていて、『モリカケ』も大した問題となり得ないのではないか《と指摘する。

 「1強《のような権勢が政権にあると、「横着なうそ《で押し通されてしまう。真相が見えてきても、元から大して隠していないので打撃は少ない。批判はむなしくなって絶望は深まり、社会の分断は増すばかりだ。

 ■ 対抗勢力認めぬ風潮 異論・反論→「老害《「悪口ばかり《

 内閣支持率が下げ止まった国会終盤の6月24日、麻生太郎財務相からは「新聞読まない人は全部、自民党(支持)だ《という言葉も飛び出た。

 野党の批判が求心力を持てないのはなぜなのか。

 政治学者の野口雅弘・成蹊大教授は「『野党ぎらい』とでも呼べる有権者の雰囲気《を指摘する。「野党《は、権力側の政府・与党に異論や反論を示す「対抗勢力《全体を指す。「政治において、対抗勢力が軋轢(あつれき)や反発を生む激しい批判をするのは、ボクサーがリングで相手をパンチするのと同じで正当な仕事。でもそれが認められていないように思う《

 念頭にあるのは教壇での経験だ。今夏の講義で、日本の高度成長期に異なるタイプの民主主義論を展開した2人の政治学者の議論を紹介した。松下圭一(1929~2015)と藤田省三(1927~2003)。ともに戦後民主主義の象徴である政治学者丸山真男の弟子だ。

 松下は経済的な豊かさを肯定しながら、市民による地域自治が活性化しつつある状況を民主主義の萌芽(ほうが)として肯定した。一方の藤田は、経済成長で変わっていく日本に同調圧力の高まりを見いだし、異質な存在の排除が民主主義を搊ねるとして、時に過激な言葉を交えて批判した。

 授業後、日頃は「あまり自分の意見を前面に出さない《という学生たちからのリポートには、藤田のスタンスに対して「老害《「悪口ばかり《といった、強い反発の言葉が並んだ。「流れに対して立ち止まったり、抵抗したりすることを否定し、自分が『野党』的な存在にならないように慎重に振舞う。議会だけではなく、世代を問わず、今こうした風潮の広がりを感じる《

 「丸山は戦前を否定することで民主主義を語り、松下は国に対峙するものとして自治体から民主主義を考えた。そして藤田は、抵抗と異質な存在が欠かせないとした。それぞれ、戦後の民主主義の異なる側面に光をあてたが、藤田が指摘した同調圧力がとりわけ高まる今、『対抗勢力』の構築が重要な課題として浮上している《

 (高久潤、宮本茂頼)