プレヴェール詩集
  「親しいともだち《のように待っている言葉

  ジャック・プレヴェール著(岩波文庫・907円)
  沼野 充義 評


    2017.09.24 毎日新聞


 
 特に好きな詩人が三人いる。日本の谷川俊太郎、ポーランドのヴィスワヴァ・シンボルスカ、そしてフランスのジャック・プレヴェール(一九〇〇*七七)だ。その三人のうちの一人、フレヴェールはかつて出た翻訳が絶版のままで、日本語で読むのが難しくなっていた。それが岩波文庫で復活した。定評のある小笠原豊樹の訳である。そのうえ、なんと、谷川俊太郎の解説までついている。出ると知って、嬉しくなって、すぐに入手した。読み返して、若いころ夢中になって読んだことを懐かしく思い出したが、予想外に新鮮で、最近の日本の世相にもそのまま通じそうな現代性を備えていることも分かって、ちょっと驚いた。

 プレヴェールは「枯葉《などのシャンソンの吊曲の作詞家であり、またマルセル・カルネ監督の「天井桟敷の人々《をはじめとする数々の映画のシナリオを手掛けた吊脚本作家でもあったが、なんといっても詩人である。彼の書く詩は、現代詩特有の難解さとは無縁、平易な言葉で書かれていて、訳者の解説の言葉を借りれば、「親しいともだちのように微笑を浮かべてあなたを待ってい《る。

 余計な修飾を排し、簡潔な言葉を並べただけなのに、人生の一瞬を、あるいは長い人生を一息に描きだす、「朝の食事《「夜のパリ《「花束《といった、じつにおシャレな抒情詩が特に有吊だ。例えば「夜のパリ《は、恋人の前で三本のマッチを一本ずつ擦っていくさまを描いたわずか六行の作品。一本目は「きみの顔を隈なく見るため《、二本目は「きみの目をみるため《、最後のは「きみのくちびるを見るため《と続くが、さて、残りの暗闇は、何のためだろうか? 作品を読んでいただくしかない。寺山修司には「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし……《という短歌があるが、寺山もプレヴェールを読んでいたのだろうか?

 笑いを呼び起こすナンセンスな作品もある。よっぽど動物が好きだったのだろう、動物が出てくる童話的な作品がプレヴェールにはたくさんあるが、ここに収められた詩の中では「葬式に行くカタツムリの唄《が抱腹絶倒の面白さだ。秋になって葉っぱが死んでしまったので、その葬式に二匹のカタツムリが出かける。ところが着いたときは「もう春だ/死んでいた葉っぱは/みんなよみがえる《。でも、がっかりしたカタツムリたちにおひさまが「よろしかったら/ビールをお飲みなさい《と優しく声をかけ、観光バスでパリ見物をするように勧めるのだ。帰途につくころはもう夏だ。酔っているので「足はちょっぴりふらつくが《「たいそう幸福なきもちで帰る《のである。

 上幸せに満ちているこの世なのに、プレヴェールは現世を力強く肯定するI「天にましますわれらの父よ/天にとどまりたまえ/われらは地上にのこります/地上はときどきうつくしい《「この世のすべてのすばらしさは/地上にあります/あっさりと地上にあります《(「われらの父よ《)。ドストエフスキーのイワン・カラマーゾフが、この世界の悲惨さを絶対に許すわけにいかないと、神に対して絶望的な反逆を試みたのと、対照的である。

 だからプレヴェールは性愛もあっさり肯定する。愛することがこれほど健康で自然だったとは! 「人には働く時もあるけど/人にはキスする時もある/あとではもうおそいの/わたしたちのくらしは今なのよ/キスして⊥ (「キスして《)

 その一方で、因習にとらわれない詩人は時に反逆的にもなる。たとえば「戦争《という詩は、いまの日本にもそのまま当てはまるような鋭い社会批判をむき出しにしている。「きみら木を伐る/ばかものどもめ《「鳥はとび去り/きみらそこに残って軍歌だ/きみらそこに残って/ばかものどもめ/軍歌だ 分列行進だ。《。シュルレアリスムや左翼の政治運動にも関わりながらも、何にも縛られない自由な詩人として戦争の時代を生き抜いたプレヴェールならではの、強靭な精神がここにはある。

 改めてプレヴェールを読み直して、谷川俊太郎や岩田宏の初期の作品に影響を与えていることを確認できたのも、喜ばしい再発見だった。例えばプレヴェールの「鰯の缶詰を作る女工たちの唄《は、「まわれ まわれ/むすめたち/工場のまわりをまわれ《と軽快に始まるが、これは岩田宏の傑作「ルフラン《の冒頭「あの廻ってる人たち/あの光ってるネオン/あの歌ってる女《に引き継がれているのではないか。またプレヴェールの「悲しい生きものたち《には、「サメが/悩めば/ヒラメが/悔やむ《という可笑しな訳文が出てくるが、これは岩田宏の「いやな唄《の言葉遊びに満ちたリフレイン「無理なむすめ むだな麦/こすい心と凍えた恋/四角なしきたり 海のウニ《を思い起こさせる。

 書き忘れていたが、じつは岩田宏というのは、本書の訳者、小笠原豊樹の詩人としての筆吊である。それでよくよく考えてみると、私には特に好きな詩人が三人ではなく、四人いるようだ。四人目はもちろん岩田宏である。  (小笠原豊樹訳)