ポンペイ展に寄せて 

  空気感2000年の時を超え

  絹谷幸二(洋画家・文化功労者)


      2016年5月30日東京新聞夕刊


  

 西暦七九年、べスビオ火山の噴火という悲劇により地中に封印されたポンペイのフレスコ壁画が二千年の時空を経て六本木ヒルズに出現している。

 当時の地中海を中心に活躍した人々の豊かな生活や思想、ギリシャ神話への思慕が画題の中に見られる。そして画面の人々は今日そこに居る人のように輝き、呼吸すら聞こえてくるようだ。

 フレスコ画は、貝や石灰岩を焼いた生石灰に水を入れ川砂などと一対一で混ぜ、これをレンガ壁などに塗り、色のついた顔料で描く。半乾きで描き上げる技法は「ボン・フレスコ《と呼ばれ、顔料は石灰乳に包まれ封印される。石灰岩に取り込まれた絵は遠い未来に飛行し得る特性をもっている。

 ポンペイの壁画は「ボン・フレスコ《画技法の延長線上の「アンカウスト《画法で描かれたとされる。壁と顔料に蜜蝋を混ぜ火であぶりつつ蜜蝋同士をなじませ、表面を布などでつるつるに磨くという画法が用いられる。

 いずれにしても、ポンペイの建造物はギリシャ建築のように柱構造でなかったため絵を描くところを得たのであった。では、ギリシャではどこに絵を描いていたのかといえば主に陶器の壷などであった。

 ペスビオ火山は災いももたらしたのだが同時にナポリ灰とも呼ばれるセメント状のものも生みだし、これは横置きのレンガの目地(継ぎ目)材となり、壁構造の巨大建物を出現させた。

 壁は風雨や災害から人々を、守ってくれるのだが、同時に人々を閉じ込めてしまうこともある。この閉じ込められる拘束感から脱するためにも壁に絵を描く必要に迫られていたということもある。

 遠近法を用いて絵を描けば部屋は広くなり、風景を描けば窓が開かれ、青い空を描けば閉じ込めようとする重々しい壁は消失する。また、椊物を描けば庭と部屋は呼吸を始め、ギリシャ神話の物語を描けば心の中に広いイメージの空間が自在に充満するのであった。

 そして絵画は、ただ飾りものではなしに心に響き、見る人々に心のありようを伝える。言葉の異なる人々にも一目瞭然である。二千年を経た我々にも、直にその時代、その時がどのような空気感をもっていたかということさえ伝えることができる。

 私がこうして今日、絵を描いているのも今をともに生きている人々はもちろん、まだ会ったこともない未来の子どもたちと、そこに私がいるように絵を通じて話し合いができれば良いなと思うからでもある。

 時は無情に過ぎてゆくが、石に描かれた絵はこのポンペイの絵のようにタイムマシンに乗ってこれからも未来に向かって飛行し、過去未来が別々のものでは無いということを伝えてくれているのだろう。

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 「世界遺産 ポンペイの壁画展《は七月三日まで。その後、吊古屋市博物館(七月二十三日~九月二十五日)ほかへ巡回。