「理念型新人類《の危ない賭け 

   朴喆 煕 (ソウル大学国際大学院教授)


     2015.11.22 東京新聞



 一九九〇年代末、党派を超え政策を通じて議論を深める新しいタイプの政治家を「政策新人類《と,呼んだ。当時、安倊晋三、塩崎恭久、石原伸晃の各氏らが吊を連ねた。最近の政界には「理念型新人類《と呼ぶべき政治家が現れ始めている。これまで当然視されてきた理念と認識を改め、主導権を握ろうとする新型の政治家である。

 稲田朋美自民党政調会長は六月に「東京裁判の判決理由にある歴史認識はあまりにもずさん。日本人による検証が必要だ《と明言した。結党六十年を迎えた十一月、自民党は東京裁判の判決内容などを検証する党の新組織の立ち上げを決定した。理念型新人類の稲田氏がこの検証の流れをつくったのは周知の事実である。

 戦後秩序の原点の一つである東京裁判の検証は「危ない賭け《といわざるを得ない。河野談話検証の目的がアジアに対する基本姿勢の再検討であったとすれば、東京裁判の検証は米国を中心とした戦後の枠組みへの挑戦を意味する。当然中国や韓国だけではなく、戦勝国である米国からも憂慮の声が上がるだろう。

 しかし、自民党は新組織への批判を抑えるために三つの防衛措置を用意した。まず、穏健派を代表する谷垣禎一幹事長をトップに置いた。また、結論や提言をまとめない勉強会形式をとり、若手のための歴史学習の場にするとした。そして、検証の対象を日清戦争にまで広げ、東京裁判の検証のみに関心が集中することを避けた。とは言っても、東京裁判が検証の中心にあることに変わりはない。

 検証すること自体が、東京裁判の決定をそのまま受け入れたくないという立場の表れである。河野談話を継承したいのであれば、河野談話を検証する必要がなかったことと同じだ。もちろん、検証によってその根本的前提である日本の戦争責任を否定することはできまい。それよりも、南京大虐殺の犠牲者が二十万人をはるかに下回っていたなどの細かい議論に入りたいという心情が見え隠れする。しかし、客観的に見て、東京裁判を検証しようとする動きそのものが、東京裁判の精神を否定する「歴史修正主義《と解釈されても仕方がない。

 もし、検証の狙いが細かい数字論を超え、戦前日本の軍国主義体制を美化したり、かつての戦争は日本を守るためであって侵略戦争ではなかったとか、A級戦犯は国内法的には犯罪者として扱わないなどの解釈へと拡張し、東京裁判の基本前提までも疑問視するようなことになれば、米国や世界を相手にけんかをしかけるようなものである。

 だれでも自分の国に対して誇りを持つことは至極当然だと思う。しかし、日本が誇るべきは侵略戦争を起こしたかつての日本ではなく、民主主義を尊重し、経済成長の歩みのなかで技術大国としての確固たる地位を築きあげ、世界平和への貢献と発展途上国を支援し続けた戦後日本の輝かしい足どりであろう。

 責任ある政治家の歴史に対する検証は、もっと立体的・総合的観点から反省すべき点と誇るべき成果を峻別する機会にしてほしい。自己弁護のための他国批判に懸命にならず、国際社会との連携、共生、協力を深めるための歴史的教訓を見いだす場として活用されるべきではないか。