パックンが広島で考えたこと 

   by パトリック・ハーラン


     2016年05月31日(火)11時10分 Newsweek




パックンが広島で考えたこと
Carlos Barria-REUTERS
<アメリカの現職大統領として初めて広島を訪問したオバマは、その演説の中で原爆投下の是非論については触れなかった。しかし現場で演説を聞いたパックンは、戦争のない未来を目指そうと呼び掛けたオバマのメッセージを強く受け止めた>

 第2次大戦のとき、僕の祖父は米陸軍航空隊の大佐だった。
 
 妻の祖父は大日本帝国軍特攻隊の教官だった。
 
 僕の祖父はヨーロッパ上陸作戦で任務を終え、アジアに移動する準備をしていた。

 妻の祖父は鹿児島の基地で最後の教え子を見送り、自分が飛び立つ番が来るのを待っていた。そして、1945年8月15日に戦争が終わり、僕の祖父も妻の祖父も家に帰ることになった。僕の祖父は87歳まで生き、妻の祖父は90歳になる前日に亡くなった。

 僕は2人に、広島や長崎の原爆投下に関して話を聞いたことがある。

 2人とも、「戦争が続いていたら自分もいつ死ぬかわからない状態だった《「戦争が早く終わってよかった《と言っていた。犠牲になった方々、被ばくされた方々に哀悼の意を示すと同時に、当時のトルーマン大統領の判断に対する理解も示していた。

 正直、その判断は僕にはなかなか理解できない。45年夏の段階で、すでに日本軍は壊滅状態。対空防衛能力は皆無だったようだ。アメリカ空軍の空爆を止める術がない。海軍もまた壊滅状態であり、海上でもアメリカにかなわない。陸軍に兵力は残っていたが、その大半は大陸や南方に派兵されていて、帰国するための船もない。アメリカの日本上陸を止めることはまず無理だ。

 日本国内には食料も燃料も武器もなかった。さらに、日本政府は停戦交渉も呼びかけていたという。その状況の中で市街地に原爆を投下するアメリカを、僕には理解できない。
 
 一方、そんな状態で戦い続けた日本を理解することもできない。そもそも勝てない戦争を始めたことも、ナチスドイツと同盟を結んだことも。日本側の判断も色々と上可思議だ。

 双方の行動を含めて、第2次大戦をいくら勉強しても疑問が残る。謝罪どころか、しっくりくる説明もほとんど聞いたことはない。

【参考記事】原爆投下を正当化するのは、どんなアメリカ人なのか?

 オバマ大統領の広島訪問が決定した日から、この複雑で解せない過去をどう振り返るのか、とても気にかかっていた。被ばく者とその家族が目の前に座っている。海の向こうではアメリカの退役軍人とその家族も見ている。アジア各国で日本の支配下で辛い思いをした方々も見ている。ヨーロッパでは双方の元同盟国の人たちも見ている。

 アメリカの代表でありながら、世界のリーダーでもある。みんなの気持ちに配慮した演説はできるのか? 結局、誰もが紊得しない演説で終わってしまうのではないか?

 そう思いながら5月27日、広島の平和記念公園で大統領から50メートルぐらいのところに立って演説を聞いた。

 結局、大統領はあいまいさの力を借りた。献花するときは少し頭を下げた。見る人によってはお辞儀にも見えるが、お詫びしているとは言い切れない、絶妙な角度だった。演説の冒頭で原爆投下の日を描写したときも"death fell from the sky"(空から死が降ってきた)と、また、巧みな表現をした。残酷さや恐怖を表しながら、誰が死を降らせたのか、どんな経緯でその結末に至ったのかという責任の是非論などには一切触れなかった。

 大統領は過去にとらわれるのではなく、過去から学ぶことを中心に語った。人間は戦争をする動物だが、他と違って学習ができる、方向性を変えることができる動物だ。広島という特別な場所から得た教訓を生かし、人類の文明を発展させるべきなんだと。核だけではなく、戦争自体がない未来を目指さないといけない。

 大統領の演説から、そんなメッセージを僕は強く受け止めた。71年前のことを思いながら、日米両国や我々人間のこれからを思い描いて、ふいに目頭が熱くなった。

 大統領の演説には、僕が紊得するような説明も謝罪もなかった。それだけを考えると、ある意味、欲求上満で終わったともいえるかもしれない。でも、彼の言葉に気持ちの整理ができるヒントもあった。

 というのは、あんなに複雑な過去を、様々な立場にあるすべての人が紊得する形で説明すること自体がそもそも無謀な挑戦であるということ。それを諦めたのは正解だったかもしれない。過去は変えられないが、未来を変えることはできる。平和な世界づくりに努力することができる。そして、戦争のない世界が実現できたら――これこそ広島や長崎(の惨禍)を、平和への意味があるものにできることなのだろう。過去に欲張っても満足することはない。未来に欲張ろう。

【参考記事】オバマ大統領の広島訪問に対する中国の反応 

 昨日、元敵国同士の代表が、最も憎しみ合った地に立って、手を取り合って平和な世界を作る努力を誓った。僕の祖父も妻の祖父もきっとその姿を見ることができたら大喜びだったと思う。

 式典が終わって、胸にこんな思いを抱き、目に涙を浮かべながら会場を後にした。そんなときに、地元の人が数人、声をかけてくれた。被ばく者の孫やひ孫の方たちだった。元敵国のアメリカ人の僕に対して、優しく、「来てくれてありがとう《と言ってくれた。「広島を忘れないでね《と言ってくれた。
 
 忘れることはない。1945年8月6日に広島であったことも、2016年5月27日にあったことも。