NEWSポストセブン
安倊晋三・首相が批判を封じ込める時の“魔法の呪文”といえば「それは印象操作だ《だ。今国会では16回も連発した。その一言で世論はコロリと変わり、メディアは「政権を攻撃する側《に批判を向け、スキャンダルが続いても支持率は下がらない。
そうした異形の政治手法が出現したきっかけは、2009年の「国策捜査《ではなかったか。検察とメディアの印象操作で国民は野党第一党党首を犯罪者と思い込み、小沢一郎氏は民主党代表を辞任、政治の中心から排除された。「小沢の敗北《がなければ、現在の「安倊一強《も、“魔法の呪文”も誕生しなかったかもしれない。
この政治状況を打開する方法はあるのか。当の小沢氏に安倊一強政治の“製造責任”を問うた── 。〈聞き手/武冨薫(政治ジャーナリスト)〉
── 加計学園問題では、文部科学省の文書を官房長官が「怪文書《と言い張り、告発した前川・前次官の証人喚問を与党が拒否する。政権に逆らう者は大メディアに批判されて社会的に抹殺される。この異様な「空気《をどう見るか。
小沢: その根底には日本人と日本社会の形成の過程があると思う。日本というのは「和《の社会で、社会の一員として内側に入っている限りは権力から庇護される。だから異見があってもなるべく言わないで、みんな丸く収めていこうとなる。そうすれば何とか生きていけるからだ。その中で、お上、特に官僚を中心とした権力が非常に強くなった。
だからこそ、僕は「自立と共生《というものを基本的な理念として主張してきた。日本人はきちんと一国民として自立しなければならない。自立した国民の集合体が自立した国家になる。自立しない国民によって構成される国家は、その時々の、それこそ「空気《であっちに流れ、こっちに流れ、権力を掌握している者にとって都合よく動かされる。そして、その空気がますます強くなっていく。
2009年に政権交代が現実的になった時も、“小沢が総理になったら、これまで築き上げてきた官僚支配が崩される”と、旧体制を支配してきた人たちが非常に心配したんでしょう。それが多分、“小沢を潰せ”となって、権力による国策捜査につながったんだと思う。
そのことが「政権交代の先頭に立っている者が強制捜査を受ける。お上というのはそれができる。何も法律に違反する行為がなくても強制捜査をやれるんだ《と、国民に再認識させたことは間違いない。今でも全然その傾向は変わってない。それどころか強くなっていると思う。だから国民には「お上に逆らわないほうがいい《という意識がまた頭をもたげてきたのではないか。
── 当時、メディアも国民もあなたを犯罪者扱いしたが、司法の場で無実であったことが証明され、法的にあなたは攻防に勝利した。
小沢: 時間はかかりすぎたけれどもね。
── それを承知の上で聞きたい。2009年の時点であなたがそうした「空気《を覆すことができていれば、現在の安倊一強のような、権力に上都合な者が潰されるような社会には向かっていなかったのではないか。
つまり、小沢でさえも潰されてしまうという状況を目の当たりにして、多くの者が権力批判を怖れ、諦める風潮が生み出されたといえるのではないか。
小沢: 今思えばだけれど、僕の失敗は、あの時に民主党の代表を辞めたことだったかもしれない。あの時は麻生政権が行き詰まっていて、国民の間に政権を民主党に任せようという機運が広がっていた。そんな政権交代のチャンスを目前にして、僕に対する捜査のせいでマイナスになってはいけないと思って代表を降りた。
けれども、その判断は正しかったのか。僕は政権交代選挙でも選挙責任者として陣頭に立った。そのことを政権と検察とマスメディアが徹底的に叩いたけれど、総選挙では民主党が圧倒的に勝った。僕が辞めなくても勝ったよという人もいる。その意味では、本当に冤罪なのだから、辞めないという手はあったんだと思う。
── 代表を辞任したのは、「小沢は辞めるべきだ《という国民の「空気《を感じたからではないのか。
小沢: それは違う。捜査されることによって政権が取れなくなったら、僕は悔やんでも悔やみ切れない。だから少しでも選挙での障害を減らそうとした。政治的、選挙戦略的な決断だ。
── しかし“小沢総理”が誕生していたとしても、検察は捜査を続けたでしょう。そうなれば、新政権発足直後から「総理疑獄《にまみれてしまった。
小沢: それはないだろう。なぜなら、僕がもし総理になっていたら検察に「疑惑の証拠を見せろ《と求めるから。別に捜査するなと命令するわけじゃない。「証拠があるなら捜査すればいい《とも言う。検察は証拠なしで捜査していたんだから、そんなものは出せない。検察が黙ればメディアも黙るからね。
※週刊ポスト2017年6月23日号
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