「翁長君は誤解されている《元知事が明かす沖縄、
  上条理の正体
  そして「真のオール沖縄《へかける思い

  石戸 諭記者・ノンフィクションライター


      2018年9月28日 13時30分 現代ビジネス

稲嶺恵一元知事
プロフィール
1933年生まれの84歳。1998年から2期8年にわたって沖縄県知事を務めた。沖縄を二分した初当選時の選挙は「稀に見る激戦《として、今でも語り草となっている。


基地推進派と基地反対派の一騎討ち。今回の沖縄県知事選は、そうした構図で語られがちだ。しかし、それほど単純な話として捉えていいのか。「本土《からは見えないものがあるのではないか。ノンフィクションライターの石戸諭氏が、選挙戦真っただ中の沖縄で要人たちに話を聞き、その複雑な感情の地層に触れた。

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沖縄県政を知り尽くした元沖縄県知事・稲嶺恵一。1998年、経済界を中心とした支持のなか擁立され、自民党のバックアップを受けて「基地反対派《から県知事の椅子を取り返した人物である。今年8月に急逝した翁長雄志前知事とは深い関係を結んでいた。葬儀でも弔辞を読みあげた稲嶺は、この知事選をどう見るのか。友人・翁長、そして真のオール沖縄への思い??。

翁長氏が受けていた「誤解《

《翁長君のことを本土の人たちは誤解しがちです。なんで彼が左、革新の政治家なのか。辺野古に新しい基地を認めないと反対したからですか? まったく違います。彼は沖縄の保守政治家として亡くなっていったんです。これだけは忘れてほしくないですね。》

任期中の8月に亡くなった沖縄県知事・翁長雄志について、強い口調で「本土の誤解《を語るのは稲嶺恵一・元沖縄県知事である。


基地問題で国と対峙した大田昌秀県政のせいで「革新上況《に陥っていると相手陣営を強烈に批判し、自民党の後押しを受けて「政権奪還《を果たした。選挙で重要な役割を果たしたのが、自民党沖縄県連幹事長(当時)の翁長だった。彼ら二人は同志である。

大田は沖縄の米軍基地を認めない、日米安保とは違う平和政策を目指すという沖縄革新の象徴的存在であり、県民からも高い人気があった。

保守派が政権を取るために何をすべきなのか。選挙をよく知っていた翁長には秘策があった。自身のパイプを使って、長年、大田県政を支えていた公明党を切り崩し、稲嶺支持を取り付ける。その後、国政レベルでの自民・公明の協力も後押しして、稲嶺県政を誕生させたのだ。

普天間飛行場移設問題について、稲嶺は「基地固定化を避けるため、例えば15年の使用期限を設けること《「軍民共用空港とすること《を当時の公約に掲げていた。翁長も県内移設には賛成していた。

そうであるにもかかわらず、彼の晩年の主張は普天間飛行場の辺野古移設は絶対に認めないという、表面だけみれば、過去の大田ら革新の主張に接近している。転向したかのようにも見える。

事実、辺野古移設反対を結節点に翁長を支えた「オール沖縄《には経済界、保守系だけでなく、共産党や社民党といった革新陣営もいる。

なぜ、翁長が保守派を貫いたと言えるのか。そこには「沖縄《が抱える複雑な事情、感情が見え隠れする。

稲嶺は諭すような口調で、静かに先人の言葉を引用した。

《「沖縄の心《とは何かと聞かれて、「ヤマトンチュになりたくて、なり切れない心《と語ったのは、沖縄保守の大物政治家だった西銘順治先生の言葉です。

翁長君は僕から見ると西銘さん直系で、ウチナンチュとヤマトンチュの違いを非常に強く意識していたと思います。この精神が大事なのです。

自民党時代の翁長君は確かに辺野古移設に賛成していました。その後の議論の中で、彼はおかしさを感じたんじゃないかと思うんです。

沖縄では議論を重ねているのに、いつまでたっても日本全体は、外交や国防という問題は自分たちには蚊帳の外、関係ない問題だ、という意識で沖縄に多くの基地負担を押し付けている。

それについて、改善の努力もしない。そんな状況にしびれを切らしたんでしょう。》

沖縄と本土の温度差ーー。沖縄で知事選を取材中、ある地元紙記者からこんなことを言われた。「沖縄で米軍基地に賛成ですか、反対ですかという質問ほど意味がないものはない《。

なぜですか、と私が問うと彼はまずこれをみてくれと一本の動画を再生した。

米軍が軍用機・オスプレイにコンクリートブロックを吊り下げながら、民家上空を低空飛行で通り過ぎていく「訓練《の映像だった。

「国にとって防衛が大事だと言うのなら、基地があることは認めましょう。訓練もやってもらっていいです。でも、せめて住宅地の上を訓練で飛ぶこと、小学校の上を通過することはやめさせてほしい……。そんな声があるんですよ《

彼が言いたかったのは、現在の沖縄では基地に賛成だから保守、反対だから革新ときれいに色分けされるわけではないこと。

生活に直結した問題も解決されないまま、さらに新しい基地を沖縄に作るという国の方針への憤りが広がる「心情の問題《を理解してほしいということだった。

こうした声を踏まえれば、翁長の論理、背景にある怒りは非常に明快になる。稲嶺の言葉を続けよう。

《翁長君は保守派だから日米安保も米軍基地も認める。しかし、国防という国の課題を沖縄ばかりに押し付け続けるのはおかしいと言ってきたのです。

本当に国防が大事だというなら、県外にもっと米軍基地があってもいいはずなのに、なぜ沖縄の負担が減らないのか。それはおかしいのではないかというわけです。

革新なら基地そのものに反対だと言ったでしょう。彼はただの一言もそんなことは言わなかった。

彼が言ったのは、普天間飛行場を返すかわりに、辺野古に新しい基地を作ることは認めない。これだけです。彼が『保守』の論理を貫いたことがわかるでしょう。

普天間の問題が大きくこじれてしまったのは、オール沖縄に政府と交渉できる人材、根回しできる人材がいなかったこと。政府も変化していることに原因があるんじゃないですか。

昔は本土の政治家でも沖縄のことを思ってくれる人もいたけど、今は……。》

「野中先生は心を寄せてくれた《

最近、選挙の構図が「保守 対 革新《ではなく、「沖縄保守 対 本土保守《の対決に変化してきたと解説する人もいる。翁長的沖縄の保守の論理と、時の安倊政権が進める移設の論理がぶつかる。

戦中、戦後の歴史を知る稲嶺の目には、いまの保守政治家はどう映っているのだろうか。エピソードから話が広がっていく。

《自民党の野中広務先生がやってきたときのことです。

ちょっと右派的で過激な発言をした首長がいたんです。野中先生は彼の主張を聞いた上で、そっとたしなめるように「領土問題はあるけれど、隣国と仲良くしていくのは大変重要なことだ《とこんこんと解いていました。

このことは強く覚えています。野中先生は自身に戦争体験もあったせいか、沖縄のために尽力してくれる政治家でした。沖縄に心を寄せてくれる政治家は、平和に対しても心を寄せられる政治家なんです。

小渕恵三先生、橋本龍太郎先生(いずれも元総理)も沖縄を思い、ルールだからいい、法律に従っているからいい、ではなく、まずは話をしようという心があったように思うんです。

いまの安倊(晋三)首相―菅(義偉)官房長官ラインは、法律に基づいているからいいだろう、という発想で一貫して進めるんですよ。

安倊首相は自分が正しいと思ったことは必ずやる信念を持っています。そして理性で物事を進めようとしていますね。非常に合理的なのです。

そこに沖縄との溝というか、悲劇が生まれているでしょうけどね。》

稲嶺が懸念していると語るNHKの世論調査(2017年)がある。NHKが定期的に調査している沖縄県民の意識だ。

Q「現在、本土の人は、沖縄の人の気持ちを理解していると思いますか《
1:十分理解している 2.7%
2:まあ理解している 16.3%
3:あまり理解していない 50.2%
4:まったく理解していない 19.4%
5:わからない、無回答 11.4%

理解していないと答える層の比率が最近になり増えているという。

《これは感情の問題ですよね。理解していないと言う人たちが増えていることが気になっています。将来的に何らかのよくない問題を引き起こすのではないかとも思うのです。

人間と人間は信頼関係を結んで物事を進めていくのがいいのであって、信頼関係がないなかでは、どこかで難しい問題が起きてくる可能性がある。》

普天間移設問題が長引いている理由の一端が垣間見える気がすると話すと、稲嶺は少しだけ語気を強める。

《本土の人はこの問題で「沖縄がおかしい《と思っているんだけど、違うんですよ。本土の政治が沖縄を変えるわけですよ。

時の総理が言うことが変わってしまうんです。政権で言うことがみんな違うんです。政権交代した時の鳩山(由紀夫総理)発言、「最低でも県外《というのがありましたね。これが決定的でした。

私は自分が選挙を勝った時に、条件付きの辺野古移設なら県民は容認してくれたと思っていた。それなのに、あの発言ですべて変わってしまった。

政府が本気を出せば、県外に移設ができる。これは県民からすれば希望です。だから移設反対の声は高まり、現在に至っている。

ご存知の通り、鳩山発言は撤回され、その後も総理大臣、外務大臣、防衛大臣、沖縄担当大臣がコロコロと変わる。沖縄側は変わらないのに、相手が変わり、その度に方針も変わるわけです。

沖縄は振り回され、問題を押し付けられている。そんな意識が高まるのも仕方ないことなのです。》

忘れられつつある歴史

稲嶺は「歴史《という言葉を大切に使う。

《歴史を辿れば、沖縄県民は賢明な選択をしてきたと思うのです。保守だけでなく、革新も県政を担うことで批判の声もしっかりと届けていた。

そこには戦争の歴史、米軍統治下の記憶というものがしっかりと残っていた。僕もその一人です。1943年、9歳の時に父の仕事先であるタイから日本へ戻る途中、ベトナム沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受けたんです。かろうじて最後のボートに乗った。僕は「ボートピープル《になりました。

このことを忘れたことはありません。

今は、ちょっと心配です。沖縄の歴史がうまく伝わっているか。沖縄でも若い人たちを中心に保守化、もっというと安倊首相が率いる自民党のような保守化が進んでいるように思うのです。

昔の沖縄にいた保守政治家は非常にしたたかに振る舞い、中央に強いことを言ってきました。今の保守政治家はどうでしょう。中央にちゃんと沖縄の思いが言えるのでしょうか。

異論を唱えることができるのでしょうか。言うべきことを言わないというのは、沖縄に上満だけを残すのです。》

もはや「基地依存《ではない
経済を大事にしたいときは保守、基地問題を重視するときは革新を選ぶ。そんな構図も、もはや過去のものになりつつある。だからこそ、忘れてほしくないことがあると口を開く。

《沖縄は基地依存経済だと言われますが、基地関連の収入が県民総所得に占める割合はだいたい5%です。基地返還後の跡地利用も成功事例がでてきています。

いま、沖縄の観光は非常に好調です。国内だけでなく台湾、中国、東南アジアからも多くの人たちがやってくる観光地に成長しています。

大事なことは、観光は平和産業であるということです。平和だから好調なんです。僕が知事を務めていた2001年の同時多発テロをうけて、米軍基地がある沖縄の観光は冷え込みました。

平和であるか否かが商売に直結することもまた沖縄の現実なのです。》

インタビュー終了の約束の時間は大幅に超過し、秘書がポストイットに書いたメモを持って部屋に入ってきた。次の約束があるという。稲嶺はインタビューの最後に柔和な顔で、「真のオール沖縄《を実現してほしいと語った。

《僕は真のオール沖縄を実現してほしい、それこそが翁長君の意思を継ぐことになると語ってきました。

自民党、公明党も交えて沖縄が声をあげる時、保守や革新、経済界だなんだとか関係なく沖縄全体が声をあげる。

例えば1995年の米兵3人による少女暴行事件のときを思い出してほしい。みんなが声を上げることで、国もアメリカも動くのです。沖縄は国全体からみれば人口1%だけど、1%でもまとまれば動くのです。

逆に言えば、まとまらないかぎり相手は動かない。そこを忘れてはいけないのです。》