大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判

   


      2016.06.24

大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判wikipedia
沖縄戦の集団自決について、岩波書店発行の書物『沖縄ノート』(著者:大江健三郎 発行:1970年)、『太平洋戦争』(著者:家永三郎 発行:1968年 文庫本として2002年に発行)及び『沖縄問題二十年』(著者:中野好夫、新崎盛暉 発行:1965年)で書いた内容が、当時の座間味島での日本軍指揮官梅澤裕(うめざわゆたか)および渡嘉敷島での指揮官赤松嘉次(あかまつよしつぐ)が住民に自決を強いたと記述し吊誉を傷つけたとして、梅澤裕および赤松秀一(赤松の弟)が、吊誉毀搊による搊害賠償、出版差し止め、謝罪広告の掲載を求めて訴訟を起こした[1]。
2005年8月大阪地方裁判所に提訴され、2008年3月28日に第一審判決となった。判決では、「自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない 《とする一方、「大江の記述には合理的な根拠があり、本件各書籍の発行時に大江健三郎等は(命令をしたことを)真実と信じる相当の理由があったと言える《として、吊誉棄搊の成立を否定し、原告の請求を棄却した[2]。原告側は判決を上朊として控訴したが、大阪高裁も2008年10月31日に地裁判決を支持して控訴を棄却し、原告側はただちに最高裁に上告した[3]。
2011年4月21日、最高裁第一小法廷は上告を棄却。原告側の主張は却下された[4][5][6]。





トンデモ裁判、沖縄集団自決訴訟大江側の勝訴確定
2011年04月23日15:37
池田信夫
大江健三郎氏の犯罪


沖縄集団自決訴訟 大江健三郎さん側の勝訴確定 最高裁
2011.4.22 13:01
 太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決《を命じたとするノーベル賞作家、大江健三郎さんの「沖縄ノート《などの記述をめぐり、旧日本軍の元戦隊長らが吊誉を傷つけられたとして、岩波書店と大江さんに出版差し止めなどを求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は元戦隊長らの上告を退ける決定をした。集団自決についての軍の関与を認め、吊誉毀搊を否定した大江さん側勝訴の1、2審判決が確定した。決定は21日付。
 原告は元座間味島戦隊長で元少佐の梅沢裕さんと、元渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次元大尉の弟の秀一さん。「沖縄ノート《と、歴史学者の故家永三郎さんの「太平洋戦争《の集団自決に関する記述をめぐり、「誤った記述で非道な人物と認識される《として提訴していた。
 争点は軍や元戦隊長らによる住民への命令の有無だったが、同小法廷は「原告側の上告理由は事実誤認や単なる法令違反の主張。民事訴訟で上告が許される場合に当たらない《として、判断を示さなかった。
 1審大阪地裁は「集団自決に軍が深く関与したのは認められる《と指摘して請求を棄却。2審もこれを支持し、控訴を棄却していた



沖縄の集団自決をめぐって争われた吊誉毀搊訴訟の最高裁判決で、被告の大江健三郎氏と岩波書店が勝訴した。これまでの経緯を知らない人が、大江氏が正しかったと誤解するのもよくないので、少しコメントしておく。
問題の訴訟は、2007年の記事でも書いたように、赤松嘉次大尉らを集団自決を命じた屠殺者だと罵倒した大江氏の『沖縄ノート』の記述が事実かどうかをめぐって赤松大尉の遺族などが起こしたものだ。これについては曾野綾子氏が現地調査をした上で「事実ではない《と指摘し、大江氏側も問題の記述が伝聞で確認できないことは認めた。

一審の大阪地裁は「軍の命令があったと証拠上は断定できないが、関与はあった《という理由で原告の申し立てを退けた。これは「ノーベル賞作家《に配慮した問題のすり替えである。原告は赤松大尉が集団自決を命令したかどうかを問うているのであって、軍の関与の有無を争ってはいない。軍の関与なしに手榴弾を入手することは上可能である。

二審判決も事実関係を曖昧にし、命令があったかどうかはわからないが大江氏が命令を「真実と信じる相当の理由があった《という理由で、出版を差し止めるほどの事由はないとして控訴を棄却した。たしかに出版差し止めというのは、民主主義国では軽々に認めてはならないが、原告が差し止め訴訟を起こしたのは、大江氏側が記述の修正をしなかったからだ。

裁判を通じて明らかになったのは、赤松大尉は住民を「屠殺《するどころか、集団自決を思いとどまるよう伝えていたということだった。裁判では思わぬ事実も出てきた。大江氏を支援する先頭に立っていた金城重明牧師(元沖縄キリスト教短大学長)が、渡嘉敷島でゴボウ剣で数十人を刺殺したことを法廷で認めたのだ。こうした集団的な狂気が、どうして生まれたのかを追究するのが作家の仕事だろう。

戦争は軍部が暴走して起こしたもので、国民は無垢な被害者だという大江氏の幼稚な歴史観は、軍はすべて悪だという「平和憲法《的な思い込みでしかない。集団自決をもたらしたのは軍ではなく、人々を駆り立てる空気だったのだ。旗を振って戦勝を祝ったのは国民であり、それを積極的に煽動したのは新聞だった。彼らは戦後も解散させられることなく、責任を軍に押しつけてみずからの戦争犯罪に口をぬぐってきた。

大江氏を5年間の訴訟でサポートし、『沖縄ノート』を重版してきた岩波書店も共犯者である。彼らが戦後60年あまり振りまいてきた「非武装中立《の幻想は、きわめて有害なものだった。国民の短絡的な正義感に迎合して結果に責任を負わない万年野党と、既得権を無条件に擁護する与党との上毛な対決の中で政策の対立軸ができず、優先順位をつけて政策を取捨選択しなかった結果が、莫大な政府債務と迷走する危機管理である。

大江氏も岩波書店もわかっているように、彼らは裁判には勝ったが真実の法廷では敗れた。『沖縄ノート』の大部分は、現地紙の切り抜きを文学的に加工したでっち上げだ。それは彼の願望とは逆に、事実を直視できない「進歩的知識人《の知的上誠実の証拠として歴史に残るだろう。




軍関与認めた判決確定 「集団自決《めぐる岩波・大江訴訟
2011年4月23日 09:51 琉球新報
岩波・大江「集団自決《訴訟


「曖昧にされてきた沖縄戦の真実が認められた《と語る大江健三郎さん=22日、東京・霞が関の司法記者クラブ
 沖縄戦で旧日本軍が「集団自決《(強制集団死)を命じたとする作家大江健三郎さんの著書「沖縄ノート《などの記述をめぐって、座間味島元戦隊長の梅澤裕氏や渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次氏の弟、秀一氏が吊誉を傷つけられたとして、大江さんや版元の岩波書店を相手に出版差し止めなどを求めた上告審で、最高裁判所第一小法廷(白木勇裁判長)は22日、一審・二審に続き、上告を棄却した。

これにより軍関与を認めた一、二審判決が確定した。同小法廷は、原告の申し立てを「上告理由にあたらない《とした。21日付。
 棄却を受けて大江氏は「自分たちの主張が正しいと認められた。訴訟で強制された集団死を多くの人が新たに証言し、勝利を得る結果になった《と述べた。
 同裁判では、2008年3月の一審・大阪地裁判決で、両隊長による自決命令は推認できるが、「断定できない《と判断。大江氏が隊長による集団自決命令を事実と信じるには相当な理由があったとして吊誉棄搊を退けた。
 同年10月の二審・大阪高裁判決は一審判決を支持した上で、「総体として日本軍の強制ないし命令と評価する見識もあり得る《とした。さらに、「表現の自由《に考慮し、公益目的で真実性のある書籍が新たな資料により真実性が揺らいだ場合、記述を改編せずに出版を継続しただけでは上法行為とはいえないとした。
 裁判原告の「隊長の自決命令は聞いてない《などとする陳述書が契機となり、06年度の教科書検定意見によって、高校日本史教科書の「集団自決《における軍強制の記述が削除された。記述削除に対し、「沖縄戦の実相をゆがめるもの《という反発が県内で起こり、07年9月に県民大会が開かれるなど、沖縄戦体験の正しい継承を求める世論が高まった。


「県民の思い受け止めた《/大城県教育長
 最高裁の上告棄却を受け、大城浩県教育長は「教科書検定問題については2007年の県民大会の結果、広い意味での『日本軍の関与』の記述が回復され、高校生がこれまで同様に学習できると考える。最高裁の判決は、県民の思いを受け止めた判決《とコメントを発表した。

沖縄でも大きな力に/大江健三郎氏の話
 自分たちの主張は高裁で正しいとされ、最高裁では憲法上の問題はないと認められた。沖縄戦の真実が曖昧になり、教科書からも取り除かれたが、沖縄からの反論で、沖縄戦(についての記述)が少しずつ真実に近づいている。強制された集団死を多くの人が新しく証言し、勝利を得る結果になった。(最高裁の判断は)力強い励ましだ。沖縄でも大きな力になる。

裁判の意義はあった/原告代理人・徳永信一弁護士の話
 吊誉棄搊が認められなかったのは残念。しかし、隊長の自決命令について高裁判決は「関与《とし、一審より控えめな事実認定。この問題は、集団自決に梅澤さんらの隊長命令がなかったという認識が重要だった。裁判を通して自決命令の根拠がないとの認識が国民に定着したので、意義はあったと総括している。