(論壇時評)豪雨災害を機に 地方行政の単位、見直す時 

    歴史社会学者・小熊英二


     2018年7月26日05時00分 朝日新聞



 7月の西日本豪雨の被災地は、2005年の「平成の大合併《で隣接の自治体に編入されたところが多い。倉敷市真備町や東広島市河内町などがそうだ。広島市や岡山市も、周辺の山村を編入した巨大な広域市で、被災したのはおもに山あいの周辺地域である。

 三陸の津波被災地を調べた経験からいえば、広域合併は災害に様々な影を落としている。合併された町は、町議会や町役場がなくなり、意思決定機能を失う。物事を決めるのは、遠く離れた中心街にある県庁や市役所、市議会などだ。結果的に復興計画なども、地域の実情と乖離(かいり)した巨大土木工事などになりやすい。

 とはいえ、市役所職員を責めるのは酷でもある。日本は公務員の数が少なく、人口千人当たりの公務員数は英仏やアメリカの半分程度だ〈1〉。そのうえ広域合併で人減らしを進めたので、非正規職員を含めて業務に忙しく、合併で編入された周辺地域には行ったことがない職員も多い。この状況で、被災地域の事情を十分に理解するのは難しいことだ。

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 公務員の数が少ないぶん、負担は地域の自治会長にかかる。山村地域は、山あいに点在する数十~数百世帯の集落から成っており、各集落に自治会がある。集落の被災状況を報告したり、必要な弁当の数を申請したり、救援物資を配布したりといった仕事は、高齢の自治会長がこなすことが多い。過労で倒れる自治会長が出ても上思議はないだろう。

 日本では、自治会や町内会が住民を把握することで、公務員が少なくてもやっていける体制を築いてきた。かつての自治会長や民生委員は、どこの家庭が貧困かといった地域事情をよく知っており、行政はその情報を頼りにしてきた。だが自治会の加入率が落ち、そのうえ広域合併で行政がカバーすべき範囲が広くなると、少ない公務員では地域社会の状況を把握できなくなる。こうした把握力の低下が、災害では集中的に露呈しやすい。

 忘れられがちなことだが、県や市は行政組織の単位であって、地域社会の単位ではない。「広島が豪雨で被災した《といっても、広島県や広島市の職員は被災した地域に詳しくないかもしれない。ものごとを「広島《という行政単位で語ると、実情を見誤りかねないのだ。

 同様のことは「地方再生《についてもいえる。県の産業振興と、地域社会の活性化は必ずしも一致しない。たとえば、仙台市域の産業を集中的に振興すれば、宮城県の人口は増えるかもしれないが、県内他地域から仙台への人口流出は加速するかもしれないのだ。

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 地域を語る単位の問題を、秋田県を論じた座談会からみてみよう〈2〉。秋田県は人口減少率と高齢化率が全国一だ。この座談会の参加者は、三人とも秋田県生まれだが、微妙に立場が違う。一人は秋田県あきた未来戦略課長、一人は男鹿市の企画政策課副主幹、一人は地域づくりを研究する大学助教である。三人それぞれが「秋田《という言葉を使いながら、実は視点が異なっている。

 まず秋田県課長の久米寿は、「県《の人口流出を止めることを重視し、「本県最大の課題は産業振興による雇用の創出《だと述べる。具体的には「航空機、自動車、新エネルギーなど五分野を成長分野と位置づけ、新たな参入促進や競争力の強化に取り組んでいる《という。

 それに対し男鹿市職員である三浦大成は、県よりも「市《の立場に立つ。彼によれば、男鹿市が衰退する根本原因は、住民が自信を失い、「この地域に未来がある、明日がある《と信じることができないことだ。たとえ小さな産業や小さな工夫でも、あるいは地元の交流や家庭の談笑でも、「数字には表れない地元にいるメリット《を住民に理解してもらわなくてはならないという。

 一方で東京大学助教の工藤尚悟が重視するのは、数十戸単位の「集落《だ。集落の消滅は、地形や天候に根ざした「伝統知《の消滅を意味する。その対策としては、従来型の企業誘致よりも、廃校を地域拠点に変えたり、農業やITで起業するIターン移住者を募ったりして、地域に関わる人材を増やすべきだという。

 三者の視点はどれも重要ではある。だが現代は、地域がITで東京や世界と直接に交易できる時代だ。その時代に、県という単位で地域振興を論じることの有効性は下がっているのではないか。

 もちろん政治や行政の単位は必要だ。だがその単位としては、県や広域市は大きすぎ、住民から遠すぎる。行政が自治会長を通じて住民を把握できた時代ならいざしらず、現代では住民ひとり一人が参加や責任の意識を持ってくれないと、行政も政治も機能しない。

 そんななかで長野県飯綱町は、町議会の改革と活性化に成功した〈3〉。その人口は約1万1千人だ。このことは、アリストテレスが「人口の多すぎる国が良い法によって立派に統治されることは非常に困難《で、政治単位の人口は「一目で全体を見渡せる程度《が望ましいと述べたことを想起させる〈4〉。

 結論をいおう。大きな地方単位は現代の社会に合わない。経済では国境や県境を越えて連携し、政治や行政の単位は小さくする。地域振興や災害対策は、そういう方向をめざしていくべきだ。

 「グローバルに考え、ローカルに行動する《。この言葉は、かつては社会運動の標語だった。災害を機に、これを地域の生存戦略として考え直してみたい。

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〈1〉西尾隆・上林陽治・平野公三・山本悟司・渡辺寛人・西村美香「自治体の『人手上足』をどう乗り越えるか《(都市問題1月号)

〈2〉工藤尚悟・久米寿・三浦大成「次世代に繋げ! 秋田県が挑む日本の難題《(中央公論8月号)

〈3〉寺島渉(聞き手・相川俊英)「『地方議員のなり手を見つけ、育てる努力が上足しているのです』《(世界8月号)

〈4〉アリストテレス『政治学』第7巻第4章

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 おぐま・えいじ 慶応大学教授。1962年生まれ。共編著に東北被災地復興を論じた『ゴーストタウンから死者は出ない』。雑誌「TURNS《では「地方を知る、地方を語る《を連載。宮城県石巻市や福井県鯖江市などを訪ねた。