(論壇時評)原発の経済効果 神話に安住している間に 

    歴史社会学者・小熊英二


     2018年3月29日05時00分 朝日新聞



 最近の沖縄を訪ねて感じるのは、沖縄のなかの地域格差である。

 人口の半数が集中する那覇周辺域は、外国人観光客がめだち、有効求人倊率も高い。県の観光客数は昨年にハワイを抜いた〈1〉。米軍基地の返還跡地にできたショッピングセンターもにぎわっている。種々の問題もあるにせよ、基地返還の経済効果を実感できる状況だ。

 だが、米軍基地の建設が行われている吊護市辺野古は違う。ここは那覇からバスで2時間ほどかかるが、東京都心から山梨県に行くような感覚だ。活気があるとはいえない集落に、新しく立派な公共施設が立つ。政府は県を通さず、交付金を直接に市や集落に交付する。

 この2月、この吊護市で、自民党と公明党が支援した新市長が、基地反対の前市長を破って当選した。当選後にこの新市長は、リゾートホテルの誘致や漁港の整備、各種補助金などの「御支援《の要望書を政府に提出した〈2〉。

 基地を歓迎する人はいないが、地域振興のために「迷惑施設《を受け入れる。これまでくり返されてきた図式だ。

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 だが、一つ疑問がある。こうした手法は本当に地域振興に役立つのか。基地ではないが、原発については調査がある。

 新潟日報の前田有樹らは、柏崎刈羽原発の経済効果を調査報道した〈3〉。それによると、原発が地域経済に貢献するというのは「神話《だったという。

 柏崎市の産業別市内総生産額、小売業販売額、民間従業者数などを分析すると、確かに原発の建設工事が行われていた1978年から97年に、それらの指標は伸びていた。だがその伸び方は、県内で柏崎市と規模が近い市とほぼ同等だった。

 つまり、柏崎市の指標が伸びていたのは、原発の誘致よりも、日本経済全体が上げ潮だった影響が大きかった。柏崎市長を3期務めた西川正純氏は、このデータをみて「原発がない他の市と同じ歩みになるなんて《と絶句したという。

 唯一、建設業だけは市内総生産額が顕著に伸びていたが、原発建設が終わるとその効果も消えた。建設終了後の柏崎市は、人口減少が他市より激しく、一時的に増えた交付金や税金で建てた施設の維持管理で、財政が厳しくなっている。

 にもかかわらず、柏崎商工会議所に属する100社を調査したところ、再稼働を願う回答が66社にのぼった。だが柏崎市には原発と無関係な業種が多く、原発停止で売り上げが1割以上減ったのは7社だけだった。再稼働でどの業種が活性化するのか尋ねたところ、「飲み屋《という回答が最多で、再稼働の経済効果を具体的に示せる企業は少なかった。

 なお東電幹部は、再稼働すれば原発作業員が減ると認めている。停止している方が、安全対策や維持管理の工事が多いためだ。実際に柏崎の作業員は、全基停止していた2015年度の方が、稼働していた06年度より2割以上多かった。原発が止まると作業員が減り、地域にお金が落ちないというのは誤解なのだ。

 なぜ、こうした根拠のない「神話《が流布したのか。この調査報道を行った前田は、これまでのメディアの報道姿勢を批判している。原発停止の影響を報じるとき、メディアは原発関連の仕事を受注する企業や繁華街の飲食店など、影響がありそうな会社を選んで取材しがちだった。これが、原発停止の影響を過大に語るコメントが多い背景だったのだ。

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 だが思うに、無根拠な「神話《が生まれた最大の要因はメディアではない。メディアは、すでに流布していたイメージに束縛され、先入観に沿って取材していただけだ。最大の要因は、事態の変化を直視できない心の弱さである。

 原発と経済に、実はさほど関係はなかった。ただ、日本経済が上げ潮だった時期と、原発が建設されていた時期が重なっていたため、経済成長のシンボルになったにすぎない。だが人間は、「あの星が出ていた時は町が栄えていた《ということを、「あの星が出れば町が栄える《と混同してしまいがちだ。本当の原因を直視して解決に努力するより、他の理由に責任転嫁した方が楽だからである。経済が停滞し、社会が変化しているとき、人は神話に逃避しやすい。

 だがそれは、状況から目をそらし、自ら努力する姿勢を奪ってしまう。冒頭に述べたように、沖縄県吊護の新市長は補助金の要望書を政府に提出したが、政府の経済官僚はこう溜息をついた〈2〉。「まずは自分たちで汗をかいてみる、自助努力でどこまでできるかやってみる。そんな当たり前の精神が欠けていると言わざるをえないです《

 こうした神話への逃避は他にも散見される。たとえば「大日本帝国憲法の時代は家族の絆が強かった《としても、「憲法を改正すれば家族の絆が強くなる《というのは幻想だ。それは変化に目を閉ざし、さらなる停滞を招くことになる。

 原発に限っても、世界の変化に対する日本の停滞は著しい。上田俊英が指摘するように、世界の風力発電設備容量は15年に原発を抜き、太陽光も原発に迫っている。発電コストも大幅に下がり、日本が原発輸出を試みている英国でも、風力の方が新型原発より4割近くも安い〈4〉。中国など他国が再生可能エネルギーに大幅に投資を増やすなか、日本の遅れが目立つことはNHKも報道した〈5〉。

 今月で福島第一原発事故から7年。その間に世界は変わった。各種の神話から脱し、問題に正面から向きあうときだ。

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 〈1〉島洋子「吊護市長選から沖縄県知事選を見据えて《(世界4月号)
 〈2〉野中大樹「新基地建設と人々(下)《(同)
 〈3〉前田有樹「神話だった『原発が地域経済に貢献』 新潟日報が調査報道で再稼働を検証《(Journalism3月号)
 〈4〉上田俊英「震災から7年、淘汰(とうた)される原発 膨らむリスク、失われる『価値』《(同)
 〈5〉NHKスペシャル「激変する世界ビジネス “脱炭素革命“の衝撃《(昨年12月17日放送、https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20171217別ウインドウで開きます)/NHK「中国で急拡大する再生可能エネルギー 日本は飲み込まれる?《(クローズアップ現代の関連記事、同12月12日、https://www.nhk.or.jp/gendai/kiji/068/別ウインドウで開きます)

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 おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。『生きて帰ってきた男』で小林秀雄賞、『社会を変えるには』で新書大賞、『〈民主〉と〈愛国〉』で大佛次郎論壇賞・毎日出版文化賞、『単一民族神話の起源』でサントリー学芸賞。