(論壇時評)移民と自衛隊 現実、追認せず合意形成を 

    歴史社会学者・小熊英二


     2018年2月22日05時00分 朝日新聞




 日本はどういう国か。かつては「単一民族国家《とか「平和国家《とか言われたものだが、いまの現実はどうだろう。

論壇委員が選ぶ今月の3点(2018年2月・詳報)
 「週刊東洋経済《は、「隠れ移民大国ニッポン《という特集を組んだ〈1〉。OECDの人口移動調査によれば、日本は2015年時点で先進国4位の「移民大国《。在留外国人は年々増え、昨年は247万と1990年の約2・4倊だ。

 そしてストックホルム国際平和研究所の報告では、日本の16年の防衛支出は世界8位、東アジアでは2位だ〈2〉。これを根拠に「軍事大国《と呼ぶかはともかく、かなりの支出はしている。

 だが日本では、こうしたランキングを意外に思う人も多い。なぜなら移民と自衛隊は、その位置づけが混乱したままの状態で、実態が拡大してきたからだ。

 実は日本の外国人労働者のうち、就労ビザを持つ人は18%にすぎない。残りは技能実習生、留学生、日系外国人といった人々だ。しかし実態としては、繁忙期の村民の4分の1が技能実習生だった長野県川上村(日本一のレタス出荷量で知られる)のように、外国人なしに成り立たない地域や産業も少なくない〈3〉。

 つまり、公式には移民労働者は認められていないが、いわば「裏口《から入れている。そして移民の是非をめぐる対立や議論が盛んだったのに比べ、技能実習生の人権侵害などは注目が低かった。

 そして日本の憲法は「戦力《の保持を禁じている。自衛隊の位置づけも、様々な議論がある。だがそうした議論が盛んだった一方、兵士の人権を守るオンブズマン制度や労働組合など、他国の軍隊にある仕組みが自衛隊にはない〈4〉。自衛隊内の「いじめ・しごき《やセクシュアルハラスメントなどの人権状況は、あまり目が向けられてこなかった〈5〉。

 移民と自衛隊。そこに共通してみられるのは、それをどう位置づけるかの合意がないまま、実態の方が大きくなり、人権侵害などが生じていることだ。

 自衛官の人権弁護をしてきた佐藤博文は、ドイツと日本の再軍備の経緯の違いを指摘する〈5〉。ドイツでは、民主主義と軍隊をどう両立させるか議論して再軍備し、第2次大戦期の軍隊とは違う組織を作る合意を築いたことが、兵士の人権擁護につながった。だが日本では、再軍備が「日米両政府によって国内外でのオープンな議論を避けて進められた《ため、そうした合意が作られなかった。

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 合意がないまま実態が拡大している状況は、別の問題も招いている。それは政治の対立軸の混乱だ。

 冒頭で述べたように、日本は「単一民族国家《や「平和国家《と考えられてきた。そして移民を認めるか否か、自衛隊を認めるか否かは、日本が「単一民族国家《「平和国家《であるか否かという問題と直結する。つまり移民と自衛隊をめぐる「保守《「革新《の対立は、労働政策や防衛政策の対立という以上に、日本の国家像をめぐる対立だったのだ。

 だがここまで実態が変化してくると、移民や自衛隊の是非をめぐる対立の意味がなくなってくる。保守が「移民のいない日本《を守ろうとしても、革新が「自衛隊のない日本《を守ろうとしても、リアリティーがなくなってきた。それとともに「保守《も「革新《も足場を失い、対立軸が揺らいできている。

 最近の論壇では、「保守とリベラル《をめぐる議論が盛んだ。旧来の対立軸が無効化し、政治的立場の足場が揺らいでいるからだ。このテーマを論じる論者に共通しているのは、「保守《と「リベラル《の双方ともに、「守るべきもの《がみえなくなってきたという認識である。論者によって主張や論点が違っても、この認識だけは共通している〈6〉。

 つまりいま求められているのは、実態の変化に即した国家像と、新たな政治の立脚点だ。移民と自衛隊についてどんな合意を形成するかは、新しい日本の国家像を作るにあたっての試金石である。

 だがこの問題は、現実の変化を追認するだけでは解決しない。外国人や自衛官の人権状況にしても、ただ移民労働者を公認したり、ただ憲法に自衛隊の存在を書き込んだりするだけでは改善しない。何よりも必要なのは、ドイツで行われたといわれるような、新しい合意を作るための「オープンな議論《だろう。

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 とくに改憲は、そうした議論なしに行われるべきではない。改憲とは、国の立脚点を作り替えることだ。議論と合意形成をないがしろにして、ただ現実を追認するような改憲は望ましくない。

 現在、9条2項を維持したまま、自衛隊の存在を追加する改憲が議論されている。だが思うに、「自衛隊の存在はこれを認める《と追記するだけでは、自衛隊にどの範囲での武力行使が認められているのか上明だし、自衛隊は2項が禁じた「戦力《ではないかという素朴な疑念は残り続ける。それでは現実を追認し議論に蓋(ふた)をするだけで、新しい立脚点と合意を作ることにならない。また「前項(9条2項)の規定に関わらず、自衛隊の存在はこれを認める《と書くなら、阪田雅裕がいうように「『自衛隊』という吊前である限り、何をやっても、どんな装備を持っていても、憲法で認められる《ことになり危険すぎる〈7〉。改憲をいうなら、安保法制で懸念が残った事項も含め議論し、幅広い合意を作るべきだ。

 現実の変化に対応することは大切だ。大切だからこそ、次の時代の立脚点を作るための、建設的な議論が欠かせない。

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 〈1〉特集「隠れ移民大国ニッポン《(週刊東洋経済2月3日号)

 〈2〉ストックホルム国際平和研究所の報告「TRENDS IN WORLD MILITARY EXPENDITURE,2016《

 〈3〉安田浩一「長野県川上村の反省《(週刊東洋経済2月3日号)

 〈4〉三浦耕喜『兵士を守る 自衛隊にオンブズマンを』(2010年刊)

 〈5〉佐藤博文 インタビュー「自衛隊のセクハラ・パワハラ訴訟から問う軍隊の『民主的統制』の可能性《(POSSE第29号、15年)

 〈6〉宇野重規・大澤真幸 対談「転倒する保守とリベラル《/北原みのり「上正義との戦い《/中西新太郎「若者の保守化という錯視《(いずれも現代思想2月号)

 〈7〉阪田雅裕 インタビュー「憲法を考える・自衛隊を明記するとは《(本紙2月7日朝刊)

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 おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。『生きて帰ってきた男』で小林秀雄賞、『社会を変えるには』で新書大賞など受賞多数。