(論壇時評)

  安倊政権の総括 幸運の歩み、問われる冬へ  

    歴史社会学者・小熊英二


     2018年9月27日05時00分 朝日新聞


 自民党総裁選が終わり、安倊首相の続投が決まった。論壇では、安倊政権を総括した論考が多い〈1〉。

 私の意見では、安倊政権の特徴は、幸運に恵まれた政権だったことだ。その前の民主党政権は政権運営が上慣れで、震災や原発事故の対応も上十分だった。さらにその前には、首相が1年おきに交代する混乱状態が続いていた。この状況ならば、その後に登場する政権は「よりまし《に見えやすい。世論調査では、安倊政権を支持する理由の1位は「ほかの内閣よりよさそうだから《である。

 さらに政権の登場が、世界経済の回復期と重なったのも幸運だった。民主党政権期は世界金融危機の渦中だった。しかし2012年後半から世界経済は回復しはじめ、円安と株価上昇の傾向が始まっていた。安倊政権は、ちょうどその時期に登場したのである。

 また1990年代末からの統治機構改革で、首相の権限が強められていた。小選挙区制や政党交付金も、党総裁の力を強めていた。こうした制度が整っていた点でも、安倊政権は幸運だった。

 さらに自民党が衰退し、09年に政権を失ったことも幸運として作用した。07年に安倊氏が首相を辞した後、復権を予想した人は少なかった。彼は12年に自民党総裁選に出馬したが、派閥公認の総裁候補になれなかった。だが当時の自民党は野党転落後の混乱が続いており、この総裁選は5人の候補の乱戦になった。安倊氏は議員票でも地方票でも1位ではなかったが、決選投票で総裁の座を得た。自民党がもっと安定的だった時代なら、彼の復権は困難だっただろう。

 こうした一連の外部条件が、安倊政権に幸運として働いた。運を味方にするのも政治家の実力の一つかもしれない。

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 同様の外部条件に恵まれた点は、小泉政権とも重なる。90年代にも政治の混乱があり、アジア金融危機や米国ITバブル崩壊があり、首相権限を強める改革が導入されていた。その直後に登場したのが小泉政権で、世界経済の回復基調とあいまって支持を集めたのである。

 だが両者は違いもある。政治学者の待鳥聡史は、「構造改革《を掲げた小泉政権と違い、「多くの有権者に改革への疲労感がある状況で、安倊政権は安心感を与えてくれる。それは現状を変えないことへの安心感なのです《という〈2〉。猛暑のような「改革の熱波《の後に訪れた、初秋の安心感にも似ていようか。

 もちろん、安倊政権も「改革《は掲げた。例えばアベノミクスである。これは金融緩和・財政出動・成長戦略の「三本の矢《から成っていた。だが日本銀行参事だった岩村充は、「以前からの政策の延長線上にあるもので、特筆すべきことはありません《と述べている〈3〉。

 考えてみれば、金融緩和・財政出動・成長戦略は、形は違うが60年代から自民党政権がずっと行ってきた政策だ。岩村は、金融緩和が「異次元《であることは大きな違いだと認めているが、その効果は疑わしく、政策を新奇なものとして打ち出した「メッセージ効果《にとどまったのではないかという。

 外国人政策も同様だ。政府は「骨太の方針2018《に外国人材の活用を掲げたが、この問題を研究してきた丹野清人は、定住を認めずに「単一民族国家の幻想《を維持しようとする基本姿勢は変わっていないという〈4〉。現在の技能実習生制度では、技能を覚えた段階で帰国させるので、企業は教育コストを回収できない。そのため教育費を給与から差し引くか、教育が必要ない単純労働部門でないと成り立たない。新方針で在留期間が延長されてもこの構造は変わらず、受け入れ拡大を歓迎するのは旧来の低賃金部門である。竹中平蔵は、今回の外国人材活用は「自民党の農林部会や建設部会が押し上げた《と指摘する〈5〉。

 議論をよんだ安全保障政策はどうか。これにも佐伯啓思は、「集団的自衛権を一応認めたのは従来の延長線上で法制化しただけの話《であり、「大事なことは全て保留状態で、表面上だけでつじつまを合わせている《と手厳しい〈2〉。

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 とはいえこれらは、待鳥が指摘するように、安倊政権が「自民党のコアな支持者が安心感を得られるような政策《をとってきた結果とも言える。自民党支持者には変化を望まない中高年が多いともいう。「コアな支持者《が有権者の3割前後にすぎないとしても、野党が分裂して棄権が5割近い状態ならば、選挙に勝つことはできる。そのうえで「メッセージ効果《とメディア対策で支持率を保つのは、政権維持には賢い戦略だろう。

 しかし、「現状を変えないこと《と「安心《は同じではない。大飯原発の運転差し止め判決を出した樋口英明は、各地の原発設計の基準地震動が、日本で記録された最大震度の4分の1から6分の1にすぎず、一般住宅の耐震強度にさえ「遠く及ばない《と指摘する〈6〉。これは変えたほうが安心だろう。

 またこれでは、新時代には対応できない。現在の70代の青春を描いた「三丁目の夕日《の時代には、沖縄は米軍統治下で、大卒女性に求人はなかった。そんな日本を「取り戻す《のは時代錯誤だ。

 人生には「青春・朱夏・白秋・玄冬《の四つの時期があるという。これまでの安倊政権は、夏の熱波の後に訪れた「白秋政権《だった。だが、白秋の次は玄冬がくる。政権の真価が試されるのは、幸運の有効期限がすぎた後である。

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〈1〉「総力特集 安倊政権の総仕上げ《(Voice10月号)、「特集 安倊三選のアキレス腱《(中央公論10月号)、「総括! 安倊政治の功罪《(週刊エコノミスト9月18日号)、「集中連載 安倊政権の5年8カ月《(AERA9月10日号~24日号)など。

〈2〉佐伯啓思・中西寛・待鳥聡史「場当たり的対応をやめ、ポスト平成の青写真を描け《(中央公論10月号)

〈3〉岩村充「『永久国債』で出口を探れ《(同)

〈4〉丹野清人「日本における外国人労働者政策の現状・課題と今後の展望《(都市問題9月号)

〈5〉竹中平蔵(聞き手・土居丈朗)「アベノミクスには更なる政治のブレイクスルーが必要だ《(中央公論10月号)

〈6〉樋口英明「原発訴訟と裁判官の責任《(世界10月号)

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 おぐま・えいじ 慶応大学教授。1962年生まれ。著書は『決定版 日本という国』『単一民族神話の起源』『〈日本人〉の境界』『〈民主〉と〈愛国〉』など。