(思想の地層)連立与党の公明党
   政界適応で招いた危機 

   小熊英二


     2015年12月8日16時30分 朝日新聞

 連立与党の公明党に、注目が集まっている。御厨貴「与党歴13年で広がる学会員との距離 公明党はジレンマを解消できるのか?《(Journalism11月号)によると、近年の自民党議員が「勉強しなくなった《のと対照的に、勉強熱心な議員が多い公明党は、官僚の評価が高いという。

 そもそも公明党は、なぜ自民党との連立に至ったのか。元公明党副代表の東順治「『2・5大政党』の一角たる公明党が安保法成立後にめざすべき方向とは《(同)を読むと、その背景は連続して襲った危機だったようだ。

 第一の危機は、1980年代末だった。政治資金問題で公明党議員が逮捕・起訴され、当時の矢野絢也委員長にも疑惑が及び、党は内部分裂に至る。東が90年に衆院選に立候補したのも、自分の選挙区の衆院議員が党指導部に「反旗を翻した《ためだった。当時の市川雄一書記長は、「航海中にマストが折れた船《と形容したという。

 第二の危機は、90年代半ばだった。公明党は非自民連立の細川政権に加わり、新進党に合流するため解党した。しかし政権を奪回した自民党は、激しく公明党系議員や創価学会を批判した。「オウム真理教と公明党は同じ《という中傷ビラも出回ったという。そして新進党は伸び悩み、97年には解党する。

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 危機の連続を経て、98年に再結党した公明党に、自民党が接近した。当時は参議院で野党が多数だった。自民党が「『金融国会を乗り切るために手を貸してください』とすり寄ってきた《ことを、東は「『オウムと一緒』などと叫んでいた相手に、手のひらを返したように握手を求める《と述べている。

 だが、公明党は自民党と組んだ。東は「政策を実現するには与党になるしかないと、細川内閣での閣僚経験から学んだことが大きかった《という。

 連立して判明したのは、グローバル化や高齢化によって「自民党の弱体化に歯止めがかからない実態《だった。基盤が衰えた自民党を創価学会員が小選挙区で支え、代わりに自民党候補が比例区で公明党支持を訴えるという協力関係ができた。しかし当初は、「『“比例区では公明党”なんて死んでもいえるか』という自民党関係者が少なくありませんでした《という。

 自公の協力関係は、こうして時を重ねた。東によれば、「大衆の多くは、いい悪いは別にして、自民党に安心感を持っています《。その自民党と組むことは、「大衆とともに《という公明党の党是にも即しているという。

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 東の論考からうかがえるのは、この四半世紀の政界再編の激しさと、その中で公明党が危機を乗り切ってきた姿である。いまの野党にも、学ぶべき点がある歴史かもしれない。

 だが現在、新たな危機が、公明党に訪れている。支持基盤の衰退だ。

 高橋篤史と取材班「安保法案 創価学会『亀裂』の真相《(文芸春秋10月号)によると、学会組織は高齢化が目立つ。新規入会が少ない一因は、「三百人近くいるとされる副会長に女性は一人もいない《「上が言ったことを守っていればいいという思考停止《と同記事がいう古い体質だ。ある学会員は、「団塊世代がいなくなったら、この組織はガタガタになりますよ《と述べたという。

 また御厨によると、官僚と対等に語りあえるほど「エリート集団化《した公明党は、支持者の「素朴な大衆感情《から乖離(かいり)し始めている。しかし長年の自公連立を経て、公明党幹部たちは「ここまできたら、もう抜けられない《という意識になっているという。

 公明党はこの25年、政界での適応には成功した。しかし、その成功そのものが、新たな危機を招いている。この危機の打開には、政界適応では上十分で、ボトムアップの民意によりそうしかない。過去25年で発揮された公明党の柔軟性が、今後どう活(い)かされるかが問われている。(歴史社会学者)

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