特集ワイド

  保育園増やせば解決か
 「子育ては母《日本、「夫婦で育児《ノルウェーを比較

    毎日新聞 宇田川恵 


     毎日新聞2016年3月30日 東京夕刊


 待機児童問題に焦点が当たる中、なぜか違和感が拭えない。国会前などで声を上げるのは多くが女性。政府は「働くお母さんの気持ちを受け止める《と繰り返す。この冬訪れたノルウェーでは誰もが言った。「家族政策は女性だけにフォーカスしてはならない《と。子育てを女性の問題にしていいのか。保育園を増やせば解決となるのだろうか。【宇田川恵】

 氷点下の朝、雪の上に座り、ゴソゴソ動いている男の子が気になって、傍らにかがみ込んでみた。ノルウェー北部にある北極圏の街トロムソのブッケスプランゲ保育園。男の子はまだしゃべることもできないほど幼い。私の顔を見るなり右手を差し出す。ミトンにうまく親指が入らない、と訴えているのだ。

 ノルウェーでは、そんな1歳過ぎの子供を含め、9割を超える幼児が保育園に通っている。どんな子供でも保育園に入る権利がある、と国が保障しているからだ。チューリ・ボーホルム園長は「子供は誰も差別されてはならないという国の意欲の表れです《と誇らしげに話す。人口約7万人のトロムソには約100カ所もの保育園があるという。

 そもそも保育園に入るのは「権利《なので、希望者は入園を断られない。満員を理由に拒否される待機児童は存在しない。行政側が「ご期待に沿えませんでした《などと入園上可を通知するだけで誰も責任を問われず、母親が泣く泣く仕事をあきらめようが、あとは自分で手当てを、と放っておく国とは“根底”が違う。

 しかも、保育園は学童期前の重要な教育機関だとしっかり位置づけられている。ノルウェー語ができない移民の子も積極的に受け入れ、他の子供たちと遊ばせながら言葉を学ばせたりする。単に子供を預かる場所とは誰も思っていない。ボーホルム園長は「うちは行動計画を作り、戦略を立てて職員をリクルートしています《と胸をはる。大学で専門に教育を学んだ職員を各クラスに配置し、かなり高額な給料も出している。



長時間労働、諸悪の根源

 充実した環境だが、同国南西部の都市スタバンゲルで会ったスタバンゲル大准教授(経済学)の小野坂優子さんは強い調子でこう語った。「女性が本当に活躍できるために必要なことは、保育園の整備がすべてではありません《

 私が訪ねたブッケスプランゲ保育園の開園時間は月曜から金曜の午前7時15分?午後4時45分。他の保育園もほぼ同じという。これを聞いた時、「4時45分以降、子供はどうするのだろう《と即座に考えた。

 だが、その発想こそ日本流だった。なぜならノルウェーの通常の勤務時間は午前8時~午後4時。たいていは残業などせず、定時だけきっちり働く。男女平等を徹底している社会なので、労働条件はみな同じ。つまり、夫でも妻でも、日勤で会社や役所に勤務していれば余裕をもって子供の送り迎えができる。

 ノルウェー人の夫と2人の娘をもつ小野坂さんは「うちなんかもう午後4時半には、家族みんなが家にそろっていて、夜はずっと一緒《と話す。家庭でも一般的に男女は対等で、夫婦が手分けして夕食を作ったり、交代で子守をしたり、おしゃべりを楽しんだりして、長い夜を過ごす。

 小野坂さんは強調する。「保育園が十分あるに越したことはありません。でも、本当に改革すべきは、大人たちの働き方ではないでしょうか《と。そして、その理由をこう語った。「日本のように男性が長時間働く社会では、たとえ保育園を十分に整備しても、結局、負担を強いられるのは女性だけ。家事や育児をこなしたうえ、男性と同じように働けなんて、女性はもう疲弊するばかり。女性の活躍も少子化の改善もあったものじゃありません《

 日本人の労働時間は長い。「データブック国際労働比較《によると、週50時間以上働く長時間労働者の割合は2011年で日本は31・7%。ノルウェーはわずか2・8%だ。英国(12・1%)やフランス(9・0%)も大きく上回る。

 これだけ仕事に時間を割くなら、どれほどの成果を上げているかと思えば、労働者1人が働いて生み出す価値を示す「労働生産性《は日本の場合、決して高くない。日本生産性本部によれば、14年の年間の日本の労働生産性は7万2994ドル(768万円)。ノルウェーの12万6330ドル(1330万円)の6割だ。経済協力開発機構(OECD)加盟国中、ノルウェーは2位に対し、日本は21位にとどまる。

 短い時間しか働かないノルウェーでは家族が笑顔をつくり、長時間労働を強いられる日本では母の涙と父のストレスが満ちる現実。小野坂さんは言う。「会社に長時間いることを奨励する構造が変わらない限り、日本でノルウェー型の男女平等モデルは実現できないでしょう。短い時間に集中し、効率よく働くことがもっと評価されるべきです《



「女性配慮《だけの施策では限界

 安倊晋三政権は「女性活躍《を掲げるが、その大きな理由は、労働を担う人口が減少していることだ。このままでは経済成長は見込めず、社会保障も維持できない恐れがある。移民の受け入れに踏み込めない中、女性の労働参加率の引き上げは、数少ない手段といえる。このため政府は女性が働けるよう、子育て支援にも力を入れ、17年度末までに50万人分の保育の受け皿を整備する方針も示した。

 だが、各国の保育や教育事情に詳しい日本総研の主任研究員、池本美香さんはこう指摘する。「政府の考えは、男性の働き方に女性が合わせるというのが前提で、男女が対等に活躍する問題とは見ていないと思います。欧米では子育てを男女でいかにシェアするかを最も重視し、インセンティブ(動機付け)を与えるなどきめ細かい対応で政策を進めているのに……《

 実際、ノルウェーでは育児休業の一定期間を父親だけに割り当てる制度を1993年に導入している。父親が取らなければ権利がなくなるので、育休を取る父親は約9割にも上るのだ。制度導入前には想像もできなかった変化だという。

 「待機児童の対応にしても、日本は問題が出た都度、何らかの手を打つだけで、モグラたたきをしている感じ。本質的な解決にたどりつく戦略そのものがない《と池本さんの指摘は厳しい。

 安倊首相は25日、長時間労働を是正するため、労働基準法の改正を目指す考えを示した。労働時間の上限を設けることなどを検討する方針で、改革の兆しは少しずつ見えてきた。だが、そもそも女性が労働に携われるようにとの観点から、女性に配慮した施策に主眼を置いている限り、大きな限界がある。注ぐべき視点を、真の男女平等の確立、子供の権利の保障に置いてはどうか。そうした方向性を示す明確なビジョンと実践的な戦略があってこそ、女性は輝けるはずだ。