(耕論)

  北朝鮮70年、どこへ 

    和田春樹さん、アンドレイ・ランコフさん


     2018年9月11日05時00分 朝日新聞

【特集】金正恩とトランプ

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は1948年の建国から9日で70周年を迎えた。社会主義を掲げつつも金一族3代が権力を継いできた。6月には初の米朝首脳会談が開かれたが、核問題の解決はまだ見えない。18日からは南北首脳会談も開かれる。北朝鮮はどこへ向かうのか。

 * 人心を意識し、生活向上に力 *


 わだはるき 1938年生まれ。現代朝鮮研究、ロシア近現代史。著書「朝鮮戦争全史《「北朝鮮現代史《は米国、韓国でも出版されている。

 北朝鮮は、内部情報を隠すことに成功している例外的な国です。そうであれば、(1)目の前の姿を眺めるだけでなく、歴史の流れの中で考える(2)分析のために国家モデルをつくり体制のありようを推測する――という方法が有効です。

 満州事変(1931年)が起こると金日成(キムイルソン)は中国共産党が組織した遊撃隊に入り、朝鮮近くの旧満州(中国東北地方)で支配者・日本に対するゲリラ戦を展開しました。彼は民族主義の意識が強く、頑健で統率力も優れ、人々の尊敬と信頼を得たと言われます。やがてソ連占領下の朝鮮で指導者になるのは、当然の流れでした。

 北朝鮮は、ソ連東欧の国家社会主義国と同じく労働党(共産党)一党が支配する「党・国家体制《として出発しました。金日成個人崇拝は早くから始まりましたが、絶対化されるのは、党内対立にソ連、中国が介入した後の1960年代です。抗日戦争のように金日成を遊撃隊の司令官と仰ぎ、全人民が隊員になったつもりで生きることが目標です。私はこれを「遊撃隊国家《と吊付けました。

 そして「自主、自立《の主体(チュチェ)思想が編み出されました。ベトナム戦争に介入した米国と対決し、韓国に第2戦線をつくり、アジア、アフリカの共産主義運動をリードするつもりでした。68年、ソウルの大統領府近くまで武装ゲリラを送りますが、韓国民は呼応せず完全に失敗しました。そこで「生産も学習も生活も抗日遊撃隊式で《というスローガンのように、経済建設を戦闘に見立てて動員する体制に転換しました。

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 主体思想は時代に合わせて変えられます。指導者と党と人民は、父母や子との関係に擬せられ、忠孝など儒教の要素も入りました。人々の動員方法は、戦時中の日本の国民精神総動員をほうふつとさせます。古今東西の思想で役立つものは、何でも取り込みました。

 朝鮮戦争(50~53年)では在日基地から米軍が出撃し、猛烈な爆撃で武力統一を阻止しました。戦争は停戦協定のままで米軍との対峙は続いています。北朝鮮には、日本が米国と一体となった敵に見えます。日本に工作船を送り、日本人を拉致しました。彼らにとって抗日戦争は続いていたのです。

 金日成が94年に死亡し息子の金正日(キムジョンイル)が継ぎました。すでにソ連東欧の社会主義体制が崩壊、経済関係は途絶えました。さらに水害で食糧生産が大打撃を受け、多くの餓死者を出す。「苦難の行軍《と言われた非常事態に金正日がつくったのは、軍中心の体制でした。

 人民軍最高司令官・金正日は97年に党総書記、翌年には「国家の最高職責《である国防委員長に就任。軍が党や政府よりも優先する「先軍政治《を進めます。歴史の中の「抗日遊撃隊《ではなく、実在の朝鮮人民軍を国家の柱とする軍事政権です。私はこれを「正規軍国家《と呼びました。やがて非常事態は去りました。金正日は「党・国家体制《を復活させ、その上に息子を載せる体制を準備し2011年末に亡くなります。

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 金正恩(キムジョンウン)政権のもとで、16年には36年ぶりに労働党大会が開かれました。今年4月には、米朝首脳会談を前に党中央委員会総会が開かれ、核開発を中止し、経済建設に集中することが承認されました。金正恩・党委員長は、党の第1の指導者という位置づけです。

 彼には、人々の生活を向上させ、喜びを与えないと支持を得られないという切迫感があります。経済発展のためには、技術も資金も必要です。日本と国交を樹立し、経済協力を得ること。これは金正日の遺訓なのです。

 日本政府は拉致問題の解決だけを求める態度を改めて、椊民地支配を清算するために国交正常化交渉を始める方向に転換すべきです。速やかに国交を開き、核やミサイル問題、経済協力、拉致問題の交渉を進める。これは米朝交渉の進展を助けることになります。

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 * 開放なき経済改革、核放さず *


 Andrei Lankov 1963年、旧ソ連生まれ。北朝鮮の歴史、社会研究。80年代に平壌の金日成総合大学で朝鮮語を学んだ。邦訳された著書に「民衆の北朝鮮《など。

   北朝鮮の首都・平壌(ピョンヤン)や元山(ウォンサン)、開城(ケソン)などを5月に旅しました。ここ数年、平壌では高層アパートの建設が進み、新車も増え、携帯電話を使う市民の姿がよく見られます。事実上、個人経営のタクシーもあります。スーパーは中国の店に劣らず商品があふれ、多くは国産品。首都に比べれば劣りますが、地方でも豊かさを感じます。

 昨年以降、経済制裁が影響を及ぼしつつありますが、金正恩政権下、経済成長は4~7%程度とみています。1980年代の中国でトウ小平が取り組んだような改革が進んでいるためです。

 まずは2012年からの農業改革です。協同農場では農民の小グループが、決められた土地の耕作に責任を持ち、収穫の3分の1程度を国家に紊めれば、残りは市場などで売ることができます。農民のインセンティブ(やる気)を刺激し、生産性が高まりました。

 製造業でも14年ごろから「企業責任管理制《が導入されました。企業所は原材料や部品を市場で調達し、製品の一定量を安い価格で国に紊めれば、残りは市場で売れます。よく売れる製品をつくれば、労働者の賃金は上がります。

 ところで中国の改革では、「開放《が伴いました。しかし北朝鮮では開放は進まず、むしろ統制が強まる。「開放なき改革《です。

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 5月に見たのは、黒のスカート、白の上着を着て街角に立つ女性同盟員の姿です。朊や髪形が規則に違反している人を見つけると、笛を鳴らして取り締まります。当局は、外国映画やドラマのDVDにも目を光らせています。

 なぜ北朝鮮は、開放に慎重なのか。それは、豊かで自由な韓国という存在があるからです。南北の経済力格差は少なくとも15対1、40対1という見方もあります。

 もし北朝鮮が開放すれば、韓国から製品や情報がどんどん入ってくる。そのとき北朝鮮の人たちはどう思うでしょう。「同じ民族で同じ文化を享受しているのに、なぜ我々は貧しいのか。なぜ優秀なモノを作れないのか。それは政治体制が悪いのだ《。韓国と早く統一しようという動きにつながる。体制崩壊の危機です。

 北朝鮮ができるのは、開城工業団地のように狭い地域を限定的に開放し、労働者を厳重に管理し、外国資本を受け入れることです。中国のような大規模な開放政策はとれません。

 金正恩政権は、独裁のもとで経済発展を目指します。韓国でも60、70年代は、朴正熙(パクチョンヒ)大統領が独裁をしき、経済を発展させました。「開発独裁《体制は、途上国では珍しくありません。北朝鮮では白米でなくとも、トウモロコシを食べることができるようになり、餓死者が出なくなりました。「開放なき改革《が成功すれば、よりましな状況だと思います。

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 北朝鮮の核放棄は、ないと思います。この点、韓国の多くのメディアはあまりにも楽観的です。

 北朝鮮が核開発を始めてから約60年、膨大な投資をしてきました。核を放棄したらどうなるか。彼らは、リビアのように外から攻撃されて政権が崩壊すると考えます。最近ではトランプ米大統領がイランとの核合意を破棄しました。米国で政権交代があれば、前の政権との約束を簡単に否定する。米国は信じられない。頼りになるのは、やはり核兵器だ、ということになります。

 北朝鮮が6月に米国との首脳会談に応じたのは、米国による攻撃の可能性を減らすこと、そして厳しい経済制裁を少しでも緩和することが狙いです。

 状況は変わりつつあります。米国と「貿易戦争《で対立する中国は、もはや北朝鮮への制裁を厳しく実行しようとはしません。抜け穴ができ、北朝鮮も一息つけるようになりました。核やミサイル開発で譲歩しようという意思は、年初より弱まっているでしょう。

 (聞き手・ともに桜井泉)

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