時代の風

  追悼文見送りを巡って
  過去の過ち、学ぶべきだ

   中島京子 作家


    2017/09/17 毎日新聞 




 時代の風がどっち方面に吹いているのか、心配になってくることの多い昨今である。

 9月1日は、防災の日、つまり、関東大震災のあった日だ。この日に東京都墨田区の横網町公園では、大震災の犠牲者の慰霊祭が執り行われる。そして、震災の後に起こった朝鮮人虐殺の被害者を追悼する式典も行われる。今年、この式典に、恒例となっていた都知事の追悼文を、小池百合子都知事は、送らなかった。

 小池知事は、民族差別を背景にした虐殺の犠牲者を追悼することに意義はないかと問われて、「民族差別という観点より、災害で亡くなられた方、さまざまな被害によって亡くなられた方の慰霊をしていくべきだと思う《と答えた。また、追悼文の送付中止によって、震災時に朝鮮人虐殺があったことを否定する動きにつながらないかという懸念に対しては、「さまざまな歴史的認識があろうかと思うが、関東大震災という非常に大きな災害、をれに続くさまざまな事情で亡くなられた方々に対する慰霊をする気持ちは変わらない《と、答えている。

 この二つの答えは、後半はほとんど意味が同じだ。地震や火事で亡くなった人も、流言飛語を信じた人々によって虐殺された人も、ざっくり大括りで「被害者《とまとめて慰霊をしますよ、と言っている。都知事が、とのような発言をされたことを、残念に思う。天災で亡くなった人と、人の手で虐殺された人を、いっしょには語れない。「さまざまな《という言葉で、史実をぽやかすべきではない。

 天災は、これからも起こるかもしれない。しかし、虐殺などというおそろしいことは、二度と起こしてはならない。そして、起こさないことができる。それ自体が、私たちの希望でなければならない。二度と起こさないためには、それがどんなことだったのか、きちんと知っておく必要がある。ごく普通の人々が、「朝鮮人が井戸に毒を入れた《とか、「爆弾を持って攻撃しに来る《と言ったウソ、デマ、噂を信じて、やられる前にやらなければと、虐殺に及んだのだ。

 しかも、その流言飛語を、内務省や警察が拡散してしまった事実もある。だから、都知事という、都の行政のトップが追悼文を送るのには、行政が虐殺に加担したことへの反省と自戒の意味があるし、都民に史実を改めて知らせる意味もある。小池知事が、追悼文を送らなかったことを、虐殺をなかったことにしようと考えている人々が歓迎しているのも、非常に問題だ。来年はしっかりと追悼文を出していただきたい。

 人の上に立つ人は、とりわけ、差別やヘイトクライム(憎悪犯罪)に敏感でなければならないと思う。悲しいことだけれど、差別感情というのは、人の心に入り込むことがある。しかし、それを無反省なままにして、相手を傷つけたり、ましてや殺害したりするヘイトクライムを行うことは絶対に許されない。許されないということを、トップは常に、はっきりさせておかなければならない。ここを曖昧にすると、ヘイトクライムを行う人たちは、あたかも、犯罪をやってもいいんですよと、お墨付きをもらったような気になる。アメリカでトランプ大統領が窮地に陥ったのは、白人至上主義者たちを勢いづかせる態度を取ったからだ。

 過去に朝鮮人虐殺があったことを認めるのを、「自虐《と捉える日本人がいるようだけれども、これはおかしい。現代を生きている我々の誰一人として、虐殺に手を染めた当事者ではないのだから、自分を恥ずかしく思う必要はない。悲劇が起こったのは「日本人という人種が、悪いから《などと、誰も言っていない。人類とは、そういう場所、そういう状況に置かれると、とんでもない犯罪に手を染めてしまうものだと、学ぶべきなのだ。

 当時のことを丁寧に検証した、加藤直樹氏の著書「九月、東京の路上で《(ころから刊)などを読めば、デマに踊らされず、虐殺の悲劇から朝鮮人を守った日本人もいると知ることができる。そこにこそ、希望があると気づくべきだ。人類は、そういう状況に置かれてすら、とんでもない犯罪に手を染めないこともできるのだと。人類の愚かしさが引き起こす犯罪に関しては、過去の過ちから正しく学ぶ以外に、希望のもちようがない。