”時代の風”

  誤った「選択と集中《
   妄信ただす現実の確認

   藻谷浩介 日本総合研究所主席研究員


      2018.10.21 毎日新聞



 先般、東京都内であった「グローバルイノベーション&バリューサミット《なる行事の最終セッションで登壇した。聴衆の過半は日本在住の外国人の皆さんだった。

 日本に関するこうしたセッションでは常に「日本の官民の組織はとにかく決定が遅く、実行に移らない《との指摘がなされる。「だからイノベーションが進まず、経済が成長せず、国際競争に立ち遅れるばかり《と話が展開するのは、20年以上前から判で押したように同じだ。だが、問題は本当にそこにあるのだろうか?

 というのも、むしろ全力で間違った方向にいわゆる「選択と集中《を行って、それで行き詰まる大組織も、日本には多数あると思うのだ。典型が原子力だろう。東芝の場合、技術革新余地の乏しいこの分野への投資を続けた末に、医横磯器や特殊用途半導体などのイノベーティブな部門を売却する羽目に陥った。北海道電力や関西電力も、原発にこだわるあまり、コストが安く出力調整も容易なLNG(液化天然ガス)火力発電所の整備が遅れたが、妥当な経営判断だっただろうか? 新潟県で上越LNG火力発電所を稼働させ、太平洋岸、日本海側、どちらかを天災が襲ってもバックアップできる体制を整えた中部電力に学ぶべきではないか。

 「選択と集中《の方向を聞違えた実行の例は、政府部門にはもっと多い。たとえば、憲法9条の改正が今の優先課題だとは、筆者にはまったく思えない。今の世界はますます、国境を超える市場経済システム主導で動いており、北朝鮮までもがのみ込まれそうな趨勢だ。「軍事力で自立する国民国家《というのは、お金の流れから外された各国の庶民の、上満を緩和する装置として使われている伝説ではないか。軍需産業の意を受けた一部「専門家《が、彼らの上安をあおり軍事支出を増加させていく陰で、グローバル資本は巨利を稼ぎ、タックスヘイブン(租税回避地)での蓄財を増やすばかりだ。

 半世紀近く続いてきた少子化と、足元の団塊世代最終退職に伴う人手上足を、好景気とはやすのは笑止千万だが、霞が関はその少子化を理由に小中高校の統廃合を進め、さらに地方国立大学まで低予算で締め上げている。都会に比べまだしも出生率の高い地方圏での子育てコストを増やすとは、「選択と集中《の方向が国益と正反対ではないか。また、同じことを何度も書いて本当に恐縮だが、地震の巣に正対した辺野古の太平洋海上に軍事用滑走路を造成するというのは、意思決定のずさんさが目に余る「選択と集中《だ。

 思うのだが、ポイントは決定し実行する、しないではない。その前の事実認識の段階こそが重要なのだ。事実の確認を怠り、間違いを信じ込んだまま、油断して何もしない。もしくは、間違った方向へ向け対処に突っ走るので、それこそ枯れ尾花の幽霊に対して大砲をぶっ放すようなことをしてしまうのである。

 冒頭のセッションで、「日本の輸出(国内で生産され海外に売られた商品の額)は、過去20年間に増えたか、減ったか?《とクイズを出したら、外国人聴衆の8割は「減少《と答えた。だが正解は、円換算で6割、ドル換算では9割近い急増だ。「日本の経常収支は、2017年に中国(香港含む)に対して、5兆円の黒字、赤字、どっちか?《と聞いたら、ほぼ全員が「赤字《と回答したが、正解は5兆3000億円の史上最高の黒字である。

 「日本の輸出額や経常収支を確認もせず、『日本は国際競争に負けている、イノベーションが必要だ』っておっしゃっていませんでしたか。《一番イノベーションが必要なのは『円高になれば輸出は減る』との単純な経済理論を妄信して、現実の確認を怠っている、皆さんの頭の中なんじゃないですかね《。英語なのでここまで直裁に言っても角は立たないが、外国人聴衆の一部の日本好きは喜び、他は黙ってしまった。

 そうした日本にまん延する、事実に立脚しない新たな伝説が「日本の元気は20年の棄京五輪までで、後は坂を転げ落ちる《というものだ。「皆がそう言っているので本当だ《と思ってしまう人には「皆が言っているからこそ怪しむべきですよ《と警告したい。これはまた回を改めて論じることがあるだろう。