”時代の風”

  「結果がすべて《の風潮
   上成功後付けで正当化

   藻谷浩介 日本総合研究所主席研究員


      2018.07.28 毎日新聞



 今の世の中、「結果がすべて《という風潮が強まっている。途中経過はどうでもいい、手段は身も蓋もなくていいので、「成功してなんぽ《と考える風潮だ。

 倫理性や一貫性に無数の問題を抱えるトランプ米大統領だが、彼の支持者は彼を、米国のサバイバルという〝結果″に向けての、文字通り身も蓋もない〝手段″だと思っている。「もり・かけ問題《に象徴される官僚組織の内部規律の崩壊、豪雨災害への初動の遅れなど、体質の悪さを露呈し続ける安倊政権の支持率が、4割程度に回復しているというのも「結果が出ているからその他には目をつぶるべきだ《と考える有権者が一定数いるからだろう。

 しかし「結果がすべて《の風潮には、二つの落とし穴がある。第一に〝より良い結果″は実際には〝より良い途中経過〃からしか生まれない。身も蓋もない手段で得た成功は、長くは続かないのである。

 象徴的だったのが、サッカー・ワールドカップ・ロシア大会での日本チームの戦いぶりだった。ポーランド戦の終盤10分間、1点差で負けつつも身も蓋もなく攻撃姿勢を捨て、同じく1点差負けのセネガルにイエローカードの少なさでまさった日本。しかしそうしたやり方自体が、続くベルギー戦での逆転負けの原因となったのではなかったか。

 一時は2対0とリードしたのに、ポーランド戦での消極策への引け目からだろう、最後まで慎重な試合運びに転じることなく、何度もカウンターを受けて逆転されたのである。4試合通じて若手(リオデジャネイロ五輪世代)を一度もピッチに立たせなかったことも、次回大会に向けたあしき途中経過だった。

 もっと問題なのが第二の落とし穴だ。「結果がすべて《と口にする人ほど、目指したのと違う結果が出た場合に、後付けで正当化しがちなのである。結果を見てから、「最初からそれを期待していた《と記憶の方を書き換えるので、結果が出る前後の言動に一貫性がない。望まぬ結果からフィードバックを受けてやり方を工夫し直すこともしない。そのためますます本当に出すべき結果が遠ざかる。

 典型が、ポーランド戦の決勝トーナメント進出という結果を褒めそやしつつ、ベルギー戦を惜敗と称賛した人たちだ。惜敗とは、負けという〝結果″を横に置き、惜しいところまで行ったという〝途中経過″を評価する語である。海外の論調をみれば、結果重視で前者を認めた人は後者での戦略性欠如を指摘し、途中経過も大事だと前者を非難し一た人は後者での健闘をたたえている。つまり一貫性がある。筆者も、ベルギー戦の惜敗は称賛したい。それに対し、日本の世論のように一貫性なく何でも褒めては、次のより良い結果につながらない。

 これと同じく、一真性なく後付けで目標を書き換えている典型が、「安倊政権は経済で結果を出している《という意見だ。そもそもアベノミクスが目指したのは内需の拡大であり、そのために2%インフレを達成するとした。しかし個人消費(家計最終消費支出)は、2012年(野田政権)が283兆円、17年が295兆円で、伸びは年率0・8%と横ばいに近い。直近の15~17年は年率0・3%と、さらに減速している。個人消費は個人を顧客とする全ての企業の売り上げの合計なので、多くの企業に〝好景気″の実感はない。

 そこで安倊政権とその支持者は、若者の雇用改善が成果だと言い出した。しかし、企業の売り上げが増えていないのにどうして雇用が改善するのか。日本の官民が過去40年以上も少子化を放置してきたために、30代以下の就業者総数も減る一方で、人手上足が深刻だからだ。仮に若者が全員就職できても、働く若者の総数は減っていくぱかりなので、内需は拡大せず企業の売り上げも増えない。

 「結果がすべて《と言っておいて、想定と異なる結果が出ると話を書き換えるのは〝より良い社会の持続”という長期的な結果を搊なうあしき途中経過だ。逆に、目先の結果は出ずとも意識高く挑戦を続けることこそ、長期的な成果に向けた良い途中経過である。

 結果を見て記憶を書き換える支持者たちが甘やかす官邸に、勝てずとも挑む与野党政治家の存在は、途中経過をないがしろにしない日本になるために、何より重要だと筆者は信じる。