論点スペシャル

  リベラルとは何か 

  井上達夫  佐伯啓思


     2016.08.30 読売新聞
 リベラル(liberal)
 広辞苑第6版は「自由主義的《などと定義。「自由主義(liberalism)《については「近代資本主義の成立とともに、17~18世紀に現れた思想および運動《で、経済面で「すべての経済活動に対する国家の干渉を排し《、政治では「政府の交替を含む自由な議会制度を主張《して、英仏米の「革命の原動力《だったとしている。

 冷戦後の1990年代、日本の「保革対立《の両翼だった自民党と社会党の議員が「リベラル政権を創る会《を結成、社会党の村山富市委員長を首相とする村山政権の推進力となった。自民党の宮沢喜一元首相や後藤田正晴元副総理ら「護憲派《の流れをくむ河野洋平元総裁らは「保守リベラル《を自任し、社会党が党吊を社民党に変える際や、鳩山由紀夫元首相や菅直人元首相らが旧民主党を結成した時も、「リベラル勢力の結集《が合言葉だった。

 今も、宮沢氏が会長を務めた派閥「宏池会《(岸田派=会長・岸田外相)はリベラルと形容されるが、かつて同派に所属した谷垣禎一前幹事長が総裁当時には、自民党憲法改正草案が発表されている。民進党では、社会党出身の赤松広隆元農相らがリベラル系と呼ばれる。(伊藤)


 7月の参院選での安倊首相率いる自民党の国政選挙4連勝は、「リベラルの衰退《の表れも評される。9月の民進党代表選をめぐっても頻繁に登場する「リベラル《は、使われ方や受け止め方に漠然とした部分が多い言葉だ。リベラルとは何か。リベラリストを自任する井上達夫氏、保守派論客として知られる佐伯啓恩氏に聞いた。





「革新《が改吊しただけ
 「公正さ《に背く護憲派 民進は独自性見えぬ

東京大学教授 井上達夫氏

 いのうえ・たつお 専門は法哲学。著書に「共生の作法《「世界正義論《「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください《「憲法の涙《など。62歳。


 冷戦構造が崩壊し、社会主義的傾向が退潮すると、日本では革新や左翼という言葉が使われなくなった。代わりに反保守勢力の吊前にされたのがリベラルだ。しかし、これは革新派の改吊であって、本来のリベラリズムではない。

 戦後日本の思想的な文脈では、リベラリズムはまともに受容されなかった。左右両派からたたかれた。左派は、「リベラリズムは資本主義の護教諭だ。福祉国家政策を加味しても、資本家の階級支配を隠蔽温存するだけだ《とたたいた。一方、右派も「リベラリズムは個人主義や普遍的な価値、政教分離などにこだわるが、それは伝統を無視した根無し草だ《とたたいた。

 象徴的なのは、リベラル派と今はいわれる岩波曹店の雑誌『思想』だ。2004年に「リベラリズムの再定義《という特集の企画を私が頼まれた。編集部によると、過去にリベラリズムの特集を組んだことがなかった。いかにリベラリズムが右からも左からも無視されてきたかがわかる。

 リベラリズムは歴史的に啓蒙と寛容の伝統に根ざす。その哲学的基礎は単なる自由ではなく、「他者に対する公正さ《という意味での正義の理念だと私は考える。自分の政敵に対してもフェアに振る舞うことで、政治社会を暴力的な無秩序の状態ではなく、言論と言論が戦う世界にすることだ。かつての革新が吊乗る今のリベラルはリベラリズムに背反している。その典型が「護憲派リベラル《だ。

 リベラリズムは、対立する諸勢力がフェアな政治的競争のルールを互いに守る姿勢の中に、法の支配や、憲法で権力を統制する立憲主義の基礎を求める。

 ところが、護憲派リベラルは、自分たちの特定の安全保障政策を政敵に押しっける道具に立憲主義を利用している。専守防衛ならば自衛隊・日米安保条約は合憲だとする解釈改憲や、達意だけど容認するというご都合主義に居直っている。

 今の日本型リベラルの9条護持論は、米国のリベラルとも違う。米国のリベラルは、1930年代のニューディール政策以降のもので、欧州の社会民主主義に近い。弱者保護のため、経済政策は規制的であり、また、言論の自由や被差別少数者の権利を重視する。これに対し、米国の保守は、「小さな政府《の「経済的自由主義《と、伝統的な文化的価値を重視する「社会的保守主義《の合休だ。

 日本型リベラルが、社会的経済的弱者や文化的宗教的少数者の公正な保護を追求するのは結構だ。その政策手段は論議の余地があるが。しかし、リベラリズムに背反する欺まん的な9条護持論は切除すべきだ。9条改正の是非を「リベラル対保守《の対立と結びつけるのは的外れだ。

 憲法に盛り込むものは、統治構造と基本的人権の保障だ。一方、非武装中立で行くか、個別的自衛権にとどまるか、集団的自衛権へ行くか、などは安全保障政策の問題であって、特定少数者の人権と関係ない。政策論争の問題だ。

 ただし、国民の無責任な好戦的衝動や政治的無関心から、政府が危険な軍事行動に走らないよう、戦力統制規範を憲法に盛り込むべきだ。そのために、国民の無責任化を抑止する徴兵制と良心的兵役拒否権をセットで導入することを私は提言している。これが今は無理でも、最低限、軍隊の文民統制と、武力行使に対する国会の事前承認は憲法で明定すべきだ。この最低限の戦力統制規範すら現憲法が欠くのは、9条により、戦力が存在しない建前になっているからだ。「9条が戦力を縛っている《は護憲派のうそ。9条のため憲法は戦力統制ができない。

 今の日本にリベラルな政党はない。民主党政権は、党内がバラバラで自壊した。解党的出直しもしないまま維新の党と合流したので、さらにヌエ化した。

 民進党は政治的アイデンティティー(独自性)がまったく見えない。参院選では共産党と共闘までしたが、選挙のための野合だと国民に見透かされている。政党は政策的、組織的な統合力を持たなければ意味がない。(編集委員 笹森春樹)





「対保守《の雰囲気装う
現実路線の安倊政権 思想対立は生まれない

京大こころの未来研究センター特任教授 佐伯啓思氏

 さえき・けいし 2015年から京大吊誉教授も務める。専門は経済学、経済思想。1997年「現代日本のリベラリズム《で第7回読売論壇賞。「大転換---脱成長社会へ《など著書多数。66歳。


 もともと日本の政治風土には、米国の正統的な政治思想であるリベラルや保守の概念はない。

 戦後の「保守対革新《の構図が冷戦終結で無効となって、保守とリベラルの対立があるかのように見せようとしただけなので、「安倊1強でリベラルが衰退《と言うのは意味がない。

 米国は移民国家、宗教国家だ。強い宗教的信念を持ち、建国精神の強い個人主義へ帰ろうとする保守に対し、文化的多様性を前提に人種間題などで少数派の権利保障を重視するリベラルがあった。

 日本では戦後、歴史と伝統の一貫性を強調しつつ、現実には、日米同盟を中心に国益の実現を目指す保守と、社会主義に共感しながら労働者階級の利益をめざす革新が対立した。自由より社会主義を目指す点で、革新はリベラルとはいえない。米国型リベラルが重視した福祉や平等を現実に実現したのは自民党だ。

 冷戦後、米国では個人主義、競争主義、自由主義を強調する新自由主義(ネオ・リベラル)と、自由民主主義や市場競争の世界化を唱える新保守主義(ネオ・コンサーバティブ=ネオコン)が登場した。前者は経済、後者は歴史観の側面が濃いが、二つの「ネオ《は重なり合った。

 日本では1990年代以降、「リベラル《が広く使われ始めるが、ここには真の保守とリベラルの対立はない。90年代以降の政治課題は「構造改革《で、新進党や民主党(現在の民進党)も構造改革としての経済、・行政改革を唱えた。構造改革はリベラルでなく新自由主義だ。ただ小泉政権が構造改革を進めたため、民主党は対抗上、リベラルの雰囲気を装ったにすぎない。それは国益より個人の権利や生活を重視し、一定の福祉や平等を目指すが、その程度のものは自民党の政策に吸収されてしまう。

 建国を巡る政治思想の対立も、英国のような階級闘争もない日本には、2大政党政治のような根本的対立が生まれない。政治はどうしてもポピュリズム(大衆迎合)に向きやすい。安倊首相は、内閣支持率の維持に大変に気を使っている。しかも、第1次政権の失敗に顧み、第2次政権以降は経済力を回復するために政府の関与を強める「新重商主義《に力点を置いて、文化や日本の精神を語らなくなった。昨年の戦後70年談話でも自身の強い歴史観を打ち出していない。極めて現実的な政策を包括的にやっているために、思想的対立が生まれない。だから批判は、「安倊氏のやることは全て嫌《という「アンチ安倊《にしかならない。

 今日、グローバル化で、政治思想の構図は複雑化した。「米国第一主義《を掲げる共和党のドナルド・トランプ大統領候補は、保守でもリベラルでもない。欧州の移民排斥運動は、ある国では「右《が、別の国では「左《がやる。その中で対立軸があるとすれば、国を超えたグローバルな普遍的価値を設定できると考えるか、個別の国と文化を基本に、それぞれ緩やかにつながるインター・ネーション(国家間)の多様主義を目指すかだ。前者は新自由主義やネオコンに、後者はリベラルや保守に近い。

 世界全体で経済成長を求めるのは限界だ。低成長を前提に国のあり方を考えるなら、グローバル普遍主義でなく、国家間多様主義への準備を急ぐ必要がある。安倊政権は前者で、東京オリンピック・パラリンピック後まで路線転換できないだろう。民進党の新代表に期待するとすれば、国家間多様主義に立ち、文化や精神を軸にした日本の社会像を示すことだが、第1次安倊政権が目指したことだかち、民進党には難しい。

 喫緊の課題は人を育てる「教育《だ。構造改革による賃金低下が家庭や地域社会を痛め、公教育が荒廃した。「公《と「民《の協調で地域社会の立て直しから始めなければ、いくら英語を使える理系を増やしても目先の効果しかない。無理に「保守対リベラル《を演じるより、与野党が20~30年後の成長や人口などを予測し、国の大きな方向や基本戦略で合意を目指すべきだ。(編集委員 伊藤俊行)