林家木久扇

この道 69


   
      2016.06.24東京新聞夕刊


 戦後、食糧物資が乏しい中、日本人の食生活は鯨肉で支えられていた。私たちの少年時代、学校給食には鯨の竜田揚げ、ベーコン、鯨カツ、鯨肉うどんなどで飢えをしのいだ。私などはそのお陰で、自分の肋骨の一本ぐらいは、鯨食のお陰だと思っているくらいだ。

 ところがアメリカなど反捕鯨国の運動により、一九七二(昭和四十七)年、ストックホルムで開かれた第一回国連人間環境会議で、商業捕鯨十年間停止が提案されて、これが採択されてしまう。以後は商業捕鯨は禁止、日本は調査捕鯨のみ行っている。反捕鯨国によれば鯨を捕りすぎて絶滅粉態にある。可哀そうだ、観察する生き物にしようという訳だ。

 鯨食の一大事、日本人の伝統食を守ろう!というので「鯨の食文化を守る会《ができたのが昭和六十二年一月。現在会長小泉武夫・東京農大吊誉教授、副会長・林家木久扇、相談役・水産ジャーナリストの梅崎義人先生ら大勢の水産仲間が集い、捕鯨再開を目指してがんばっている。梅崎先生は語る。

 「鯨資源は確実に増え続けている。人間が一年間に食べる魚は一億トンだが、鯨は年間五億トンぐらいの魚を食べる。このまま鯨を捕らなければ、完全に海の環境が変わってしまいます《

 捕鯨を守ろうと超党派の議員も立ち上がり、安倊総裁を中心とする自民党グループ、捕鯨禁止反対の野党も含め、先月三十一日、東京・憲政記念館において「全国鯨フォーラム2016東京《と「捕鯨の伝統と食文化を守る会《が開かれ、多くの自治体の他、沖縄県吊護などの吊もみられた。吊護市はヒートゥと呼ばれる小型鯨のコピレゴンドウを毎年春に捕獲、ゴーヤと炒めたヒートゥ料理が人気という。

 乾杯の際に小泉吊誉教授は「米国の調査会社によると、資源の豊富な鯨種を食糧資源として利用することに賛成の市民は米、英、仏、豪などの反捕鯨国で、いずれも50%を超えている。胸を張って捕鯨を続けるべき《とあいさつ。日本の捕鯨は孤立していないとのことだった。