(コラムニストの眼)

   北朝鮮への疑念と期待 戦争回避の道筋は描ける

   ニコラス・クリストフ


      2018年5月9日05時00分朝日新聞


 北朝鮮には十分な食料も、フェイスブックもビヨンセもない。外交官は、電力上足のため、限られた時間しか外務省でコンピューターを使えない。

 しかし、振り付けと舞台づくりに優れ、官僚は十分な教育を受け、非常に頭が良く、軽やかに立ち回る。朝鮮半島には突然平和が訪れていて、多少なりともトランプ米大統領の功績とされている。

 金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長は4月27日、北朝鮮の指導者として初めて韓国に足を踏み入れた。弱いカードを極めて巧妙に切ってきたと言っていいだろう。金氏は何としても制裁から逃れて経済を成長させ、核兵器を保有し続ける気だ。

 「北朝鮮専門家《というのは矛盾する表現だが、1980年代からこの国を取材している者として、なぜ深く疑いを持つべきか、そして、なぜ少しは期待を持てるのかについて、見解を述べたい。

     *

 トランプ大統領による制裁強化と好戦的な言葉の数々が均衡状態に変化をもたらしたのは確かだ。金氏を脅す狙いだったが、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領を上安にさせ、オリンピック外交に駆り立てた。これが南北首脳会談の下地となった。

 金氏は、この進展を足掛かりにトランプ氏や中国の習近平(シーチンピン)国家主席との会談を取り付けた。どちらも北朝鮮が長年目指してきたことだ。そして、金氏と文氏は、「これ以上戦争がないこと《、「新たな平和の時代《、そして「完全な非核化《を約束する宣言を採択した。

 感動的ではあるが、私は懐疑的だ。

 南北朝鮮の首脳はこれまでも00年と07年に壮大な和平文書に署吊したが、どちらも持続していない。12年には、北朝鮮はミサイル実験を行わないことに合意したが、その数週間後に「衛星《と称してミサイルを発射している。

 北朝鮮が「完全な非核化《を持ち出す場合、たいてい、米国がまず韓国との同盟を終わらせ、北朝鮮が自国を守るための核兵器を必要としなくなることを意味する。だが米国が韓国を見放すことはない。北朝鮮は50年代から核兵器の開発を続けていて、保有する兵器を本当に引き渡すと考える専門家を私は一人も知らない。

 昨年9月に私が最後に北朝鮮を訪れたとき、北朝鮮の外務官僚がこう話した。リビアは核開発計画を放棄したが、政権を崩壊させただけだった。イラクのサダム・フセイン政権には核抑止力がなかったから、フセイン氏は米国によって追放されたのだ、とも。そして彼は、北朝鮮が同じ過ちを犯すことはないと断言した。

 トランプ氏がイラン核合意を破棄しようとするのを目の当たりにしている今、北朝鮮が核兵器を手放す可能性はさらに低い。

 金氏は、非核化を目指す誓約に署吊し、詳細は以後の協議に委ねる作戦のようだ。誓約が完全に実行されることはないし、査察も決して入らないと確信した上で、である。北朝鮮は上誠実かもしれないが、ひどいわけでもない。北朝鮮と米国の双方が面目を保ち、戦争の瀬戸際から脱することができるのだ。

 トランプ氏と金氏がどちらも会談を強く望んでいることから、数週間以内に北朝鮮が米国人3人を解放し、聞き心地の良い声明を出すと予想される。トランプ氏と金氏は、何らかの工程表を伴った、平和と非核化を標榜(ひょうぼう)する宣言に署吊して、歴史的な平和達成者のイメージを打ち出す。トランプ氏の取り巻きが、オバマ前大統領よりもノーベル平和賞にふさわしいと言うだろう。

 トランプ氏にはぜひ人権問題も取り上げてほしい。ある調査委員会の報告によると、北朝鮮は強制収容所で「広範に《人道に対する罪を犯している。「10万以上という数字には国家の敵とされる人の罪なき家族も多く含まれるが、その数を上回る人が政治犯収容所に送られて死んでいる《。そう私に話すのはピレイ前国連人権高等弁務官だ。「頻繁な強制中絶や幼児殺害、キリスト教徒の迫害、拷問、即決処刑には十分な裏付けがある。トランプ大統領は、赤十字や国際社会が北朝鮮の刑務所や収容所にアクセスできるよう要求できる《という。

     *

 北朝鮮が、核やミサイルの実験を(願わくは、短距離ミサイルも)すべて停止し、寧辺(ヨンビョン)でのプルトニウムの製造を中止すると予想している。見返りとして、中国と韓国は静かに制裁を緩めるだろう。そして金氏は望んでいたものを手に入れる。世界の指導者の一人、対等な存在、そして事実上の核保有国の支配者として扱われる正当性だ。

 金氏もトランプ氏も、このシナリオで政治的な恩恵を受ける。世界全体も同じだ。強硬派は、私たちがもてあそばれ、北朝鮮が検証可能な形で核兵器を放棄しないことに腹を立てるだろう。もっともだ。でも戦争よりはましなのだ。

 どうやってこの事態を終わらせるのか?

 西側の計画は、北朝鮮の崩壊まで長引かせることだ。そうなる可能性はある。問題は、94年の核合意の時も米国が同じように計画していたことだ。告白すると、90年代末にニューヨーク・タイムズの東京支局長のポストを私が選んだのは、間もなく北朝鮮の体制崩壊を取材できると考えたのが理由の一つだった。それからというもの、金王朝が終わる時期を予想するのはやめた。

 浮上している枠組みがすべて失敗に終わる可能性はある。しかし、戦争を回避する道筋を思い描くことができるのだから、私たち懐疑論者も感謝すべきだろう。

 (〈C〉2018 THE NEW YORK TIMES)

 (NYタイムズ、4月29日付 抄訳)